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後日談・第3話 弟子、海を渡る

前回:「後日談・第2話 西大陸初の精霊」

帰港から二月後、貨物船の乗客名簿に、その名はあった。


 船旅の三十日を、フィンは無駄にしなかったらしい。乗り合わせた商人に西大陸の言葉の訛りを習い、船員に結び方を習い、揺れる船倉で正座の記録を更新した。神童の学習速度は、対象が何であれ、化け物である。


「――弟子入りに、参りました!!」


 ギルドの扉を蹴破る勢いで現れた白い法服の少年は、桟橋の端で正座していた時と寸分違わぬ目をしていた。精霊魔導院の神童フィン、十五歳。片道三十日の船旅を、詠唱書の写本三冊とともに越えてきたという。聞けば、魔導院は最後まで引き留めたそうだ。神童の海外流出である。フィンは辞表代わりに「詠唱魔法研究のための留学願」を提出し、院の長老たちを「留学……留学ならば……」と唸らせて渡ってきた。書式で外堀を埋める技を、どこかで覚えてきたらしい。誰の影響かは、考えないことにする。


「ふ……ふふ……よく来た、弟子よ!」


 ミラベルの機嫌は、天元突破した。人生初の弟子である。ただし、入門の前に、事務が挟まった。俺の起草した「弟子入り契約書」である。修行内容、危険への同意、生活の面倒の分担、そして破門と退門の手続き(様式第一号の精神は、師弟関係にも適用される。辞める自由の保証されていない入門を、うちは認めない)。特筆すべきは義務の欄で、弟子の義務が三項なのに対し、師匠の義務は七項ある。「毎日の記録を確認する」「弟子の暴発の際は身を挺して逃がす」「威厳を保つ努力をする」等々。ミラベルは第七項に抗議したが、フィンが「必要だと思います」と即答したため、可決された。彼女は威厳めいたものを総動員して、修行課程を言い渡した。


「第一課、十一分の正座!」


「船の中で毎日やってきました。今は十五分いけます」


「じゅ、準備がいいな……で、では第二課、詠唱の書き取り! 『終焉』全文、写本百回!」


「三十回まで終わってます。写本、持参しました」


「……第三課」


「はい!」


「……初級魔法の、基礎詠唱から」


「はい! お願いします! ――で、師匠。初級の詠唱書は、どちらに」


 沈黙が、流れた。ミラベルの目が、泳いだ。


「…………ない」


「え」


「私は、超級しか、覚えていない。初級を……や、やったことが、ない」


「基礎がないんですか師匠!?」


「うるさい! 詠唱は心だ! 心があれば初級などいつでも――」


「じゃあ今やってみせてください」


「――というわけで、明日から一緒に初級を学ぼう、弟子よ」


「師弟同期入学じゃないですか!!」


「同期は仲間だ! 仲良く学ぼう!」


「開き直りが早い!」


 かくして、荒野の訓練場(人家から五キロ)には、師弟が並んで初級詠唱書を音読する、微笑ましくも締まらない光景が出現した。朝は素読、昼は実技、夕方は魔力の計測と記録。記録の手帳は、弟子にも一冊、支給された。「解体の弟子たちと同じだ。詠唱は、記録だ。毎日測って、毎日書く。帳面が一冊埋まる頃には、身体が覚えてる」。師匠の教えの中身は、実のところ、全部本物なのである。教える側の初級が未修だっただけで。


 ちなみにフィンは、初級火球の詠唱(三十秒)を三日で完唱した。ミラベルは五日かかった。理由を問われた師匠は、胸を張って答えたという。


「短い詠唱は、逆に、間が持たない」


 なお五日目の初級完唱の瞬間、荒野には小さな火球がぽんと灯り、師匠は「進捗百! 初級火球!」と、超級完唱の日と寸分違わぬ声量で叫んだ。手帳にも、同じ大きさの字で書いた。進捗の百に、大小はないのである。その姿勢だけは、弟子も真顔で敬礼していた。


