打率10割なんて…
「それじゃ慎一は?」
「クレイジーだよ」
「性格が? それとも彼の野球が?」
「ただの変人ならどこにだっているよ」
笑うなよ逸乃。
「すごいのは打者としての彼さ。走塁も守備も向上したけれどやっぱり打撃だ。全国どこのチームでも打撃だけでレギュラーになれる選手だと思う。いや、そんなレベルははるかに通り越してしまったかな?」
「経験者のあなたもそう思う?」
「だって単純に《《凡退したところを見てないんだよ》》。青海とやったゲームからこれまでずっと、1打席も凡退してない。ゴロアウト、フライアウト、ファウルフライもなし。ライナーが野手の正面に飛んで運悪くアウトになることもない。空振りなし、見送ってストライクをとられない。バットを振ったら打ち損じなしでほぼヒットになる。異常だよ。成績も内容も文句がいえないくらい……大会を通した打率が7割や8割というのは例があるけれど、10割っていうのはちょっとね」
「試行回数が少ないわけではない」
「もう練習試合も8試合目なのに未だに凡退してないんだよ。みんな慎一にドン引きしてる」
人にとっては驚きでも、俺自身にとってはただの日常だ。
力は『常用』――日常的に使用できなければその人の実力とみなすことはできない。
その力を発揮するのに長期間の準備が必要だとか、
ケガをするリスクがつきまとうとか、
絶好調でなければ使えないとか、
そういったコストや条件がある能力はその人間のスキルとみなすことはできない。
「えいや!」と気合をいれなくても100の力が出せる。ゲージを消費せず必殺技が使える人間なのだ。
歩くことや話すことのように『できて当たり前』でなければその技術を修得できたとはいえない。
俺はバッティングというものを正しく修得している。
「数学的にはとんでもないですね。仮に打率9割の打者がいるとして、5打数5安打になる確率は0.9の5乗でおよそ59%です。彼の場合は現在30打席連続ヒットだから0.9の30乗で……」
よく俺の成績覚えてるな夙夜。
彼女はスマホで計算しているらしい。わずかな間。
「およそ4%という低い確率が導かれます。つまり実際には打率9割以上の実力が慎一あると推定される。10割付近かと……」
対戦する投手のレヴェルを問わず、必ずヒットを飛ばし出塁する打者。
逸乃はため息を吐く。
「野球のルールが壊れるね」
「無条件で敬遠するのが最適手になりますね」
スタメンにいるだけで(全打席敬遠されたとて)俺はアドになると。
二人は長考する。
逸乃が口を開いた。
「相手は決して弱くなかったんだ。置鮎もそうだったけれど法王大学の投手も主戦が先発だったし……」
法王大学は東京六大学連盟の直近の春季、秋季リーグ戦を無敗で制した大学最強チームだ。
法王ΟBである中原潔氏に依頼し、松濤高校野球部との練習試合を組むことに成功した。
3、4年生が中心の大学生チームが3月に中学を卒業したばかりの高校生と対戦。チームの平均年齢差は6歳ほどだ。松濤の勝利など期待などできなかった。
そもそも高校チーム対大学チームなんて冗談みたいな対戦カードなのだ。野球にはバスケやサッカーのような年代が違うチームが戦う大会はない。ハナから勝負にならないはず……。
結果は7対2で俺たちの勝利。
来週から始まる公式戦――夏の大会の予選に弾みがついた形だ。
順当にトーナメントを勝ち上がることができたら決勝戦で青海とは対戦する。松濤は2回戦からの登場なので組み合わせには恵まれているといえる。
「今年のドラフト1位候補っていわれる『須藤』と対戦しても屋敷は難なくヒットを打ったんだ」
須藤は最速153㎞/hのストレート、キレのあるスライダーとフォーク、ストライクが常に先行し三振の山を築くことができるパワーピッチャーだった。大学野球界最強の。
とはいえ泡坂や置鮎より1つか2つ下にランク付けされる選手だが。
「先輩は少しも慌てず、当たり前のように、ボールを外野前に運んだ。全打席なんの苦労もなく相手の決め球だとかリードの駆け引きだとかそんなの意に介さず……いや、瞬時に攻略してヒットを打ったんだ。そして私たちは屋敷のそのプレーを見て、驚かなくなっていた」
