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後日談・第10話 二つの大陸と、一枚の依頼書

前回:「後日談・第9話 師弟と、一分の黎明」

あの騒動の日々から、季節が三つ、回った。


 冬のよく晴れた朝、俺たちは、いつものギルドの依頼板の前にいた。四人の朝の習慣は、三年前から変わらない。俺は依頼書の角を検分し、レーヴェは板の前の常連たちと挨拶を交わし(全員の近況を把握している。窓口より詳しい)、エルシーは報酬欄を検算し、ミラベルは「詠唱が活きる依頼」を探して、大抵、見つからない。この代わり映えのなさを、俺は、割と気に入っている。世界を二つ救った連中の朝が、日銭の相場の話から始まる。それが、うちの正気の保ち方なのだ。


 板の上ではベッシが日向ぼっこをして(硝子板の上が特等席らしい)、板の中は、いつも通りの依頼で賑わっている。薬草採取、害獣の――更生。荷物運び。東大陸航路の護衛には「海峡救難隊の推薦状あれば優遇」の但し書きが付くようになり、隅には劇団ルル座の新作オーディション告知(演目『(仮)』。全力で止めたが、押し切られた。配役の「事務屋」役には応募が殺到しているらしい。世も末だ)。


 近況を並べれば、きりがない。ヴァルガはオルサ本格出店を決め、現地主任の第一候補はポポだ(土竜、パン職人への道を驀進中。先日届いた手紙には、前脚の爪判の横に、粉の焼き印が捺してあった。手紙に自分の焼いたパンの香りを移す工夫だそうだ。商才がある)。メルヴィナは両大陸航路で財を成し、ゴードンの門は東西交流の玄関として通行量が三倍になり(本人の日誌いわく「毎日ガ、良イ日、デアル」)、ドラゴの寝床は真面目な労働の蓄積で、ついに見合いが成立したという。エルシーとユーリスの懺悔の日課は、最近「歩きながら」に変わった。回復所から川辺まで、往復一時間。百二十九年の道のりは、散歩の速度で、ゆっくり進んでいる。二人の散歩道は、生徒たちの間で「先生の道」と呼ばれ、冷やかすと宿題が増えるという不文律も、既に確立している。


「――さて、諸君。今日も日銭を稼ぐぞ。何かいい依頼は」


「川向こうの薬草採取、報酬は普通、道中の景色が良い」とレーヴェ。


「倉庫の棚卸しの応援。地味ですが、堅実です」とエルシー。


「何もない! 詠唱の出番が、何も!」とミラベル。いつもの朝の、いつもの配役だった。


 言いかけた俺の頭上で、ベッシが、ぴょこん、と跳ねた。


 そして、依頼板の中央に――何も貼られていないはずの中央に、淡い光の紙が一枚、ふわり、と浮かび上がった。触れると、確かな手応えがある。文字は、読める。読めるのだが、インクが、光でできていた。


『指名依頼書

 依頼主:精霊界。

 仲介:ベッシ(当依頼書の配達人)。

 依頼内容:太古、精霊と人との間に交わされし「最初の契約」――言葉に誓いの力を宿すことを定めた、世界の根源契約――が、まもなく満期を迎える。更新交渉における、人間側の代理人を求む。

 指名理由:貴パーティ《歴史を背負う者(カコ・カリ)》は、両大陸において、破れぬ和平を起草し、精霊の受理を二度勝ち得た唯一の者たちである。精霊界は、全会一致で結論した。「言葉と契約を、最も正しく扱う人間」は、世界にただ一組しかいない、と。

 報酬:応相談(インク以外も可)。

 備考:時間は、あります。ただし、丁寧に。』


 依頼板の常として、報酬欄をまず読む。「応相談」。日銭専門の帳簿感覚が、警鐘を三つ鳴らした。だが備考欄が、警鐘を上書きした。『時間は、あります。ただし、丁寧に』。急ぎの依頼は腕を試すが、丁寧さを指定してくる依頼は、人を試す。しかも依頼主は、言葉と誓いの、大元の管理者ときた。