 弟子は、その日の日記に「師匠はすごい人だが、変な人だ。両方本当なのが、一番すごい」と書いたそうだ。概ね、正しい。


 師匠の威厳が復権したのは、入門から半月後だった。魔王城(元)の改修で、古い尖塔の精密解体の依頼が入り、師弟で現場に出たのだ。ミラベルは詠唱二パーセントの漏れ魔力だけで、高さ三十メートルの塔を、崩す順番まで指定して、音もなく畳んでみせた。埃の一筋まで、狙った方向へ。フィンは、開いた口が塞がらなかった。


「師匠……今の、精霊魔法でも無理です。制御の桁が、違う」


「ふ。百七回の暴発と、百九回の完唱の間にはね、弟子よ。百七回ぶんの『逃がし方』が詰まってるんだ。……初級は五日かかったがな!」


「そこは威張るとこじゃないです」


 威厳とは、正確さの別名である。多分。


 その帰り道、フィンは解体現場でもらった賃金(弟子の初日当である)を、大事そうに数えていた。「僕、精霊魔導院では給金をもらう側じゃなくて、寄付を集める側の看板だったので……働いた銭って、初めてです」。神童の初日当は、銀貨二枚。彼はそれで、師匠と自分の分の焼き菓子を買った。師匠は「弟子に奢られる師匠がどこにいる」と言いながら、二個食べた。


 西の詠唱文化そのものにも、フィンは片端から驚いた。復興祭の花火の詠唱を、街の人々が「待つ」こと。子供が「いま何分?」と数を覚えること。九分五十一秒が、欠陥ではなく演目であること。「僕の大陸では、魔法は速いほど偉かった。ここでは……魔法は、長いほど、みんなのものになるんですね」。着眼は良い。ただし師匠は「どっちも偉いんだよ。使い分けだ」と返した。無詠唱を笑わない詠唱使いに、フィンは頭を下げた。自分が最初の日に笑った側だったことを、この弟子は一日も忘れていないのである。


 修行の合間、フィンには友人もできた。稽古帰りに寄る酒場で、剣聖の弟子カインと隣り合ったのが縁である。歳は離れているが、境遇は似ていた。天才と呼ばれて型に嵌められかけた者同士、「うちの師匠の変なところ」の情報交換は、いつも尽きないらしい。先日は二人で「弟子の会(仮)」なるものを結成したと聞いた。名前に、うちの呪いが混入している。もう誰にも止められない。会則第一条は「師匠の変なところを、敬意をもって記録する」だそうだ。記録は既に、剣聖の部(傾聴が長くて日が暮れる、燭台に謝る)と魔導の部(初級に五日、威厳の努力義務)の二部構成で、綴りが厚くなりつつある。いつか本になったら、うちの正史より正確な資料になる気がして、俺は少し、怖い。


 入門から三月目の夜、俺はフィンに聞いたことがある。海を渡ってまで、なぜ詠唱なのか、と。神童は、荒野の星を見上げて、こともなげに答えた。


「精霊魔法は、正確に言うと、僕の力じゃないんです。精霊の機嫌が僕に向いてるだけ。あの海の日、初めて断られて、分かりました。借り物の天才って、貸し手の都合で、ただの人になる。……師匠の魔法は、遅くて、不器用で、全部、あの人のものだ。僕は、あれが欲しい。時間がかかっても」


 三十秒の天才が、十三分の魔法に弟子入りした理由として、これ以上のものはないと思う。付け加えるなら、あの海の日、彼を掬い上げた白い奔流の柔らかさを、彼は「毛布みたいだった」と何度も言う。人を害さないことに百七回分の年季が入った魔力の触り心地は、忘れられないものらしい。ちなみにこの話をミラベルにしたら、「ふ、ふふん」と鼻を鳴らして、それから訓練場の隅で、こっそり泣いていた。師匠の威厳の努力義務は、今日も履行が難しい。

次回「後日談・第4話 名簿の朝(セレンの手紙)」は、10月11日(日)18時30分更新です。

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