↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
84/98

後日談・第2話 西大陸初の精霊

前回:「後日談・第1話 ただいまの言い方」

問題は、入国審査で発覚した。


「……あのー、リドさん。この、肩に乗ってる半透明の方は、どちら様で」


「ベッシ。精霊だ」


「せいれい。……当ギルドの入国様式に、種別『精霊』の欄が、ないんですが」


 審査官の困惑は、続いた。「年齢の欄は」「不詳。数百歳の可能性がある」「……職業は」「契約立会人。実績、国際契約二件」「経歴が審査官の私より立派なんですが」。書けるところから書くのが窓口の知恵である。


 ベッシは、船を降りる時、当然のように俺の書類鞄に潜り込んでいた。極上のインクの供給元から離れる気は、最初からなかったらしい。一応、出向元(精霊界)への手続きを確認したら、ベッシは俺の書いた出向命令書の「期間:当面」の三文字を、ぺしぺしと叩いた。当面。つまり、精霊的には手続き済みである。俺の書式が、俺を裏切った。


 審査官は上司を呼び、上司はギルド長を呼び、バッソは俺の顔を見て、全てを察した顔で言った。「……お前が絡むと、入国審査まで前例のない事案になるのか」。なります。実績で証明済みです。


 かくして西大陸は、有史以来初の「精霊の移住者」を迎えることになり、俺は入国様式の改定案を書く羽目になった(種別欄に「精霊」を追加。食性欄に「誓約インク」を新設。身元保証人、俺)。審査官は改定案を受け取ると、書式の出来栄えに三秒見惚れてから、我に返って言った。「これ、前例になりますよ。次に精霊が来たら、この様式で通すことになる」。なればいい。様式は、次の誰かのために書くものだ。


 西大陸に来たベッシの反応は、正直だった。市場の口約束を見ても、光らない。役所の書類を齧って、ぺっ、と吐き出す。この大陸の言葉と紙には、誓いの魔力が、ほとんど宿っていないのだ。精霊のいない土地で、契約は千年、ただの紙と声だった。


「まずいらしい。うちの大陸のインク」


「贅沢な舌ですねえ」


 ベッシの西大陸見聞は、しばらく、うちの日課の見ものだった。教会に連れて行けば、祈祷書の棚の前で長考し(信仰のインクは、悪くないらしい)、ドロテアの巡回に同行させれば、監督官の経費記録簿を一齧りして、深々と頷いた(「経験者の書いた規律は旨い」という趣旨の跳ね方だったとエルシーが訳した。ドロテアは複雑な顔をしていた)。犬のゴードンとの対面では、犬が半透明の相手を三分嗅ぎ回り、諦めて同じ日向に丸くなった。種族の壁を越える最短の手続きは、昼寝である。


 王城見学の折には、事件も起きた。ベッシが公文書館で、あの召喚状――宛名が『パーティ《(仮)》殿』の、三年前のやつ――を見つけて、齧ろうとしたのだ。係官は蒼白になったが、ベッシは一舐めして、そっぽを向いた。歴史的公文書、精霊的には不味かったらしい。「王家の威信が」と係官は呻いたが、あの召喚状に誓いの心がこもっていなかったのは、まあ、当時のうちの扱いからして、事実である。精霊の舌は、歴史の裏まで正直だ。


 ただし、例外はあった。ベッシによる西大陸インクの格付け(跳ねた回数で計測)によれば――役所の公文書、ゼロ跳ね。商会の契約書、一跳ね。エルシーの手帳、三跳ね(心のこもった記録は旨いらしい)。ゴードンの関所の通行記録、三跳ね(三百年物の誠実は、大陸を問わず美味と見える)。そして最高記録は、ミレット先輩が新人のために書いた窓口手引きの、四跳ねだった。「あたしの字が精霊グルメ!?」と先輩は動揺していたが、あの手引きには「新人を絶対に困らせない」という執念が染みている。誓いの味とは、つまり、そういうものらしい。


