導引
神による、七日七晩の天地創造。風から生まれたヒトの話。星、太陽、月、大地、風、水、炎、土、この世界を作っているあらゆるものの話。カイン兄さんの話は尽きることが無かった。まだ転びやすいオレの手を引いて、カイン兄さんはやたら軽い足取りで歩いている。
「カインにいさん、なんで、いつも話している?」
「何故って? それが私の役割だからさ。私は語り部。私が話を止めるとき、それは世界の終わりと同義なのだよ」
理解はできなくても、言葉だけははっきりと覚えていられる。いつかまたこの言葉の意味を考えなおそう、とオレはカイン兄さんの言葉を頭の中に仕舞い込んだ。
しばらく動くと疲れることを知った。疲れると腹が減ることも知った。カイン兄さんが杖で地面を突けばすぐに食事が用意された。板に四本の足がある……テーブル、とカイン兄さんが呼んでいるものの上に、果物やら、肉やらが出てくる。カイン兄さんはオレの手にそれを持たせて、口に運ばせた。口を開いて物を食べること、噛み砕くこと、飲み込むこと。それが腹の中に入って、しばらくするとまた立って動けるようになる。
「それじゃあ次は、食事の中でも一番大切な、狩りの話をするとしよう。食事とは生きることに絶対必要な行為。だからこそ神は私にも食事の自由を認めている。すなわち生きることとは食べることである。食べることとは他者の命を貰うこと。大きく言えば人は日々命を消費して生きる分、命を摂取しているのだよ」
オレが大きな赤い果物に齧りつくと、カイン兄さんはいつもより楽しそうに話を始めた。
「生き物の命には終わりがある。それは全ての存在に言えることだ。ああ、唯一、神だけは終わりを持たないが。死は絶対の定義であり、命の果てにある生の対極。人は食べることで命を摂取し、死を少し先延ばしにする。食べなければ人の命は天地創造の間に散るほど儚いものさ」
死。……その言葉の意味は、まだ分からない。
「だから、感謝していただきなさい」
「……いただきます」
オレがそう言うと、カイン兄さんはうんうんと頷いた。
「焔の使い方を教えよう」
「雲で明日の天気を知る方法を教えよう」
「川の渡り方を教えよう」
「食べられる植物を教えよう」
「動物の捌き方を教えよう」
「皮のなめし方を教えよう」
「靴の作り方を教えよう」
カイン兄さんが教えてくれることを、オレは一つ一つ覚えていく。
「カイン兄さん、どうしてオレにいろんなことを教えるんだ?」
「語り部だからさ」
「……?」
揃いの服をオレに着せて、「生きる」という行為に必要なことを教えて……。それはオレにとっては絶対に必要なことで、多分『嬉しい』とか『ありがたい』とか言うのが、正解なのだろう。だけれど、オレとカイン兄さんは別の個体で、それを意識するたびに、思う。
これは、カイン兄さんにとって、何か意味があることなんだろうか?
罠にかかっていたウサギを持って、カイン兄さんが火を焚いているところに戻った。俺が狩りを覚えて以来、カイン兄さんは杖で食事を出さなくなった。どうしてかと聞いたが、「節約しないと」と笑っていた。何を、何の為に節約しているのか、よく分からない。
「……兄さん、獲ってきた」
「ああ。罠も上手になったねアベル」
「……兄さん、……どうしても、食べないと、駄目か?」
俺は、まんまるなウサギの瞳を見て言う。そこに映っている俺の顔は、苦々しく歪んでいた。ウサギは今まで何度も食べてきたが、こんな気分になるのは初めてだ。手にずっしりとくるウサギの重さと、小刻みな震えが、胸を痛くさせる。
「……どうしてそう思う?」
「……ウサギも……生きてる、んだよな?」
俺も生きている。食べることは生きることに絶対に必要。それは分かる。生き物の終わり、死、それは必ず訪れる。それも分かる。
「ああ、それは『可哀想』という感情だね」
「かわいそう……」
言葉を当てられると、それでぎゅっと腹の上の方が締め付けられる気がした。
「だから、私達は食べる時に『いただきます』と言うんだよ」
カイン兄さんは俺の手からウサギを取って、地面に置いた。
「ごめんね」
一撃。
「可哀想と思うのは人間としていいことだ。情緒が育ってきている証拠だよ」
カイン兄さんの言葉が、今日は耳に入ってこない。だけど……可哀想……ああ、そういう感情が、人間に必要なら、俺にあってもいいんだろう。