そう言いながら噴きだす逸乃。
「なにがおかしいの?」
「私たちは慣れちゃったんだ。屋敷がどんなピッチャーからもヒットを打って出塁している光景に。思えば最初に会ってあの泡坂と対戦しているヴィデオを見せつけられたときからだったね。彼の才能は絶対で、この先も裏切られることはない。彼が試合で活躍することは前提になっている」
相手が勝負してくれるならね。
「みなさん素直じゃないけれど、慎一のことは認めているんですね」
夙夜は弾んだ声で言う。
「そう。あの泡坂や置鮎ですら彼を打ちとるとは思えない。彼が凡退するなんて現実的じゃない。打率10割なんて口にするのもおかしいくらいありえないことなのに、屋敷には可能なんじゃないかなって……」
逸乃の口調は熱を帯びていた。
「屋敷の背中を追いかけていればきっと、青海を倒すことも可能になる。みんな屋敷に引っぱられているんだよ」
「彼に魅力があるとわかってくれましたか?」
「黙っていたらもっと魅力的かもしれないけど。ところでなんで彼はここで横になっていたの? 事後?」
急に変なことを言う女子高生ぇ。
「急に変なこと言わないでください! 彼は食べてすぐ横になっただけですよ」
「食器はないけれど?」
「天王寺が片づけたんです。天王寺はこの家の執事です」
「そんな富豪みたいな名字しているのに執事なのか」
それは俺も思ってた。
「どうしてこの家なんだい?」
「慎一はときどきここにきて料理するんです。うちのキッチンのほうが立派だからだそうです。こちらの炊飯器のほうが美味しいご飯炊けるんだそうで……」
明智邸の設備はモデルルームみたいに広々としているのだ。キッチンには調味料もそろっているし夙夜に餌付けできて俺が楽しい。
あと明智家の炊飯器は調べたら8万円とかするので俺の思い込みかもしれんが美味い気がするのである。
近所に住む幼馴染なので感覚が鈍くなるが明智家は超金持ちなのだ。
夙夜は一年ほど前俺が野球ガチ勢に戻ったと知ると家の金で高価な練習用具を買い集め、空いていた部屋をトレーニングルームに改装してしまった。自分自身は手をつけず俺が触らなければまったく無駄になってしまう消費なのだが彼女は気にしない。金持ちの道楽というか愛情なのか。メジャーリーガーも導入していたというかの有名な初動負荷トレーニングマシン(お値段3M)の購入を検討しているときいたときは流石に止めることにした。普通の女子高生は恋人にこんな尽くし方をしない。夙夜スパダリ説。
彼女はは俺にどのようなリターンを求めているのか?
「わざわざ部活ない日にまっすぐ帰って家で夕食つくるの? 二人で?」
「いえ、つくるのは慎一だけです。彼は私を台所に立たせないです。包丁で手を切って危ないからって。過保護ですよね」
「……夙夜の料理が下手だからではなく?」
「そんなことはないですよ。ただなんにでもカレー味にするのはやめてくれって言うんですよ。なんにかけても美味しいですよね? カレー粉って」
逸乃の沈黙。
「どうしました?」
「屋敷の家はすぐ隣なんでしょ? 父子家庭だけど料理は……」
「お手伝いさんにつくってもらっています。でもそれだけじゃ足りないと……朝体重量ったら1キロ強減っていたそうで、なのでスーパーで食材を買って私の家で一緒に食べようという流れになりまして。慎一はすごく食べるんですよ」
「それは知ってるけれど……料理を楽しんだあとは君のことも美味しく――」
腹とか胸を撫でるな逸乃!
「帰ってくれませんか逸乃さん」
「ジョ、ジョーダンだってお嬢様。そんな人殺しみたいな眼で私を見ないで……」
「要件があるならさっさとおっしゃってください」
ここまでのやりとり全部前菜かよ。
「夙夜、マネージャーとしてベンチに入らないかい? もちろん野球部の側にも得することがあるからなんだけれど……いやぁ、慎一もだけど勢源も変人だね。夙夜がいるだけで松濤の勝率がハネ上がる理由があるんだって。私には理解できなかったけれど」




