騎士子爵、新しい生活に戸惑う 2
礼拝後、フィラントは仕事に向かった。今日の仕事は何の変哲もない市内巡回。部下何人かを連れて、麻薬取引をしているのではないかという店への抜き打ち訪問。
市場へ見回りに行くと、真っ昼間から窃盗暴行事件が起こっていた。部下がヘマして、何人か怪我人が出た上に、危うく犯人を逃すところだった。
遅めの昼食休憩時間。騎士本部署に戻ってきた。盗人に蹴られた脛が痛い。耐えられなくないが、歩くのは億劫。午後は雑務とゼロース隊長や小隊長達との会議のみ。夜、王都での爵位授与式に関することをレグルスやフォンから説明される。
合間に鍛錬時間を入れたいが、今からの休憩時間くらいしか思い浮かばない。
「フィラント副隊長、奥様がお見えです」
鍛錬場に行こうと思ったら、署の玄関ホールの受付事務官に声を掛けられた。
奥様⁈
フィラントは事務官に応接室へと案内された。普段は人がいないような廊下に従事者が多い。特に休憩中だろう騎士。ジロジロ見られて居心地がすごぶる悪い。
ノックをして応接室に入る。エトワールがソファに腰掛けていた。今朝の水色のドレスではなく、病院看護師の灰色のドレスに白いエプロン。
まとめ上げたプラチナブランドの髪に、看護師帽。声にこの姿、それに思い出の中の看護師の顔が少しはっきりした。やはりフィラントが探していたのはエトワールで間違いない。
侍女サシャがエトワールの後ろに立っている。彼女の手にはバスケット。服装はエトワールと同じ。
フィラントを見ると、エトワールが実に美しい所作で立ち上がった。
「病院慰問へ行く際に通るので、今日は私が昼食をお持ちしました。お疲れのようですけれど、大丈夫ですか?」
疲れ? 疲れなんて吹き飛んだ。荒んでいたり、暴力的なところにいたので、実感が薄れていたがやはりフィラントは結婚したのか……。それも、初めて想いを寄せた女性と。
「顔を見たら……吹き飛びました……」
うっかり、声に出していた。視線が泳いだ時、侍女サシャが愉快そうに笑った。フィラントの浮足立つ気持ちは彼女にバレている。サシャは慌てたように済まし顔になった。何も聞いていません、見ていませんというようにバスケットを渡された。これは気まずい。
ふと見たら、エトワールは少し俯いてはにかみ笑いをしていた。頬の桃色が濃くなっている気がする。
「奥様、もうあまり時間がありません。旦那様に会えて良かったですね」
旦那様……。そうか、旦那だ。夫。
「ええ、サシャ。フィラント様。私はこれから病院へ行って参ります。危険を伴う仕事のようですが、どうかご自愛下さい」
不安そうなエトワールにフィラントの胸がチクチクと痛んだ。今まで、仕事の事で悩んだことなどないが、初めて戸惑った。仮に従軍となったら、このエトワールを置いていかないとならないのか……。
「今日はもう会議しかありません。余程、突発的な事がなければ署から出ません」
「それは少し安心です。では、失礼致します」
「いや、玄関ホールまで送ろう。休憩室も向こうの方だ」
先に部屋を出てエトワールをエスコートしようと思ったら、部屋の前に人だかりが出来ていた。おまけに我先にと部屋の中を覗く。
「エトワール様、ビアーと申します! フィラント様の第1副官で小隊長を務めております!」
「黙れビアー! 第1副官はこの俺ジェラールである。エトワール様、病院慰問への護衛はこのジェラールと優秀な部下にお任せ下さい」
フィラントの脇をすり抜けようとした2人を、フィラントは睨みつけた。
「貴様ら、小隊長ともあろうに公務をサボって何をしにきた。部下に示しどころか、悪例提示とは降格して性根から叩き直すぞ」
エトワールに聞かせるのもなと、低い小声で告げる。ビアーとジェラールがさささっと下がり、騎士挨拶をした。胸に手を当てて、足を交差させて軽い会釈。全く、実力に申し分ないがこの2人はお調子者過ぎる。エトワールに挨拶は良い事だが、先にこれをしろ。
