第6話 前金の魔力
前回:「第5話 懺悔の値段」
前金というのは、魔性のものである。
「乾杯ーーー!!」
依頼受注の夜、俺たちは町の酒場で祝勝会を開いていた。念のため言っておくと、まだ一歩も護衛していない。荷物の一つも運んでいない。だが手元には、ずしりと重い金貨二十枚の革袋がある。人間というのは、手の中の重さを「稼いだ」と錯覚する生き物なのだ。
ミラベルは「勝利の前祝いだ!」と季節限定パフェを三つ注文し(一つでいいだろ)、二つ目の途中で満腹になり、三つ目を俺に押し付けた。レーヴェは隣の席の傭兵の身の上話に相槌を打っているうちに酒場中の客の人生相談窓口と化し、三軒隣の夫婦喧嘩の仲裁まで引き受けて号泣していた(なぜお前が泣く)。エルシーは涼しい顔で会計伝票を検め、「祝勝会費・銀貨六枚。パーティの士気向上に資するため、必要経費として計上します」と帳簿に書き込んだ。必要経費ではない。断じて。
俺はといえば、酒場の卓の隅で、手製の「返済計画表・第三版」を広げていた。第一版はギルド半壊で死に、第二版は丘の弁償で死んだ。第三版の完済予定日の欄に、初めて、現実的な日付が書ける。金貨四十枚。大きい。酒よりこの数字の方が、よほど酔える。
「……おや、リドくんじゃないの。景気良さそうねえ」
声に顔を上げると、仕事帰りらしいミレットさんと、その後ろにギルド長のバッソが立っていた。バッソは俺たちの卓と、俺の計画表と、依頼書の写しを順に見て、太い眉を寄せた。
「例の護衛依頼か。……前金二十枚、か。リド、お前、依頼主の身元照会は」
「持ち込みの飛び込み依頼で、照会記録は……ない、ですね。受注が殺到する前にと思って、つい」
「ふん。……まあ、いい。お前ら程度の腕なら、大抵の荷は守れるだろうよ。ただな、リド。受付五年のお前なら知ってるはずだ。――相場より甘い話には、必ず、相場ぶんの裏がある」
ギルド長は言うだけ言って、ミレットさんと呑みに消えた。その背中に、俺は「分かってますよ」と手を振った。分かって、いなかった。この夜の俺の耳には、金貨の音しか入っていなかったのだ。
「いいか、みんな。明日から五日間、真面目に働けば、残金二十枚。合計四十枚。借金がごそっと減る。初めてまともに減る。頼むから、何も壊すな。誰も更生させるな。普通に、荷物の横を、歩くだけでいい」
「「「おー!」」」
返事だけは、いつも軍隊並みに良い。
――この時の俺たちは、まだ知らなかった。というより、俺は、疑うことを怠っていた。相場の倍の前金が出る護衛依頼。腕利き「求む」のくせに、経歴の審査が一切なかった受注手続き。浮かれた頭の隅で小さく鳴っていた警報を、俺は金貨の重さで、揉み消してしまっていた。
翌朝、集合場所の東街道。
商隊は、三台の大型幌馬車と、十二人の「商人」で構成されていた。挨拶もそこそこに出発準備が始まり、俺は監督官として、依頼書の写しと積荷目録を手に、隊列の脇を歩いた。
そして、俺の中の受付五年間が、次々と、警報を鳴らし始めた。
(――一つ。荷馬車の沈み込みが、深すぎる)
目録には「織物と雑貨、総重量八百キロ」とある。だが、車軸のしなり方と轍の深さは、目測でその倍だ。五年間、ギルドの搬入口で何百台という荷馬車の重量申告と実測のズレを見てきた俺の目は、こういう嘘にだけは、めっぽう強い。
(――二つ。人の配分がおかしい)
商人十二人に対し、雇われ護衛は俺たち四人だけ。普通は逆だ。しかもその「商人」たちは、全員、日焼けの仕方が旅商人のそれではなく、腰の得物の柄だけが、妙に使い込まれて黒光りしている。荷を扱う手つきは素人で、周囲を警戒する目つきだけが玄人だった。
(――三つ。御者の靴)
あれは行商人の革靴ではない。編み上げの、軍靴だ。それも、支給品の型。
(――四つ。会話が、ない)
旅慣れた商隊というのは、存外おしゃべりだ。荷の自慢、値の相場、次の町の噂。だがこの一団は、道中、私語がほぼない。目配せと、短い符牒めいた声だけで動く。これは商人の沈黙ではない。命令系統のある集団の、規律の沈黙だ。
