後日談・第7話 ルル座『黎明』
前回:「後日談・第6話 決闘の続きと、飯」
劇団ルル座の新作は、告知の貼り紙だけで、王都のひと月分の話題をさらった。研究生たちも育っていて、今作から、群衆の場面は研究生総出で演じられる。座員一名は据え置きだが、舞台の上の人口は、確実に増えている。「一人で三十一役やるより、三十一人で見た同じ夜を演る方が、嘘が少ない」というのが、近頃の座長の演出論である。
『新作――『黎明』。海の向こうの、まことの話。座員一名、配役三十一』
前売りは初日の朝に完売し、二週目からは夜明け広場ならぬ「夜明け席」(舞台の黎明の光が一番よく見える二階正面)が、プレミア価格で取引される騒ぎになった。メルヴィナ商会が転売の仲介を始めようとして、座長に「席は、観たい人のもの」と一蹴されたのは、いつもの光景である(金鱗の女王は「……興行主として満点の判断よ。悔しいけど」と唸っていた)。
脚本の元は、俺の完了報告書と、セレンから取り寄せた記録だった。東の当事者たちには、書面で上演許可を取った。バウ爺は「儂の嘘まで演るなら、ケチな美化はするな」と一筆添えて快諾し、セレンは「私の役の眼鏡の位置は、右にずり下がる癖まで正確に」と注文を付け(自分の癖を自分で指定する几帳面である)、シアさんの返事は例の一行だった。灯りの磨き方だけは、正確に。
取材は徹底していて、ルルは俺のところに七回、聞き取りに来た。「その時、法術士どのの指は、どの頁の上にあった?」「傭兵王の笑い方は、喉からか、腹からか」。役者の質問は、報告書の書式が拾わない場所ばかりを突いてくる。七回目の帰り際、ルルは言った。「報告書は、事実の記録。芝居は、事実の体温の記録。両方揃って、初めて『まことの話』だ」。うちの記録係の職分を、役者に半分持っていかれた気分だった。悪くない半分の持たれ方だが。
ルルは三月かけて台本を練り、初日の幕を開けた。
舞台のルルは、化けた。老獪な水先案内人に。生真面目な法術士に。傭兵王に、若き王太子に、老王に。そして――三十年、灯りを守り続けた、灯台守に。
水先案内人の告白の場面は、圧巻だった。三十年の嘘を語る老人の声が、一つの台詞の中で三度、変わる。商人の声から、水夫の声へ、そして最後は、ただの疲れた男の声へ。楽屋で聞いたら、ルルは事もなげに言った。「あの人の三十年には、声が三つ埋まってた。順番に、出しただけ」。役者の耳は、告白の地層まで聞き分けるらしい。
俺の役も、当然、出てきた。今回の「事務屋」は、契約書の朗読ではなく、実況の場面が見せ場に組まれていた。ルル演じる俺が「経過七分!」と叫ぶたび、客席が芝居と分かっていて、それでも一緒に時間を数える。千秋楽では、客席の方から「あと六分!」と合いの手が入った。芝居の中の広場と、劇場の客席が、同じ拍子で待っていた。……ちなみにルルの俺は、本物より三割、声が良かった。抗議したら「役作りで美化した。感謝しろ」と返された。役者に勝てる気がしない。
十三分の詠唱の場面は、今回は暗転にしなかった。舞台の上で、ルル演じるミラベルが本当に十三分、詠唱の芝居をやり、その間、客席の時間も一緒に流れる演出だった。「観客に、あの広場の十三分を、体験してもらう」という座長の狙いである。初日の客席は最初ざわつき、五分で静まり、十分を過ぎると、あちこちから小さく、あの子守唄の旋律が漏れた。台本にない合唱だった。ルルは後で「あれが、この芝居の完成形。毎晩、客席が完成させてくれる」と語った。問いで終わる魔法の芝居は、客席の応えで完成する。本歌取りとして、完璧である。