 全員、しばらく、無言だった。ギルドの朝の喧騒が、依頼板の周りだけ、遠くなっていた。帳場のミレット先輩が首を伸ばし、バッソが眼鏡を探し、常連の冒険者たちが遠巻きに息を呑む。光る依頼書は、静かに、俺たちの返事を待っていた。


 最初に噴き出したのは、レーヴェだった。


「世界の根源契約の、更新交渉……! うちの案件、ついに世界の仕組みまで来ちゃった」


「詠唱に力が宿るのも、この契約のおかげってこと!? 受ける! 絶対受ける!」とミラベル。「待って、ということは、更新に失敗したら、世界から詠唱が消える可能性も……絶対に、受ける! 丁寧に、受ける!」


「精霊界の懺悔……いえ、告解の風習があるのか、興味深いですね」とエルシー。それから彼女は、少しだけ声を落とした。「……行くなら、出発は、日程の相談をさせてください。懺悔の日課の、繰り越し計算がありますので」。散歩の相手への義理も、几帳面に帳簿に載る。うちの聖女の旅支度は、いつも、そこから始まる。


 俺は、依頼書を、もう一度読んだ。備考欄の『時間は、あります。ただし、丁寧に』。前の依頼書の『時間がありません』と、綺麗に対になっていた。世界というやつは、たまに、洒落た書式を組んでくる。


 それに――指名理由の欄の、あの一文。『言葉と契約を、最も正しく扱う人間』。三年前、瓦礫のギルドで書類の束を抱えていた受付は、まさか自分の几帳面が、いつか世界の根源から名指しされる日が来るとは、思ってもいなかった。人生の書式は、本人の設計より、だいぶ大きく組まれているらしい。


「……一つだけ確認だ。ベッシ。精霊界の日当は、何で支払われる」


 ベッシは、ぷるぷる、と全身を揺らした。翻訳すると「行ってからのお楽しみ」だそうだ。三年前なら、この回答で受注は見送りだった。今は違う。この半透明の窓口とは、三年分の取引実績がある。ベッシの仲介した契約が、こちらに損をさせたことは、一度もない。信用とは、帳簿に積むものである。前払いも相場も不明の案件を、日銭専門のパーティが受けていいものか。事務屋として、判断の基準は決まっている。


 仲間の顔を、順に見た。三人と一匹、全員の目が、もう答えていた。


「レーヴェ。精霊界ってのは、多分、身の上話の宝庫だぞ。太古からの」


「もう荷造りしていい?」


「エルシー。世界最古の契約の、更新実務だ」


「手数料の相場が、存在しない市場ですね。……腕が鳴ります」


「ミラベル」


「言うな。分かってる。――詠唱の故郷だ。行かない理由が、この世にない」


 受注の手続きは、ひと騒ぎだった。依頼主欄「精霊界」の受注票など、ギルドの台帳に前例がない。ミレット先輩は三十秒固まり、それから窓口の顔に戻って言った。「……台帳の依頼主欄、『精霊界(身元保証人・ベッシ)』でいいのね? 手数料は?」「先方に確認する」「確認できるのがもう変なのよ」。ぼやきながらも、先輩の手は受注印を捺していた。窓口とは、前例のない依頼を、前例にする場所である。俺の古巣は、今日も正しく窓口だった。


「――受注だ。契約書の草案は、今夜中に書く。世界で一番古い契約の更新だ。……様式には、気合いを入れるぞ」


 うちは、日銭専門だ。海のこちら側でも、向こう側でも――そして、どうやら、世界の内側でも。


 その夜、俺は草案の筆を執る前に、帳簿の頁を一枚だけ繰った。三年前の最初の頁。『被害総額、金貨八百枚』から始まった、うちの帳簿。借金で始まった帳簿は、二つの大陸の和平を経由して、今夜、世界の根源契約の受注で、新しい章に入る。数字の向こうに、ヴァルガの窯の火と、灯台の灯りと、夜明け色の広場が、順に灯って見えた。


 悪くない帳簿だ。続きを、書きに行こう。


 依頼板の上で、ベッシが、これまでで一番大きく、跳ねた。


(第二部・後日談 完)

第二部、これにて完です。第三部は10月18日18時30分から。

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