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後日談・第4話 名簿の朝(セレンの手紙)

前回:「後日談・第3話 弟子、海を渡る」

冬の初めの定期船が、東からの郵便袋を運んできた。袋の中の一通は、群青のインクの、定規で引いたような手蹟だった。俺は帳場の隅で封を切った。読み終わるまで、茶が冷めるのも忘れていたことを、先に白状しておく。


『リド殿


 定期報告、第四信。運用細則の改定案三点は別紙の通り――なのですが、今回は先に、条文の外の報告をお許しください。


 昨日、和平宣誓書・追悼章に基づく、第一回の名簿読み上げ式が、夜明け広場で執り行われました。


 式の三日前、名簿の最終校正を、私は三人でやりました。私と、ヨエル殿と、灯台守どのです。三十年の当事者たちと、五百十九の名を、一つずつ指で追って。誤字は、二つ見つかりました。二つとも、直しました。名前の誤字は、二度と、許されない帳面ですので。


 名簿は、この半年で完成しました。両国の役場、教会、村の墓守、行商の記憶まで訪ね歩いて、三十年間の国境紛争の死者、四百十二名。それから、私が起草段階で追加した「戦ならざる死」の章に、宙吊りの三十年が奪った人々、百七名。合わせて五百十九名。一名分の調査に、平均で四日かかりました。名前の綴りが分からず、村の古老を三人訪ねた名もあります。手間でした。手間であるべきだと、思いました。人ひとりの名前は、それだけの手間に、値します。


 製本の費用は、全額、防災ギルドのヨエル殿――バウ爺が、私財から出されました。「儂の三十年の儲けの、正しい使い道が、やっと見つかった」と。表紙の革は、彼が自分で鞣したそうです。水先案内人は、革の扱いも心得ているのだと、初めて知りました。


 式の前夜、両国の瓦版は、名簿の話で埋まりました。批判も、ありました。「今さら名を読んで何になる」と。式の朝、その批判を書いた瓦版屋が、広場の隅に取材に来ていて、自分の祖父の名が読まれた時に、帳面を取り落として泣いているのを、私は見ました。何になるか、は、なってみるまで、本人にも分からないのです。


 朝の広場には、屋台が一つも出ませんでした。ドナ議長が商人評議会に「本日の商いは、式の後から」と通達したのです。夜明け広場が、商いの音のしない朝を迎えるのは、あの大潮の日以来でした。静けさにも、種類があります。あの朝の静けさは、二十万人分の、姿勢を正す音でした。


 式の朝、広場は、両国の遺族で埋まりました。ドルン前王とセラフィナ様は灯台の業務(後述の通り、お二人は最近、共同の業務をお持ちです)を理由に列席を辞退され、代わりに灯台の灯りが、式の間じゅう、昼にもかかわらず点されていました。ミレイユ女王とギレン王太子は、王としてではなく、遺族席の末席に、私服で座られました。「今日の主賓は、名簿の中の五百十九名だ」というのが、王太子の弁でした。


 読み上げ役は、私が拝命しました。


 名簿の一番最初の名は、約束通り、あの日、詠唱の途中で声を上げたお父上の、息子さんの名でした。私が読み上げると、お父上は帽子を胸に当てて、隣に立つ南の漁師の方と――あの日、肩を支えた方だそうです――二人で、頭を下げておられました。式の後、お二人は連れ立って酒場へ行かれたそうです。三十年前なら、あり得なかった組み合わせの、献杯です。


 読み上げの途中、こんなこともありました。北の兵の名を読んだ時、遺族席の二箇所から、同時に立ち上がった方がいたのです。北の母親と、南の母親でした。同じ名前だったのです。国は違えど、同じ聖人にあやかった、同じ名。お二人は式の後、互いの息子の話を、長いことしておられました。別れ際に抱き合っておられたことも、報告いたします。名簿は、死者を数える帳面ですが、時々、生きている者同士を、引き合わせもするようです。


 四百十二の名を読み、それから、「戦ならざる死」の章に入りました。


 その章の、三番目に、父の名があります。


 港湾書記官、マルク。読み上げる直前、一度だけ、声が出なくなりました。広場は、待ってくれました。あの十三分を待ったのと、同じ待ち方で。ですから私は、読めました。二十年間、うつむいて口にしてきた父の名を、生まれて初めて、顔を上げて、公の広場で、誇りとともに。


 読み終えた時、遺族席の端で、灯台守どのが立ち上がり、深く一礼されるのが見えました。式の後、彼女は私に、白湯を一杯、差し出してくださいました。「規則ですので」という顔で。……私は法術士ですので、公の場では泣きません。白湯が少し、しょっぱかっただけです。


 名簿は、両国の議事堂に一冊ずつと、夜明け広場の碑の下に一冊、納められました。碑の設計は、防災ギルドの寄進です。碑文は一行だけ。『この名簿に、名の加わらぬ年が、続きますように』。来年も、再来年も、読み上げは続きます。読み上げ役は、両国の若い書記が、交代で務める規程にしました。私が読み続けては、いつか式が、私のものになってしまう。式は、名簿の中の人々のものであるべきなので。


 名のつかない死者は、あの日で最後になりました。あなたの条文と、私の四十二条は、正しく、動いています。


 近況を、もう少しだけ。ギレン王太子は、開戦演説の名手から、更新条項の伝道師に転身されました。「十年後の更新の儀を、私の代の最初の大仕事にする」と、早くも両国の学校を回って、和平の条文の授業をしておいでです。演説の腕は、平和の側でも一級品でした。ドナ議長は夜明け広場の観光収入で評議会の財政を立て直し、「戦争より和平の方が儲かると、帳簿で証明できた。儂の代の誇りだ」と豪語しておられます。ヨエル殿の防災ギルドは、来月、海難救助の学校を開きます。教材の一枚目は、あの三十五年前の海図の写しだそうです。「古い地図の恐ろしさを、最初に教える」と。


 この大陸は、ゆっくりと、しかし確かに、和平の運用期に入りました。起草より、運用の方が、地味で、長くて、そして尊い。父がやっていたのは、こういう仕事だったのだと、いまさら、分かります。


                   和平法術士 セレン


 追伸の前に、もう一行だけ。式の帰り、碑の前で、小さな女の子が母親に聞いていました。「この下の帳面には、なにが書いてあるの」。母親は答えました。「わすれちゃいけない名前が、ぜんぶ」。……条文の最終的な運用先は、ああいう会話なのだと思います。


 追伸。今日の潮風は、乾いていて、書類日和でした。

 追伸の二。読点の位置で、あなたの近況を推測する癖がつきました。第三信は、お疲れだったでしょう。

 追伸の三。「遠距離の共同起草は可能か」の論争、私は着々と論拠を集めています。そちらの準備は、いかがですか。

 追伸の四。父の名誉回復の公文書、正式に発布されました。あなたの設計した手続きの通りに。……この一行を書くために、この手紙は、四日、遅れました。書けるようになるまで。』


 ――返信は、その夜のうちに書いた。運用細則への回答が本文で、追伸が三行。一行目、名簿の式の報告への礼。二行目、マルク書記官の名誉回復への祝意(これは書くのに、一番時間がかかった。短い祝いの言葉ほど、難しい)。三行目、「三箇年計画の初年度実績報告を、楽しみにしている」。書き終えて読み返し、追伸の三行目だけ、少し長いことを確認して、そのまま封をした。読点の位置で推測されるなら、隠しても無駄なのである。

次回「後日談・第5話 灯台の業務日誌」は、10月12日(月)18時30分更新です。

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