5回裏 俺がここにいるからだ
《青海視点》
屋敷慎一はそのストレートを狙っていた。
(泡坂は首を横に振らなかった。投手としての『表道具』をここで披露しないはずがない)
マウンド上で独立する泡坂は一人つぶやく。
「久しぶりに『敵』と出遭えた。どんな強敵が相手だろうと青海の敗北はありえない。『俺がここにいるからだ』」
発動。
全身の脱力、しかしリリース直前には一転力感に満ちたフォーム、振り抜かれた右腕、最大出力されたファストボールがストライクゾーンにコントロールされる。その弾道を喩えるならば――
一直線。
泡坂の右手指先から今村の左手キャッチャーミットまで、ニュートン力学を無視し重力に作用されず到達したかのような一直線の球道。並の打者ならばボールが瞬間移動したと錯覚する。
今村の捕球術でもボールの衝撃を殺しきれなかった。受け止めた掌の痛みに顔をしかめるキャッチャー。
屋敷慎一は動けない。
(振り遅れ……ではないな。咄嗟に見送っただけや。せやけど)
屋敷がストライクと判定されるボールを見送ったのは、公式戦において初のことだった。
一塁手風祭が振り返りバックスクリーンを見上げる。
(最速を更新したか!!)
163㎞/hのストレートが突き刺さった。
観衆のどよめきをききながら今村はサインを出し、かまえた。
(現状こっちの勝ちパターンや。計画通りに進めよう)
捕手は早期決着を狙う。
屋敷は焦る。初見ではヒットにすることもできないボール。ましてやホームランなど不可能だ。そう判断する。
(あいつのストレートは暴れる。甘いボールが混じるはず――)
自分の動体視力と『打球操作』の技術を用いれば、泡坂の163㎞/hを捉えることもできる、そう考えていた。
泡坂はセットポジションの構えから――
その豪腕を振るう。ボールが有効領域に飛びこんでいく。
(インコースにストレート!)
ホームランを放つため構えを大きくした屋敷はスイングを開始する。
今村は内心つぶやく。
(――ピッチトンネルや)
ホームプレートからホームベースまでのある一定の距離を、変化球をストレートと同じ軌道に通して投げることができれば、打者に球種の判断をすることはできない。
第1打席でそうだったように、ストレートのつもりでスイングを開始すればまともにミートすることは不可能だ。
カットボール――手元で小さく変化し打者のタイミングを外し、凡打を誘う球種。
本来そのはずだが――球速が増しより鋭利に、より凶悪に変化したこの変化球は、
高校最強打者屋敷をもってしても触れることができない。
バットとボールに斥力が働いたかごとき挙動。
牙。
(前に飛んだ感触がない。それよりも……!)
振り切ったバットが手を離れグラウンドを転がる。
バックネット裏の中原潔が冷や汗を流す。
(あの変化球は……)
ボールの上っ面をかすりはした、しかしそのままキャッチャーミットに吸いこまれる。屋敷慎一が球歴初の意図しない空振り。
第1球以上の盛り上がりを見せる場内、圧倒的声量を背に今村はつぶやく。
「泡坂……やはりお前が最強だよ」
彼はまだ喜ばない。この打者との対戦でノーボールツーストライクというカウントは2回目である。感情を殺したまま見下ろす。
もう一人の彼は下を向く。
「ぐぅっ」
だがどんな強打者もカウントというルールを無視することはできない。
2ストライク以降は打球を遠くに飛ばすための強振が封じられる。
屋敷慎一はホームランを放つための挑戦権を実質失った。




