後日談・第9話 師弟と、一分の黎明
前回:「後日談・第8話 書式論争、上陸す」
「発表する! 師弟共同研究、『応答詠唱』!」
荒野の訓練場に、ミラベルの宣言が響いた。聴衆は俺たち三人と、ベッシと、見物の岩兎が数匹(この訓練場の岩兎は、代替わりしながら三年、詠唱を聞いて育っている。大陸一、詠唱に詳しい兎たちである)。
傍らには白い法服の弟子。二人はこの数ヶ月、初級詠唱の学び直し(師匠は結局、初級完唱に五日と、プライドの再構築に十日を要した)と並行して、一つの研究に没頭していた。
着想は、『黎明』の最終節だ。「すべての聞く者に問う」――問いで終わり、応答で完成する魔法。あの構造は、超級だけの特権なのか? 詠唱魔法(自前で完結、ただし長い)と、精霊魔法(一瞬、ただし借り物)の、間の道はないのか?
研究の看板は、荒野の小屋に掲げられた。『詠唱研究所(仮)』。所員二名、来客用の椅子三脚(見学者用。カイン、時々俺、時々エルシー――懺悔の散歩の途中で寄るらしい)。研究の原資は、解体業の日当である。学問が日銭で回っている構図は、うちの経済圏の伝統だ。
研究は、当然のように、失敗から始まった。試作一号は、問いの節が曖昧すぎて、何も起きなかった(「問いが漠然としてると、聞く側も答えようがない。会議と同じだね」と師匠)。試作二号は、逆に問いが具体的すぎて、応えた三人の思い浮かべた「火」が混ざり、鶏の丸焼きの形の火柱が立った(腹が減っていたらしい。三人とも)。試作三号は問いの直前で弟子が噛み、四号は師匠が問いに自分で答えてしまい(「術者は応答者になれない」という重要な発見ではあった)、五号は通りすがりの岩兎が応えてしまって、兎の望む「にんじん」の形の光が灯った(動物も応答者になれる。これも発見である。論文が一本書けるとフィンは息巻いた)。試作七号でようやく、骨格と問いの釣り合いが取れた。失敗の記録は全部、二冊の手帳に、几帳面に並んでいる。師弟の研究とは、手帳が二冊になった記録のことである。
途中、行き詰まった時期もあった。骨格の詠唱が、どうしても一分半を切れなかったのだ。悩む弟子に、師匠は自分の手帳の古い頁を開いて見せた。三パーセントの頁である。「行き詰まった時はね、弟子よ。数字の伸びない日の記録が、一番の薬なんだ。見ろ、私の三年。五十一の次の日は四十四だ。落ちて、また書いて、それでも百に届いた。……お前の一分半も、いつか一分になる。記録を、やめなければ」。フィンはその夜、師匠の手帳の三年分を、最初から最後まで、正座して読んだという。
「答えは、これだ! 詠唱で魔法の骨格だけを組み、最後の一節を『問い』で開いておく! 問いに応えるのは、精霊でも、術者でもなく――その場にいる、聞く者たち! 名付けて、応答詠唱!」
「詠唱時間は骨格分の一分だけ! 威力と彩りは、応える人の数と心で決まります!」とフィン。「精霊魔法の速さと、詠唱魔法の自前さの、ちょうど中間。両方の大陸で修行した僕たちにしか、組めなかった様式です!」「精霊に借りない、一人で完結もしない――みんなで完成させる魔法です!」
命名を巡っては、師弟で一悶着あった。フィンは「ミラベル式」を主張し、師匠は「師弟連名が様式の筋」と譲らなかった。「僕は骨格を書いただけで、着想は師匠の」「着想は『黎明』の、つまり大昔の誰かのだ。私たちは二人で、埃を払っただけ。……いいか弟子よ。様式ってのはね、誰の手柄かじゃなく、誰が使えるかで残るんだ。連名にしておけば、次の弟子が、三人目の名前を継ぎ足せる」。弟子は、その晩の日記に「師匠はやっぱり、すごい人で、変な人だ」と、いつもの結論を書いたそうである。
