第7話 密輸団の正体
前回:「第6話 前金の魔力」
抜き身の剣が、十二。朝日を照り返して、こちらに向いていた。
昨夜の祝勝会が、遠い昔のことのようだった。パフェ三つと祝杯で浮かれていた俺たちは、一夜明けて、魔王軍の密輸団のど真ん中に、丸腰同然で立っている。人生というのは、前金の金貨二十枚で、こうも簡単に、崖から突き落とされる。
対するこちらは、四人。冷静に戦力を計算してみる。うち一人は詠唱に十一分かかり、一人は敵の身の上話を聞くと戦えなくなり、一人は聖女だが本人曰く「治療専門で、殴るのは専門外」だという。実質、戦えるのはレーヴェ一人。十二対一だ。しかもその一人にも「殺すな」の縛りがかかっている。
俺は懐中時計を握りしめ、頭の中で、勝ち筋のない盤面を睨んでいた。逃げるにも、荷馬車に囲まれて退路がない。交渉するにも、相手は既に正体を見られたと知っている。詰み、の二文字が脳裏をよぎった、その時だった。
睨み合いの均衡を破ったのは――剣でも、魔法でも、俺の交渉術でもなかった。
――ばさり。
荷崩れだった。積みすぎた木箱の一つが、緊張で誰かがぶつかった拍子に荷台から滑り落ち、地面で蓋が割れ、中身が街道にぶちまけられた。
全員の視線が、そこに集まった。俺も、身構えた。剣か。火薬か。呪具か。魔王軍が命がけで密輸するものだ、どんな物騒なものが――
黄金色の粒が、朝日を受けて、さらさらと流れ出した。
それは、街道の土の上で、小さな金色の川を作った。乾いた、良い匂いがした。パンの、匂いの、一歩手前の匂いだった。
「……小麦?」
俺の間の抜けた声が、街道に響いた。
魔族たちの顔色が、明らかに変わった。武器はこちらに向けたまま、しかし視線は、零れた小麦に釘付けだ。中でも一番若い魔族が、たまらず、といった様子で膝をつき、剣を放り出して、素手で麦を掻き集め始めた。一粒たりとも土に還すまい、という、祈るような手つきだった。角の生えた頭が、地面に擦りつくほど低く下がっていた。
「……おい。答えろ」
俺は、剣の切っ先を無視して、一歩前へ出た。
「武器の密輸じゃ、ないのか。魔王軍が、命がけで、なんで小麦なんか運んでる」
商人頭――いや、この期に及んではもう、魔族の隊長格が、長い沈黙の末に、ゆっくりと頭巾を取った。現れたのは、疲れ切った、思いのほか若い顔だった。
「……魔王領は、三年続きの凶作だ。北の火山が灰を吐き続けて、畑という畑が死んだ。土が、灰で埋まっちまった」
彼は、部下が掻き集める小麦を、痛ましそうに見た。
「これは、兵糧じゃない。俺の隊の、故郷の村の――女子供の、冬を越すための、食料だ。金は、俺たちの給金から出してる。魔王軍の予算じゃない。俺たちの、身銭だ」
彼は、剣を握る手に、力を込めた。だがその切っ先は、いつの間にか、俺たちから、逸れていた。
「うちの村は、山あいの小さな集落でな。若い者は皆、軍に出た。残ってるのは、年寄りと、子供と、その母親だけだ。去年の冬は、三人、飢えて死んだ。ばあさんが二人と、赤ん坊が一人。……今年は、一人も死なせたくない。それだけの、話なんだ。それだけの、ことに、こんな大掛かりな芝居を打たなきゃならん。魔族に生まれた、それだけの理由で」
「なら、なぜ堂々と買わない。なぜ紋を隠す」
「人間の商人は、魔族と知れたら、小麦一粒売っちゃくれん。だから紋を隠し、人間の仲介屋を通して、人間の護衛を雇った。運ぶ道中で、人間の縄張りを、魔族の隊列が通れば、それだけで戦になる。……だから、商隊のふりを、するしかなかった。それだけの、話だ」
沈黙が、落ちた。
