単なるイチャイチャ話 1
エピローグ表、の数日後くらいです。
窓の外は雲一つない晴天。夕焼けが終わり、もうすぐ夜という時間。
日差しが窓から差し込むオレンジ色の明かりの中、鏡台の前で、エトワールはちょんちょんと前髪を弄っている。
俺はそれを、部屋の入り口でボンヤリと眺めていた。
会議後、東塔へ帰宅し、早く何かを話したかったのに、声を掛けられない。
エトワールは髪を結び、ほどき、編み込み、ほどき、また結ぶという事を繰り返している。
それから耳飾りを付けたり、外したりもしている。
3種類の耳飾りを付けて、外し、髪を弄り、また耳飾りを変える。
涙型の深い青色の耳飾りを付け、髪を全部まとめ上げると、エトワールは立ち上がった。
思わず隠れる。自然とそうしていた。
そっと部屋を覗くと、今度はタンスから寝間着を何着か取り出して、姿見の前で体に当て始めた。
よく見る長袖の襟がひらひらした丈の長いワンピース。次は胸元が大きく開いた半袖のワンピース。こちらも丈は長い。
もう一着は、何ヶ月か前にユースが結婚祝いと称して贈ってきたもの。肩紐しかなくて、丈が短くて、透けていて、前面部はあられもないのに、背中はリボンできっちりしまっている、最早下着みたいなもの。
エトワールはポポポポポと頬を赤らめ「いや、これは」とか「でも頑張って」とか、恥ずかしそうな表情をしている。
うーん、何回も思うが、何故俺はこのエトワールと毎日一緒に暮らしていて、彼女の気持ちに気が付かなかったんだ?
人生で最大の謎は自分の正体。何せ頭部外傷で記憶がめちゃくちゃになっている。
俺の記憶では、自分は奴隷上がりの騎士だ。
ユースの生い立ちや話と、自分の事がぐちゃぐちゃにこんがらってしまっているらしい。
その次の謎はエトワールとの事。彼女のこんなに明け透けない姿を、どうして無視していた?
いや、無視はしていない。何度も期待した。
それもかなり期待し、調子に乗ってやりたい放題手を出した。しかし、一方で酷く怯えてもいた。
違ったらどうする?
気のせいだったら?
彼女からの歩み寄りが終わり、幸せが途絶してしまったら?
その恐怖は俺の目を曇らせるには十分だった。多分、そんなところか?
あれこれ自分の事を考察しながら、きゃあきゃあ照れるエトワールを眺め続ける。
特別な下着——ではなくて一応寝間着——を着るか着ないか悩む妻。
うん。可愛い。なんだあれ、可愛すぎる。エトワールは今日も可愛いことこの上ない。
「エトワール」
意を決して声を掛けた。
「き……きゃあ! あの、その、これは、いえ、つまり……その……お好きなようなので……」
エトワールはモジモジしながら、手に持つ寝間着を背中に隠して俯いた。耳まで真っ赤。
「あー……楽しみにしている……」
我ながら変なことを口走った。慌ててエトワールに背を向ける。それから、いや違うな、と思いエトワールの方へ向き直った。
彼女は益々赤くなって固まっている。
「……今着てもらっても良いですけれど……」
「へっ? 今ですか?」
「ああ。うん」
何か気の利いた台詞が必要。俺は必死に女たらしのユースやレグルスなら、こういう時にどうする? どうしていた? と頭を回転させた。
想像は簡単だったけれど、羞恥が強くて声を出せない。
「い、嫌です……」
エトワールの表情は不機嫌そうなふくれっ面になった。近くに寄って、手を取って、キスしようという意気込みがポキリと折れる。
「そうか……」
嫌です、が「嫌いです」と感じられて、凹んだ。
もう二度と触れないのか? あの至極の肌に……もう触れないのか……。二度と……。
諦めてエトワールに背を向けて歩き出す。動揺していたからか、壁に激突した。
「っ痛」
「フィラント様⁈」
駆け寄ってきたエトワールは、即座に俺の額を撫でてくれた。
小さくて、スラリとした、スベスベとしつつ少ししっとりとした肌触りの良い手。
触れた。触ってくれた。良かった。安堵のため息が自然と漏れる。
この手を握っても良いのだろうか? エトワールの手を眺めていたら、近づいてくる気配がした。エトワールが背伸びをして、俺の頬にそうっとキスをする。
思わずキスされた頬に触れる。顔が熱い。
「疲れた顔ですけれど、今日も大変でした?」
俺は曖昧な返事をした。疲れるには疲れた。ただ、今の疲労は、エトワールの一挙一動に、感情が揺り動かされるからだ。
黙り込む癖を直さないとならない。
「いや……その、君が……」
「私? あの、何かしてしまいました? 私は今日もこの塔で大人しくしていました。主に編み物をしています」
「いや、その、違くて……」
最近うんと前向きだったのに、その思考は何処へ消えた?
