後日談・第6話 決闘の続きと、飯
前回:「後日談・第5話 灯台の業務日誌」
海峡救難隊が、西大陸との「合同救難訓練」のために海を渡ってきたのは、秋口のことだった。名目は技術交流。実態も技術交流である。西には山と川の救難の年季があり、東には海のそれがある。互いの現場の知恵を交換する、実に真っ当な企画だ。企画書を書いたのは俺で、両大陸の判を集めるのに二月かかったが、その苦労は初日の午前で報われた。東の隊員が投げ縄の角度を直され、西の隊員が離岸流の読み方を教わり、昼飯の頃には、言葉の訛りごしに専門用語が飛び交っていた。現場の人間は、仲良くなるのが速い。命を拾う商売同士、話が早いのだ。
ゴードンの門を陸路で抜けてきた一行の先頭には、当然のように、あの大男がいた。
「――よう、調停屋。貸しを、取り立てに来たぜ」
ジグである。決闘の続きの貸し。忘れるはずもない。レーヴェは訓練初日の全日程が終わるなり、剣を提げて、演習場の中央に立った。
「場所、ここでいい?」
「上等。……得物は、あの日と同じでいいな」
「うん。あ、でも一つだけ、あの日と違うこと、していい?」
「あん?」
「今日は最初から、楽しんでやる」
観客は、両大陸の救難隊員と、うちの面々と、なぜか「勉強のため」と称して初級パーティを引き連れて見学に来たカイン(「師匠の全力、弟子として見届けます!」)。フィンまで正座で最前列に陣取った(この少年の正座は、もはや観戦の作法として定着しつつある)。得物は真剣、決着は降参か続行不能。あの日の闘技場の続きが、海を越えて、始まった。
訓練の中身も、記録しておく価値がある。初日の目玉は「殺さない制圧」の講習で、講師はレーヴェ。暴れる遭難者(溺れる人間は、助けに来た者にしがみついて共倒れになる)を、傷つけずに確保する技の体系である。東の隊員たちは半信半疑で受講し、実技で全員、畳の上に優しく転がされて、信者になった。二日目は東側の講習で、演目は「海獣との間合い」。ドレン村以来の実地の蓄積は、もう西の教本を超えていた。教えて、教わって、夕方には互いの技を混ぜた新しい型の議論が始まる。技術交流とは、こういう速度で進むものだ。政治の百倍速い。
三日目の夕方、全日程が終わった。そして、あれが始まった。
初手から、飛ばした。ジグの大剣が唸り、レーヴェの剣が閃き、演習場の砂が舞った。半年前と違うのは、二人とも、あれから救難の現場を潜ってきたことだ。ジグの剣には「壊さない捌き」が増え、レーヴェの剣には、東の海で覚えた波の間合いが混ざっていた。剣は、持ち主の半年を、全部憶えている。
「腕を上げたな、剣士!」
「あんたもね、隊長!」
三十合を過ぎたあたりで、観客の質が変わった。歓声が消え、技の解説の囁きだけになったのだ。カインは弟子たちに「見ろ、今の受けは、剣じゃなくて足で受けてる」と早口で講釈し、フィンは正座のまま「あの二人の魔力、戦ってるのに、全然、尖ってない……」と唸っていた。敵意のない全力というものを、少年たちは目に焼き付けていた。あれが見られただけで、この訓練の企画書は、元が取れたと思う。
――結論から言うと、勝負は、百三合目でついた。
ついた、というか、終わった。百三合目、二人の剣が真っ向から噛み合い、鍔迫り合いのまま、ぴくりとも動かなくなったのだ。十秒。二十秒。観客が息を呑む中、先に口を開いたのは、ジグだった。
「……おい。腹、減らねえか」
「……減った」
「じゃあ、飯だな」
「飯だね」
二人は同時に剣を引き、同時に鞘に納めた。観客、大ずっこけである。カインが「決着はァ!?」と叫んだが、当人たちは涼しい顔だった。
