↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
83/100

後日談・第1話 ただいまの言い方

ここから第二部の後日談です(全十話)。

◆記録係・リド。


 帰路の三十日は、行きの三十日より、ずっと短く感じた。荷物が軽かったからだと思う。積んできたのは、片付いた依頼の完了報告書と、両大陸の土産と、それから、帰る先のある人間たちの、浮ついた足取りだけだった。


 船上の過ごし方は、相変わらずだった。レーヴェは船員の身の上話の「続き」を半年ぶりに聞いて回り(船乗りの人生は半年で結構動く。コックは結婚していた)、ミラベルは毎朝マストの上で詠唱訓練をし、ただし今回は海鳥が逃げなかった。慣れたのではない。彼女の魔力の逃し方が、また一段、優しくなったのだ。エルシーは、船室で何かをずっと数えていた。聞けば「懺悔の再開日程の組み直しです。半年分、遅れましたので」。三百年待った人の百二十九年に、半年の遅れを几帳面に組み込む聖女であった。


 俺はといえば、帰りの船で一つ、宿題を片付けていた。半年分の経費精算である。二つの大陸、四つの通貨、七十枚の受領書。両替の目減りと、飛竜便の重量課金と、傍聴席修繕費(納得していない)を整理し、最終日、収支は一枚の紙に纏まった。半年働いて、世界を一つ救って、手元に残ったのは、うちの相場通りの慎ましい額。だが帳簿の備考欄だけは、過去最高に賑やかだった。「精霊契約締結」「決闘中断(書類による)」「王二名、灯台守一名との面識」。金にならない資産ばかり増える。うちらしい貸借対照表である。


 三十日の果てに、西大陸の港が見えた時、甲板の全員が、少しだけ黙った。半年ぶりの、見慣れた稜線だった。ミラベルが呟いた。「……変な感じ。あっちの空の色が、まだ目に残ってる」。分かる。人間は、二つの場所を好きになると、どちらにいても、少しだけ、もう片方が恋しくなる生き物らしい。


 港は、騒ぎになっていた。俺たちの乗る金鱗号より早く、瓦版の写しと噂が海を渡っていたらしい。「戦争を、始まる前に終わらせたパーティ、帰港」。桟橋は出迎えの人垣で埋まり、その最前列に――見覚えのある顔が、ずらりと並んでいた。


「パンだ! 焼きたてを三百個持ってきた! 帰港祝いだ!」と翼をはためかせるヴァルガ。「両大陸航路の利益率の報告があるわ。聞きたいでしょう」と扇を鳴らすメルヴィナ(聞きたい。あとで聞いた。えげつない数字だった)。旗を振る劇団員一同を従えたルル。バッソギルド長は腕を組んで頷き、その隣でミレット先輩が「あんたの差し戻しゼロ記録、留守中に新人が破ったわよ」と第一声から容赦がなかった(半年も留守にした俺が悪い。祝いの言葉より効いた)。カインは弟子仲間らしき初級冒険者を三人連れて敬礼し、人垣のどこにもゴードンの姿はなかったが、代わりに関所からの言伝が届いていた。『帰還ヲ確認。本日モ、良イ日、デアル』。


 そして人垣の一番後ろに、所在なさげに立つ、白髪交じりの元魔王が一人。彼の周りでは、生徒たちがぴょんぴょん跳ねていた。


 生徒を引率して港まで来る授業など、あるはずがない。後で聞けば、「社会科見学(航路と物流)」という名目の稟議を、彼は三日かけて起草したそうだ。三百年の魔王をやった男が、半日の外出のために書いた三日がかりの稟議。誰に似たのかは、言うまでもない。うちの書式は、伝染する。