エトワールは黙って俺を見上げている。青と緑が混じった不思議な色の虹彩に絡め取られて動けない。
嫌だ、という事は今日は手を出してはいけない。最近、好き放題し過ぎていたからだ。
反省して、半歩離れていよう。少し後退り。
エトワールは困惑顔でジイッと俺を見つめている。
「こう、押したり引いたりするから……心臓がもたないな……と……」
よし、言えた。良くやった俺。見つめ合い続けるのは、もう耐えられない。
背を向けようとして、思い立つ。照れて背を向けている場合ではない。
「それに可愛いなと……」
つい、自分の前髪を弄る。視線が彷徨う。格好悪いが仕方ない。
「可愛い?」
俺は首を縦に揺らした。
いつも、毎日、とても可愛い。愛くるしい。そう続けたいけれど、言葉は出てこない。
喉に食べ物が詰まったような感覚。
「もっと暗くなったら、先程の……その……着ても良いです……」
突然、エトワールは抱きついてきた。上目遣いで俺を見上げ、少し背伸び。その後、彼女は目を閉じた。
これは、あれだ。
以前も何度かあった光景だけど、この意味は「キスして」である。エトワールの本心を知った今なら分かる。
よし、とエトワールの肩に手を乗せ、顔を近づける。
「エトワール……」
名前を呼んでキスをする。その後、もう一度可愛いと囁く。それからもう一度キス。
ふと気がつく。これはいける。押せばいける。きっとこの甘い雰囲気なら、押せばいける!
エトワールに不埒な寝巻きを着せられる。
この明るさ、上から下まで、眺めたい放題だ!
「ダ、ダメです!」
「ん? 何が? キスです? 俺とキスするのはダメですか? 俺とのキスは嫌です?」
エトワールの照れが始まったけど、抵抗する力はまるで感じられない。
「そ、そうではなくて……」
キスが嫌なら顔を背けられる。けれども、エトワールは俺を見つめたまま。
むしろキスのために顔を近づけると、目を閉じる。おまけに唇は半開き。さあどうぞ、と言わんばかり。
エトワールはみるみる真っ赤。良く熟れた苺みたい。
赤いものは苦手だが、今なら苺を食べられる気もする。血ではなく、エトワールの今の姿を想起すればイケるだろう。
「明るいのは……」
「可愛いエトワールを見たい。見せて欲しい。俺は君を見たいんだ」
ふるふる、とエトワールは首を横に振った。懇願で潤む瞳に、ますます唆られる。
押せば絶対にいける。とエトワールのドレスのボタンに手を掛けようとしたまさにその瞬間、コンコンコン、コンコンコン、という軽快なノック音が部屋に響いた。
「フィラント! エトワールちゃん! お兄様が来たよ!」
また煩い男が来た。ユースである。
「ユースお兄様! いらっしゃいませ!」
エトワールがチャンス! と言わんばかりに俺の腕の中から抜け出た。最悪。彼女は出入り口の扉へ駆け寄った。
「いらっしゃいませなら入って良いのだな。やあ!」
エトワールが扉を開ける前に、ユースが扉を開いた。片手を上げて、満面の笑顔。反対側の手には紙袋を持っている。
「怖っ! フィラント、怖ーい! 何? 良い雰囲気だった? あはは」
ユースはケタケタ笑いながら、エトワールの肩をポンポンと叩いた。
「そうだったとしたら帰るのか?」
羞恥心を見せたら揶揄われる。俺は懸命に笑顔を作ろうとした。
「うわあ、余裕の笑みを作るはずが、ひきつり笑い! プププッ」
わざとらしく笑うユースに、俺はため息しか返せなかった。黙ろう。それから無表情だ。思考を停止させるしかない。
「あのさあ、この間の誕生日プレゼントを多分フィラントは気に入ったと思うんだ。それで考えた。次はこれだなって。これもお祝い。王子就任祝い」