「なんでですか! あと一合で決着だったかもしれないのに!」
「カイン、あんた、まだ分かってないね」レーヴェが、汗を拭いながら笑った。「決着ってのはさ、つけたい相手と、つけたくない相手がいるんだよ。……この人との立ち合いは、決着がついたら、終わっちゃうでしょ」
「馬鹿野郎、これは決闘じゃねえ。ただの稽古だ。決闘の貸しは、まだ生きてる」
「そうそう。貸しは大事に取っとくもんだよ。……また取り立てに来なきゃいけなくなるからね」
永久に更新される貸しであった。うちの(仮)と、同じ種類の永久である。
夜は、ヴァルガの店を借り切っての宴になった。西の酒と、少し甘めのパンと、両大陸の救難自慢。救難自慢というのは独特の様式で、「どれだけ危なかったか」ではなく「どれだけ無事に済んだか」を競う。「うちは去年、時化で漁船三隻、全員生還」「うちは崖崩れで一村まるごと、怪我人五名止まり」。死ななかった話ばかりで盛り上がる酒場は、世界にそう多くない。いい商売を選んだものだと、隅で聞きながら思った。全員、もとは戦で食っていた男たちである。ジグはヴァルガと初対面で、しばらく値踏みし合った末、「あんた、いい翼だ」「あんた、いい背中だ」という、武骨者同士の最短の挨拶で杯を合わせた。元四天王と傭兵王、戦場で会っていれば死闘になった二人が、パン屋の椅子で救難話に花を咲かせている。三年前の世界のどこを探しても、なかった光景だ。
宴の途中、ジグは俺の隣に座り、珍しく、しんみりした声で言った。「なあ調停屋。うちの若いのが先月、初めての殉職を出さずに一年を越えた。団の歴史で、初めてだ。……壁の得物が、一年、増えなかった。あの壁を見るたび、儂はあんたの計画書を思い出す。五分の一って数字を、な」。数字は、正しかったですか、と聞いたら、彼は麦酒を呷って答えた。「数字より、よかった」。事務屋として、これに勝る監査結果はない。
カインとフィンの「弟子の会(仮)」は、この夜、東の会員を獲得した。ジグの団の給仕の少年――今は救難隊の見習い記録係――である。三人は隅の卓で「師匠・隊長の変なところ」の情報交換に没頭し、時折、爆笑していた。将来が楽しみなような、恐ろしいような綴りが、また厚くなった。
宴もたけなわの頃、ジグがふと、レーヴェの腰の剣に目を留めた。
「……研ぎが、変わったな。刃筋が前より静かだ」
「うん。いい砥石をもらったから」
レーヴェは、剣を少しだけ抜いて、灯りにかざした。あの砥石で研いだ刃が、酒場の灯を、柔らかく返した。
「いい剣だ」
「いい砥石だよ」
「……礼は」
「言わない約束でしょ、そういうのは」
「だな」
それだけだった。それだけで、この二人には、全部だった。武骨者の距離は、拳一つ分と、砥石一つ分。丁度いいのだと思う。
翌朝の見送りには、意外な餞別が飛び交った。ヴァルガから救難隊へ、保存の利く堅パンの新作(海水を被っても三日保つ。海の男のための配合だそうだ)。救難隊から店へ、東の酵母の株。うちのエルシーからは、両大陸共通様式の救難記録簿の雛形(「記録が揃うと、次の訓練の教材になりますので」)。技術交流の締めが物々交換というのは、原始的で、しかし一番確かな外交である。
帰りの門で、ジグは俺にだけ、ぼそりと言った。「爺さんが、よろしくと言ってた。防災ギルドの帳簿、初年度から黒字だとよ。……戦の匂いのしない黒字は、生まれて初めてで、落ち着かねえそうだ」。慣れてもらうしかない。これから先の黒字は、全部その匂いだ。
次回「後日談・第7話 ルル座『黎明』」は、10月14日(水)18時30分更新です。