 住まい探しも、ひと騒動だった。教会は「聖域の一角を」と申し出、魔導院は「研究棟の特等室を」と競い、メルヴィナ商会は「精霊専用倉庫(家賃無料・広告塔兼務)」の企画書まで出してきた。ベッシは全部の候補地を検分して回り、最後に、何の変哲もないギルドの依頼板の上に、ぺたりと落ち着いた。約束が一番たくさん行き交う場所。精霊の住まい選びの基準は、結局、それだけだった。


 やがてベッシはギルドの依頼板の上に住み着いた(板の上が定位置になった。依頼書のインクをつまみ食いするので、掲示係が防護の硝子板を張った。ベッシは硝子の上から日向ぼっこをする分には満足らしい)。そして、ひと月が過ぎた頃――面白いことが起き始めた。ギルドで交わされる契約書が、ほんの淡く、光るようになったのだ。


 最初に気づいたのは、常連の冒険者だった。「なんか最近、依頼を破りにくい気がする」。次に気づいたのは帳場だった。依頼の無断破棄率が、目に見えて下がっていた。罰則が効いているのではない。約束が光る場所では、人は約束を、少しだけ丁寧に扱うようになるのだ。


 効果は、数字の外にも出た。依頼の受け渡しの口上が、少し丁寧になった。「頼んだぞ」が「頼みます」に、「はいはい」が「確かに」に。板の上の小さな目撃者は、何も強制しない。ただ、見ている。「神は見ています」を商売にしてきたうちの聖女は、この現象に深く頷いた。「見られている、と思うだけで、人は少し良くなれるんです。それは監視ではなく――信頼の予行練習です」。


 象徴的な一件があった。実入りの薄い護送依頼を投げ出しかけた行商人が、受注票を返しに来て、票がほんのり光っているのを見て、しばらく立ち尽くし、それから「……やっぱり、行くわ。引き受けたもんな、俺」と呟いて、票を懐に戻したのだ。誰も説教していない。光が、彼の中の何かに、そっと点いただけだ。窓口五年、俺は罰則で約束を守らせる書式を山ほど見てきた。だが、一番強い書式は、約束した本人の心に灯りを点けるやつだと、あの背中が教えてくれた。


「精霊は、誓いの濃い場所に住む。そして精霊の住む場所では、誓いに、力が宿り始める。……鶏と卵か。オルサ大陸も、大昔は、こうだったのかもな」


 依頼板の上の半透明を見上げて、ギルド長のバッソが、しみじみと言った。


「うちのギルド、大陸初の精霊公認施設ってことになるのか。……なあリド、これ、家賃取れるか?」


「精霊から家賃を取った人類初の男になりたいなら、契約書は俺が書きますよ。ただし対価は先方の言い値だ。インクで」


「やめとく。破産する」


「賢明です。あれの舌、うちの帳簿で一番高いインクしか齧りませんから」


「……お前の帳簿、インクに等級があるのか」


「精霊が来てから、つけ始めました。時代の要請です」


 ミレット先輩は、依頼板の新入りと、独自の関係を築いた。朝の開店前、板を拭くついでに、硝子板の上のベッシに「おはよ。今日も頼むわね」と声を掛けるのが日課になったのだ。何を頼んでいるのか聞いたら、「別に。挨拶よ、挨拶。窓口はね、居るもの全員に挨拶するの。あんたが五年やってたでしょうが」。……やっていた。観葉植物(レンタル・故蒸発)にまで挨拶していた。窓口の教義は、精霊にも適用されるのである。ベッシは先輩の挨拶に、毎朝一跳ねで返す。ギルドで一番正しい種族間外交が、あの朝の一秒である。


 なお後日、教会と魔導院から「精霊の観察許可」の申請が殺到し、ギルドの受付には整理券が導入された。依頼板の上の居候は、いまや西大陸で一番忙しい研究対象である。本人(本精霊)は、硝子の上で今日も、上等な依頼書のインクの匂いを検分している。

次回「後日談・第3話 弟子、海を渡る」は、10月10日(土)18時30分更新です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。