初披露の場は、講和条約(仮)締結二周年の記念式典に決まった。夜、王都の大広場。壇上に師弟が並び、リドが(もはや公式の役職と化した)実況を執る。魔導院の長老たちも観測に来た。例の、実測に転んだ長老たちである。「様式名は決めたのかね」「『ミラベル=フィン式・応答詠唱(仮)』!」「また(仮)か……」。定着してから外せばいい。外れた例がないのは、この際、忘れる。
式典の広場は、三年前の復興祭と同じ顔ぶれで埋まっていた。ヴァルガの屋台、ルル座の面々、休暇を取ったゴードン(雛たちはもう親鳥で、二代目の巣が肩にある)、講和の当事者たち。九分五十一秒の花火を「待つ」文化は、もうこの街の年中行事だ。その広場に、今夜は新しい様式が披露される。
「これより、師弟による祝祷魔法! 詠唱時間、一分! ただし皆さん――最後に、問いが来ます! 応えは、ご自由に!」
一分の詠唱は、あっという間だった。フィンが骨格を組み、ミラベルが重ねる。師匠の低い声と弟子の高い声が、一つの様式の上で編み合わさる。そして二つの声が揃って、開いた。
「「――今、すべての聞く者に問う。この夜に、何を灯す!」」
問いの節が広場に渡った瞬間、俺は懐中時計を確かめた。詠唱、一分ちょうど。三年前、十一分三十八秒を全員で稼いだあの夜から、詠唱は九分五十一秒になり、十三分の黎明を経て、いま、一分と、みんなの一言になった。短くなったのではない。分担が、広くなったのだ。
一拍の沈黙。最初に応えたのは、やはり子供だった。「ひかりー!」。それから、笑い声とともに、思い思いの声が広場を埋めた。三年前、詠唱の経過を数えて育った子供たちは、もう、応え方を知っている世代になっていた。「花!」「星!」「でっかいの!」「うちの店の看板!」(商魂)。
夜空に、応えの数だけ、光が咲いた。花の形、星の形、でかいだけの形、そして広場の東の空には、誰かの店の看板の形(後日、宣伝効果を巡ってひと悶着あった)。統一感は皆無で、しかし王都の歴史で一番、笑い声の多い夜空だった。魔導院の長老たちは、ばらばらの光の乱舞を観測記録に取りながら、一人は笑い、一人は泣いていた。「七百年前の文献の続きが、また一行、実証された。『魔法は本来、祝いの技であった』――そして祝いとは、皆でやるものであった、と」。
打ち上げの後、フィンが夜空を見上げたまま、言った。
「師匠。僕、分かった気がします。詠唱の長さって、欠陥じゃなかったんですね。……待ってもらう時間も、問いに応えてもらう一瞬も、全部――魔法を、独りのものにしないための、余白だったんだ」
「ふ……三年かかって私が辿り着いた境地に、半年で来るな、弟子よ」
「あと、もう一つ。……僕、この大陸に来てよかったです。海の向こうで詠唱を笑った日の僕に、教えてやりたい。お前が笑ったその長さの中に、お前の探してるもの、全部入ってるぞって」
「ふふん。なら、次に詠唱を笑う若造が現れたら、お前が教えてやれ。……回すんだよ、そういうのは」
「正座の成果です」
「正座は関係ない」
「言い出したの師匠ですよ!?」
その夜、ミラベルの手帳には、新しい頁が増えた。自分の進捗の隣に、もう一列。『弟子・フィン。応答詠唱、初完唱。進捗、百』。先生の手帳に、なっていた。
後日、この様式は魔導院の正式記録に登録された。『ミラベル=フィン式・応答詠唱(仮)』。(仮)は、やはり取れなかった。長老たちは今度は怪訝な顔をせず、「伝統というものだろう」と受理したという。三人目の名前の欄は、空けてある。いつか、あの綴りの厚い「弟子の会」の誰かが、埋めるのだろう。
次回「後日談・第10話 二つの大陸と、一枚の依頼書」は、10月17日(土)18時30分更新です。