紙袋を床に置くと、ユースは「お邪魔虫はたいさーん!」と、そそくさと部屋から出て行った。
実に気持ちの悪い投げキッスを残して。
「っとに、あんな態度ばかり……」
置いていかれた紙袋を手に取り、中身を確認。
「次は……」
「きっと見てはいけないものです!」
俺の手から、エトワールが紙袋を奪おうと腕を伸ばしてきた。
あまりにも遅い動き。ヒョイっと簡単に避けることが出来る。
奪われて隠されでもしたら困る。
「いや、逆だろう。大切な人からの祝いの品だ」
中身が何か、予想がつくので紙袋の持ち手を右手首に通し、サッとエトワールを抱き上げた。
「最近、フィラント様は意地悪です!」
涙目のエトワールにキッと睨まれて、背中に冷や汗が流れる。
「す、すまない……。すみません……。本当に……」
エトワールを床に下ろし、後退り。
紙袋の持ち手が手首から抜ける。紙袋が落下したけれど、拾う気力がない。
ゆっくりと背を向けて、部屋から出ようと足を動かす。
怒らせた。調子に乗り過ぎて怒られた。そりゃあそうだ。嫌だと言っているのに、押せばいけるなどと……。
日に日に夫婦らしくなっていると感じていたのに、真逆だったとは。
言葉はともかく、無抵抗どころか、むしろ積極的になっていくのに、それは勘違いで、本気で嫌だったのか? あれで?
エトワールは難しい。
「フィ、フィラント様。あの、その、恥ずかしいだけです。色々と恥ずかしいのです! でも結局可愛がられたくて着るので、そのように落ちこま……」
俺は勢い良く振り返った。あまりにも素早い動きだったのか、エトワールは大きな目を更に大きく見開いた。
「くら、暗いところなら良いですから……」
エトワールは紙袋を拾った。更に、中に手を入れる。
「フィラント様が見たいのでしたら、暗いところでなら頑張ります! エトワールはフィラント様が大好きですので何でも着ます!」
バッと紙袋から手を出すと、エトワールは目をギュッと瞑った。
彼女の手に掴まれたのは白い布。割としっかりとした生地。
チラリ、と流れ星の刺繍が見えた。紺色で、星が降っているような絵柄。
「エトワール……」
「大体、私だってフィラント様の逞しい腕とか見たいのに、隠してばかりで……」
ん? と小首を傾げながら、エトワールは目を開いた。
手に持つ布を両手で広げる。
「ランチョン……マット? まあフィラント様! 流れ星です! それも2枚!」
可愛い。素敵と呟きながら、エトワールはランチョンマットをしげしげと眺めた。
「2枚? ユース様の分がありません。ね? フィラント様」
「あっ、ああ……」
拍子抜けして、イマイチ声が出ない。
「お店を聞いて、追加購入しないとなりませんね」
「ああ……。そうだな……」
こういう品もくれるのか、とユースへ感謝する。
しかし、残念。すごぶる残念。
新しい不埒な何かしらを期待していた。し過ぎていた。
自分では絶対に買えないし、エトワールも絶対に購入しない物だから。
「嬉しいですね。早速、今夜の夕食から使いましょう」
ふふふっと笑いながら、エトワールが腕に抱きついてきた。
可愛い上目遣いに、ホッと胸を撫で下ろす。
怒らせたけど、ちっとも嫌われてなさそう。
俺はエトワールの頬にそっとキスを落とした。
すると、エトワールが恥ずかしそうにキスをしてくれた。一生懸命、背伸びをして。
「頑張りますから、今夜はフィラント様も、先程言ったように、シャツを脱いで下さいね」
ポポポポポッと頬を桃色に染めたエトワールの台詞に、俺はへなへなと腰を抜かした。
次回「単なるイチャイチャ話 2」
2は本当に単にイチャイチャする話しです。
近日投稿予定。
ユースが主役のお話し
「逃げる女好き王子と巻き込まれた男爵令嬢」の完結記念。




