↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
93/99

第1話 受注と、精霊界式の契約書

ここから第三部・根源契約編、三部作の完結編です。

◆記録係・リド。三部目ともなると、書き出しにも年季が入る。今回の記録は、いずれ人間界と精霊界、両方の書庫に納まる予定だ。つまり読者に精霊が含まれる。よって本記録は、これまでで一番、言葉を丁寧に選ぶ。丁寧に選んだ結果がいつもの調子だったとしても、それが俺の正装である。


 依頼板の上に浮かんだ光の依頼書――依頼主・精霊界、案件・世界の根源契約の更新交渉――を受注すると宣言してから、実際の契約締結までに、七日かかった。


 原因は、あの一行である。


『報酬:応相談(インク以外も可)』


「応相談で受注する事務屋は、事務屋じゃない。ベッシ、先方に確認だ。第一、報酬の通貨単位は何だ。第二、前金の有無。第三、業務完了の定義。第四、経費精算の方法。以上四点、書面で回答を求む」


「世界の根源が相手でも、そこは曲げないんだ……」とレーヴェ。


「相手が誰でも、決めずに始めた仕事は、終わる時に必ず揉める。三年前の金貨八百枚から、うちはそれで生きてきた。それに、だ。相手は言葉の総本山だぞ。総本山との契約こそ、言葉の一番丁寧な使い方で結ぶべきだろう。……敬意ってのは、詰めの細かさで示すものだ」


 ベッシは光の依頼書の余白に、ぺた、と体を押し付けた。翌朝、依頼板の上に、返答の光る紙が浮かんでいた。


『一、通貨は、良きもの。二、前金は、心ばかり。三、完了は、めでたく済んだ時。四、経費は、たぶん大丈夫』


「ふわっふわだ!! 世界の根源を扱う組織の回答が、ふわっふわだ!!」


 再照会した。「『良きもの』の具体例を三つ」「『心ばかり』の相場を、過去実績で」。返答は翌朝来た。『良きもの――たとえば、良きもの。心ばかり――心の、ばかり』。同語反復である。世界の根源は、定義という概念に、興味がないらしい。三度目の照会で、ようやく分かった。彼らは不誠実なのではない。「言葉にした時点で全部本気」の世界では、細目を詰める文化そのものが、育たなかったのだ。疑う必要のない世界に、契約書の細則は、要らない。……要らなかった、万年前までは。


「精霊界って、事務は苦手なんだね……」


「苦手っていうか、多分、価値観が違うんです」とエルシー。「精霊にとって、言葉は全部『本気』が前提です。『たぶん大丈夫』は、彼らにとっては魂の保証なんですよ、きっと。……人間の『たぶん』とは、重さが違う」


 文化の壁である。疑って詰めれば失礼にあたり、鵜呑みにすれば事故のもと。俺は三晩かけて、両方の価値観で読める受任契約書を起草した。骨子はこうだ。報酬は業務完了時に、精霊界が「選択肢を三つ以上提示」し、こちらが選ぶ(第五条。先方の「良きもの」の誠意を活かしつつ、選択権でこちらの実利を守る)。業務完了の定義は「新契約の受理」または「交渉決裂の正式確認」のいずれか(第七条。失敗しても仕事は仕事だ。決裂の確認書だって立派な成果物である)。前金は「心ばかり」を数値化できないため、現物一点――「精霊界産の最上インク一壺」で受領(第九条。ベッシが涎を…精霊は涎を垂らすのか? とにかく垂らしそうな顔をした)。


 起草の途中、一箇所だけ、筆が止まった。危険負担の条項である。異界での業務中の事故を、誰がどう負うか。書きかけて、消して、結局こう書いた。『乙(うち)の安全確保に、甲は最善を尽くす。乙もまた、無理をしない』。無理をしない、を条文に入れたのは、事務屋人生で初めてだ。だが、三人と一匹の顔を思い浮かべると、これが一番、正確な条文だった。