俺は千秋楽を、少し特別な席で観た。隣に座っていたのが、東大陸からの旅行者夫妻――もとい、旅行者二人組だったからだ。潮灼けした灯台守と、王を辞めたばかりの見習い。「三十年ぶりの、初めての旅」なのだそうだ。行き先を西大陸に決めた理由を、シアさんは「妹が船を出すとうるさいから」と言ったが、懐には、ルル座の初日の瓦版が、大事に畳んで入っていた。
開演前、俺は隣の二人に、少しだけ迷って、聞いた。「自分の三十年を、他人が演じるのを観るのは……つらくは、ないですか」。シアさんは、前を向いたまま答えた。「つらかったら、席を立つさ。灯台守は、引き際の判断だけは、玄人なんだ」。立たなかった。最後まで、一度も。
舞台は、進んだ。灯台の場面で、劇場は水を打ったようになった。ルルの演じる灯台守が、柱に刻み目を刻む。一本、また一本。客席のあちこちから、洟をすする音がした。俺の隣の本物は、身じろぎもせずに、自分の三十年が演じられるのを、見つめていた。約束通り、灯りの磨き方だけは、完璧に正確だった。隣で本物の指が、無意識に、磨きの手つきをなぞっていたから、間違いない。
終幕、舞台の空が黎明の色に染まる。仕掛けはミラベル監修の照明魔導具で、本物の百分の一の淡さだが、客席は毎晩、あの色に息を呑む。実物を見た俺でさえ、喉の奥が熱くなった。芝居の黎明は、記憶の黎明を、呼び起こすのだ。
カーテンコール。万雷の拍手の中、素顔に戻ったルルが、客席を見渡し――そして、気づいた。二階席の、あの二人に。
誰でもない者を三十年やってきた役者は、死んだことにして三十年生きた人に向かって、舞台の中央から、深く、深く、一礼した。
客席が、何事かとざわめく中、シアさんは、静かに立ち上がって、拍手を送った。長い、長い拍手だった。隣の見習い(元・王)も立ち、二人分の拍手が、やがて客席全体を立たせた。誰も、二階の二人が誰かを知らないまま、全員が、同じ方向へ拍手をしていた。知らないままでいい拍手というのも、世の中には、ある。
終演後の楽屋で、二人は少しだけ、話した。俺は廊下で待っていたので、切れ端しか聞いていない。ただ、シアさんの声が、扉越しに一度だけ、はっきり聞こえた。
「……あたしの三十年は、あんたの舞台ほど、綺麗じゃなかったよ。もっと臆病で、もっと、みっともなかった。……でもね。あんたが綺麗に演ってくれたおかげで、あたしは今夜、初めて、自分の三十年を、他人事みたいに眺められた。眺めてみたら――案外、悪くない三十年だった。……ありがとうよ、役者さん」
帰り際、ルルは俺に、ぽつりと言った。
「僕はずっと、誰かに『なる』ことしかできないと思ってた。でも今夜分かった。誰かを演じることは……その人に、その人自身を、返すことでもあるんだね」
「返された側の顔、見たか」
「見た。……あの顔が見たくて、僕は多分、この稼業をやってる。エルシーどのが名前を返してくれた日の、僕の顔と、同じ顔だった」
旅の二人は、王都に十日、滞在した。ヴァルガの一号店で焼きたてを食い、ユーリスの授業を参観し(三百年の魔王と三十年の灯台守の対面は、静かで、深かった。「長い勤めでしたな」「そちらこそ」。それだけで、通じる者同士だった)、最終日には、エルシーの回復所に寄った。シアさんは診察台には座らず、帳場の前で銅貨三枚を置いて、一言だけ告げたという。「三十年の懺悔の、続報だ。――あたしは今、幸せにやってる。以上」。世界一短い、世界一上等な懺悔だった。聖女は「確かに、記帳しました」と、手帳に一行、書いたそうだ。
次回作の構想は、もう決めているらしい。演目は『(仮)』。配役、四。
全力で、止めようと思う。
次回「後日談・第8話 書式論争、上陸す」は、10月15日(木)18時30分更新です。