「せんせー、ほら! 船着いたよ!」


「先生、朝からずーっとそわそわしてたもんね!」


「していない。……こら、していないと言っているだろう」


「三回も襟を直してたくせにー」


「四回だよ」


「数えるな」


 三百年の魔王をやり遂げた男が、生徒に襟直しの回数を数えられていた。平和である。


 エルシーは、タラップを降りると、真っ直ぐに、人垣の一番後ろまで歩いて行った。半年分の距離を、三十歩で詰めて、彼の前に立ち、深く一礼した。


「ただいま、帰りました」


「……おかえり。手紙は、全部……その、拝読した」


「はい。お返事も、頂きました。三百年で一番、時間が経つのが遅い、と」


 周りの生徒たちが、しん、と静まった。子供は、大事な場面の匂いに、大人より敏い。一番小さい子が隣の子に「しっ」と言い、全員が固唾を呑んで、先生の返事を待っていた。授業より真剣な顔で。


 ユーリスの顔が、生徒の前で出してはいけない色になった。エルシーは構わず、続けた。いつもの、聖女の営業用ではない、静かな声で。


「あの一行のお返事を、直接申し上げに参りました。――あなたの返信を待つ船の上も、私の人生で一番、時間の経つのが、遅うございました」


 港の喧騒が、二人の周りだけ、遠くなった気がした。ユーリスが何かを言おうとして、言えずに、口を開け閉めしている。三百年を生きた男の語彙が、完全に在庫切れを起こしていた。


「それから、業務のご連絡です。懺悔の続き、明日から再開します。残り、百二十九年分。……半年の中断分の利息は、つけません。そのかわり」


 彼女は、初めて、少しだけ笑った。


「最後の一年分まで、私が伺います。ですので――長生きを、なさってください」


「――ねえねえ今の、声に出して復唱していい!?」


「燃やしますよ」


「手紙を!?」


「あなたをです」


「二回目だよそのやりとり! 定型文になってる!」


「様式化は、うちの家風ですので」


 ミラベルの乱入で、港の時間が動き出した。生徒たちが「せんせい、顔あかーい」と大合唱し、ヴァルガが焼きたての籠を開け、桟橋はそのまま宴になった。


 宴の人垣の中で、俺は一人の行商人と目が合った。特徴のない顔の、どこにでもいる行商人。……どこにでもいる、が過ぎた。俺は近づいて、小声で言った。「座長。変装の腕は大陸一だが、うちの前では無駄です。『どこにでもいる』が完璧すぎる」。行商人はにやりと笑って、一瞬でルルの素顔に戻った。「お帰りの顔を、素の顔で見たくてね。役者の悪癖だ。……いい顔だった、全員。特に聖女どのの」「それは記録しないでやってください」「もう覚えた」。役者は忘れないのである。厄介な観客だ。


 メルヴィナの報告も、宴の隅で聞いた。両大陸航路の初年度利益、想定の二倍半。「あなたたちが向こうで和平を打ち立てるたび、うちの航路の保険料率が下がるのよ。……ねえ、次はどこの戦争を止めに行くの? 先に船を出しておくわ」。商魂と信頼が等分に混ざった、金鱗の女王一流の餞である。


 宴の終わり、バッソギルド長が俺の肩を叩いた。「明日、帰任の面談だ。……と言っても、聞くことは一つよ。次も、うちの窓口から依頼を受けてくれるんだろうな」。もちろんです、と答えた。世界のどこで何を片付けようと、うちの受注窓口は、三年前からあのギルドの依頼板、一つきりである。


 ちなみにその後、俺は王城で完了報告を行った。グレアム王は報告書の『戦争は、始まる前に、終わりました。以上』の一行を三度読み、「……そなたの報告書は、毎度、余の想像の斜め上を最短距離で通る」と唸り、それから五回目の宰相勧誘をした。五回目の「定時で帰れるなら」で辞退した。様式美は、両大陸共通の財産である。なお、東の和平宣誓書の写しを見た王は、正式名称の欄をしばらく眺め、静かに言った。「……あちらには(仮)が付いておらんのだな」「起草がうち単独ではないので」「そうか。世界は、まだ正気を保っておるか」。失礼な安堵である。

次回「後日談・第2話 西大陸初の精霊」は、10月9日(金)18時30分更新です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。