極めつけは、二台目の幌の隙間だった。朝の風が布をはためかせた一瞬、覗いたのは――黒い、羽根。艶のある、大きな羽根だった。鳥のものにしては、大きすぎる。翼を持つ何かが、あの中にいる。あるいは、翼を持つ何かのための、荷が。
俺は足を止め、商人頭とおぼしき、頬に傷のある大男に声をかけた。
「隊長さん。出発前に、積荷目録と現物の照合をさせてもらいたい。目録記載の総重量と、車軸の沈みが合わない」
男の目が、すっ、と冷えた。商人の目ではなかった。
「……護衛は、荷の横を歩いて、銭を貰えばいい。中身を詮索する契約じゃあないはずだぜ」
「いえ、契約なんですよ、これが。護衛契約書・第七条『護衛者は、護衛対象に危険物が含まれていないことを確認する権利を有する』。ギルド標準約款です。護衛が中身を知らされずに危険物を運ばされて全滅した事件が昔ありましてね、その反省でできた条文です。――ちなみに俺、この約款、改訂した側なんですよ。第七条の文言、俺の字です」
「……小僧」
男の手が、懐に滑り込みかけた。周囲の「商人」たちの重心が、一斉に、低くなった。空気が、張り詰め――
「よいしょ」
――そんな緊張を、まるっと無視した声が、二台目の馬車から上がった。
レーヴェだった。彼女は実に善意百パーセントの、光り輝く笑顔で、幌の裾を両手で掴み、大きく、勢いよく、めくり上げていた。
「積み込みの紐が緩んでたから、結び直そうと思って! 重かったでしょ、これ! 手伝……あら?」
朝日の下に、それは、晒された。
荷台に、整然と積み上げられた木箱の山。織物でも雑貨でもない、頑丈な軍用の木箱。そして、そのすべての側面に、黒い焼き印が捺されていた。
翼と、角を象った紋章。
――子供でも知っている。絵本の悪役のページに必ず描いてある。魔王軍の、紋。
一拍の、完全な静寂。
レーヴェは、めくった幌を掴んだまま、木箱と紋章を、まじまじと見つめていた。それから、実に彼女らしい第一声を上げた。
「わあ……立派な焼き印。これ、押すの大変だったでしょうね……」
「感心するところじゃない! 下がれ前衛!」
それから、「商人」たちが一斉に得物を抜いた。何人かの頭巾がはらりと落ち、その下から、隠していた捻れた角が、朝日に晒された。魔族だ。本物の。頬傷の頭が、もはや商人の口調をかなぐり捨てて、低く唸った。
「……見られたからには、通すわけにはいかん。悪く思うな、人間の護衛どもよ。この荷は、我らが主のもとへ、必ず届ける」
俺は懐中時計を握りしめ、澄み渡った朝の空を仰いだ。
「……おいおい、嘘だろ。密輸かよ。よりにもよって、依頼主が――魔王軍!?」
そして、俺の頭の中の帳簿が、この状況で最も非情な一行を、静かに告げていた。
依頼を放り出して逃げれば、契約不履行で前金は全額返還。だが前金の金貨二十枚は――昨夜の祝勝会とパフェ三つと本日の朝食で、既に半分、消えている。戦っても地獄、逃げても借金。どちらに転んでも、うちの帳簿は赤い。
俺は懐中時計の蓋を、かちりと閉じた。こういう時、腹の据わり方だけは、五年間の窓口業務で鍛えられている。理不尽なクレーム対応の基本は、いつだって同じ。まず、状況を正確に把握し、次に、落とし所を探すことだ。
「……レーヴェ、殺すな。エルシー、怪我人が出たら敵味方問わず頼む。ミラベル――今回ばかりは、詠唱、許可する。ただし三パーセントまでだ。それ以上は東街道ごと消える」
「三パーセント……ふ、腕が鳴るね」
「鳴らすな。抑えろ。……さて」
俺は、抜き放たれた刃の群れに向き直り、営業用の、一番丁寧な笑顔を作った。
「魔王軍の皆さん。まずは落ち着いて、お話を。――うちは、殺さない方針なんですよ」
(第1章・了 →第2章「四天王【嵐翼】更生編」へ続く)
次回「第7話 密輸団の正体」は、7月24日(金)18時30分更新です。