 署名の段になって、問題が発覚した。


「甲・精霊界の、代理人署名の欄。……誰が署名するんだ、これ」


 ベッシが、俺の袖を引いた。そして契約書の甲側署名欄に、これまでで一番、堂々と、ぺたん、と体印を捺した。


「……お前が? いや待て、お前にそんな権限が」


 ある、と言わんばかりに、ベッシの体印の下から、小さな光の紙がもう一枚、浮かび上がった。精霊界の紋章入りの、それは――辞令書だった。


『辞令。精霊界・探し番、第七号ベッシ。

 任務――人の世に降り、「言葉を正しく扱う人間」を探し、その質を検査すること。

 検査方法――当該人間の書きし文書の、誓いの密度を、味わって確かめること。

 任務期間――見つかるまで』


 全員が、ベッシを見た。ベッシは、心なしか誇らしげに、襞を広げた。


「……インク齧りが」レーヴェが、震える声で言った。「品質検査、だったの……?」


「じゃあ、二年前、オルサの宿で俺の依頼書を齧ってたのは」


 ぺこり、とベッシが頷いた。あの日、依頼書の上でインクを食んでいた小さな半透明は、通りすがりの食いしん坊ではなかった。大陸中の書類を食べ歩いた末に、極上の一枚を見つけた、精霊界の目利きだったのだ。思い返せば、符合することばかりだった。俺の書類だけを齧った偏食。誓いの真贋を見分けた舌。二通の招請状をそっぽ向いた検査眼。あれは全部、業務だったのだ。


「「「「うちは最初から、スカウトされてた!?」」」」


「待って、じゃあ、私の祈祷書のインクの評価は」とエルシー。


 ベッシ、三跳ね。


「解体の依頼書は!?」とミラベル。


 二跳ね半(跳ねかけて着地した。微妙な評価である。本人は「伸びしろだ」と前向きだった)。


 検査員の格付けは、身内にも容赦がなかった。


 辞令書の隅には、追記があった。几帳面な、しかしどこか楽しげな筆致で。


『追記。任務は二年前に完了せるも、当該探し番は帰還命令を三度無視し、対象者の元に居着いた。理由を問うたところ、回答――「ここのインクが、いちばん、おいしい」。……本件、不問とす』


 思えば、こいつは何度も、帰れたのだ。オルサの依頼が済んだ時。西に渡った時。それでも、鞄に潜り込み、依頼板に住み着き、朝の挨拶に一跳ねで返し続けた。任務の外で、こいつは、うちにいたのだ。帰還命令を、三度、蹴ってまで。ミラベルがベッシを抱き上げて頬ずりし、ベッシは迷惑そうに、しかし逃げなかった。エルシーが小さく「……不問にしてくださった上司の方にも、いつかお礼を」と呟いた。同感である。命令違反を「不問とす」の四文字で流せる組織は、いい組織だ。


 締結の前夜には、いつもの家族会議もやった。異界への長期出張である。全員の意思確認は、契約より先だ。レーヴェは「精霊の身の上話、聞けるかな」と乗り気で、ミラベルは詠唱書を三冊抱えて既に旅装で、エルシーだけが、一晩、返事を保留した。翌朝、彼女は言った。「行きます。……ただし、毎朝の手紙の手段を、確保できるなら」。交渉の第一項目が決まった瞬間である。俺はベッシ経由で精霊界に掛け合い、後に「小窓」と呼ばれる仕組みを、入界条件として先に取り付けた。うちの交渉は、いつも、こういう項目から始まる。


 契約は、締結された。俺の署名と、ベッシの体印が並んだ受任契約書は、その夜、依頼板の上で三度、淡く明滅し――


 そして翌朝、ギルドに悲鳴が響いた。


「り、リドさん! 依頼板が! 依頼板の真ん中に――扉が生えてます!!」


 悲鳴の主はミレット先輩で、しかし駆けつけた時には、先輩はもう、門の前に「立入禁止・お問い合わせは帳場へ」の札を立て終えていた。窓口の対応速度は、異界の門にも負けないのである。「で?」と先輩は腰に手を当てた。「この門の分の掃除当番は、誰なのよ」。異界の門の管理起案第一号は、掃除当番表になった。歴史とは、そういうものだ。

次回「第2話 依頼板の門」は、10月19日(月)18時30分更新です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。