「サー・ビアーにサー・ジェラール、フィラント様と共に治安維持に励んでいると噂を耳にしています。私達市民の為に、日夜ありがとうございます。皆さんも、ありがとうございます」
エトワールがフィラントの隣に並び、廊下にいる従事者達に笑顔を振りまいた。さああああ、と伝染するように男達がデレデレ顔になる。不愉快極まりない。ビアーとジェラールは同様ではなく、部下や事務官をたしなめるような目をしたので胸を撫で下ろした。
そこまで阿呆な部下でなくて一安心。小隊長まで鍛え直すなど、仕事が膨大になる。
「病院慰問への帯同はサー・ラーハルト副隊長補佐官と部下の方だと聞いています。少々お待たせしてしまっているので、失礼致します」
侍女サシャがエトワールを促した。フィラントはエトワールの少し後ろに立ち、顎で全員に退けと示した。
エトワールとサシャと共に玄関ホールへと向かう。エトワールが歩くと——サシャもいるが多分目に入っていない——むさ苦しい男達が次々と振り返る。特に若手騎士。しまりのない表情で惚ける者が多い。経歴長そうな事務官とかは、サッと下がって会釈をするだけ。
確かにエトワールは美しく愛らしいが、挨拶すらままならない騎士とは情けない。ゼロース隊長とよくよく相談して、若手教育内容を変更しよう。
「お見送りありがとうございますフィラント様。ご帰宅、お待ちしております」
「夕食が遅くならないように努めます。お気をつけて」
署の前でエトワールとサシャが馬車に乗るのを確認して、護衛騎士にも2人のことをよくよく頼んだ。
別れ際のエトワールの言葉に、サッと仕事を終わらせて帰ろうと思った。礼拝後にエトワールと別れた時にも思ったが、ますます強く決意する。玄関ホールに戻ると、わっと騎士に取り囲まれた。
「副隊長! おめでとうございます!」
「是非、今度屋敷に呼んでください!」
「あんな美人で可愛い奥さんが手作り弁当を直接届けにくるって、狡いですよ!」
「妖精を口説き落としたその技を教えて下さい!」
「今夜は空いていますか? 飲みに行きましょう! 女性の誘い方を知りたいです!」
祝福、僻み、屋敷へ呼べ、飲みに行こうなどあちこちから喧しい。
「勤務中に弛んでる! 大体なんだ! 騎士の癖して貴婦人に挨拶すら出来ないのか! 特別講習会を開くから覚悟しておけよ! ビアー! ジェラール! 鍛錬強化と礼節講習会の責任者に任命する! 俺が王都へ向かう前までに企画書を作成してこい!」
エトワールを一目見れたのは喜ばしいが、騎士達のしょうも無さには頭が痛い。
「大体、早く帰りたいのに飲みに行くか……」
ため息混じりに、ついうっかり零していた。
「鬼の副隊長が惚気た!」
「最悪の副隊長め! 妖精を独占なんて許せません!」
「飲みに連れて行け!」
「奢れ!」
「自慢野郎!」
「愛妻弁当を奪え!」
愛妻弁当? 作り手は従者のオットーだ。エトワールがフィラントに弁当を作るなんてことは有り得ない。
脛が痛いのに、フィラントは部下達に詰め寄られ、追いかけられた。こんな騎士達は王都にはいなかった。奴隷上がりの癖にとか、騎士の恥とか言われていたし、どちらかというと人見知り。この1ヶ月間の騎士達とのこのようなやり取りにはまだ慣れない。
フィラントはオットーが作った弁当を、愛妻弁当だと誤解している騎士達に奪われまいと逃げた。
脛が痛いし、鍛錬時間も欲しいのに、何故こんなに追われる。やいやい、やいやい、喧しい。
【フィラント様へ。危険なお仕事ですので、どうかご自愛下さい。海老は大丈夫だと聞いたので、海老を使ったサンドイッチを作りました。余裕がある日に、チェスを教えてもらえると嬉しいです。お帰りをお待ちしております。エトワール】
バスケットの中身はサンドイッチと、エトワールの手紙だった。
作りました。
本当に愛妻弁当……。
頬を抓ってみたが痛かった。何だこれ、俺の人生はどうなっている?
口にしたサンドイッチは、微かに塩気と旨味を感じさせた。