その沈黙を破ったのは――ずず、と洟をすする音だった。
嫌な予感がして振り向くと、案の定、レーヴェの涙腺が、早くも決壊寸前の危険水域に達していた。
「か、家族の……冬越しの、麦……っ。それを、隠れて、こそこそ買いに……っ、ひっく」
「まだ泣くな前衛! まだ何も解決してないし、まだ剣を向けられてる!」
だが、俺の頭の中では、既に別の作業が始まっていた。受付五年。俺が扱ってきた書類は、依頼票だけじゃない。密輸摘発の調書から、関税還付の申請、災害時の特例措置まで、この支部を通る紙という紙に、俺は目を通してきた。その膨大な書式の記憶を、俺は猛烈な速度でめくった。飢饉。食糧。輸送。特例。――あった。
「……関税法、第二十二条」
俺は、剣に囲まれたまま、呟いた。
「『飢饉地域への食糧輸送は、人道支援物資として、通常の関税および通行制限の特例区分の許可を得られる』。五十年前、人間の側の大飢饉の時に作られた古い条文だ。そして――肝心なことに、この条文は、対象地域を『人間の領邦』に限定していない。作った奴が、まさか魔王領に適用される日が来るとは思わなかったんだろうな。ザル法だ。だが、今は、そのザルが、ありがたい」
「な……」隊長格の目が見開かれた。「そんな、ものが……あるのか。人間の法に」
「ある。俺が受理した申請だけでも、三件は通してる。申請には輸送経路の領主印が要るが――幸い、この辺りの代官には、うちのパーティ、ちょっとした貸しがあってな。堂々と、真っ昼間の街道を、胸を張って運べるようになる。密輸じゃなく、人道支援としてだ」
「なぜ、そこまで」隊長格は、信じられない、という顔で、俺を見た。「俺たちは、魔族だぞ。あんたらの、敵だ。ついさっき、剣を向けた相手だ。なぜ、手を貸す」
「敵かどうかは、知らん」俺は正直に答えた。「俺が見てるのは、目の前の案件だけだ。飢えた村に麦を運びたい奴がいて、それを合法にできる条文がある。なら、繋ぐのが事務屋の仕事だ。魔族だから、人間だから、って理由で書式を曲げたら、俺の五年間が泣く。……それに、な」
俺は、麦を掻き集める若い魔族を、ちらりと見た。
「命がけで小麦を運ぶ軍隊ってのは、そう悪い連中じゃない。武器を運ぶ奴らより、よっぽど信用できる」
魔族たちが、どよめいた。剣先が、揺れ、下がっていく。麦を抱えた若い魔族は、こちらに向かって、ぱんぱんと手を合わせて拝み始めた。だから、俺を拝むな。拝むなら条文を拝め。俺はただの、書式の運び屋だ。
張り詰めていた空気が、ほどけかけた――その、瞬間だった。
魔族の隊長格が、ふっと表情を緩め、「恩に着る、人間」と言いかけた、まさにその時。彼の言葉は、最後まで、続かなかった。
空が、暗くなった。
雲では、ない。さっきまで晴れ渡っていた空そのものが、渦を巻いて、墨を流したように黒く沈んでいく。風が唸りを上げ、街道の並木が、悲鳴のように、一斉に同じ方向へしなった。
魔族の隊長格が、たった今取り戻したばかりの血の気を、再び失った顔で、空を見上げた。
「……まずい。まずいまずい、隊長だ。俺たちが無断で隊を離れたのが、バレた。――回収に、来やがった」
「隊長? あんたが、隊長じゃないのか」
「俺の、さらに上だ」彼は、震える声で言った。「魔王軍、四天王が一角。【嵐翼】のヴァルガ様。……逃げろ、人間。今すぐだ。あの方は――目撃者を、生かして帰さない」
黒く渦巻く空の、その中心から。
一対の、巨大な翼が、まっすぐに、降ってきた。
次回「第8話 四天王【嵐翼】、降臨」は、7月25日(土)18時30分更新です。




