第5話 懺悔の値段
前回:「第4話 詠唱42%の壁」
金欠は、人を発明家にする。
「回復屋を、開業します」
エルシーがそう宣言したのは、仮設テント(俺たちの仮住まい兼事務所)の家賃支払日の朝だった。彼女は開業計画書――いつの間に書いたのか、収支予測と立地分析まで付いた、癪に障るほど完璧な書式――を、卓の上に広げた。
「教会の治療院は、骨折の治療で金貨一枚。庶民には手が出ません。そこを、聖属性Sの回復で、銀貨二枚から治療します。安くて、確実で、待ち時間なし。行列は約束されたようなものです」
「……理屈は完璧だな。完璧すぎて怖いくらいだ。何か裏があるだろ」
「裏だなんて。ただ、お代とは別に、一つだけ、いただくものがあるだけです」
開業準備は、二日で整った。場所は市場の外れの空きテント。エルシーは自分の祭服を自分で洗い張りし、俺は料金表の書式を整え、レーヴェは重い治療台を一人で運び(台の脚に「頑張ってね」と声をかけていた)、ミラベルは開店祝いに祝砲を上げようとして、三人がかりで止められた。開店の朝、入口に掛けられた看板には、聖女の丁寧な字で、こうあった。
『治療いたします。お代は銀貨二枚と、懺悔ひとつ』
「……なあ、この『懺悔ひとつ』って、冗談か何かだよな?」
「私、冗談で懺悔という言葉を使ったことは、生まれてから一度もありません」
嫌な予感は、開業初日に的中した。
最初の客は、ぎっくり腰の大工の親方だった。荷車に乗せられて運び込まれ、脂汗を浮かべて呻いている。エルシーはにっこりと微笑んだ。
「治せますよ。お代は銀貨二枚。――と、懺悔をどうぞ」
「ざ、懺悔ぃ? な、なんだそりゃ……ええと、じゃあ、あれだ。酒を、女房に隠れて、ちょっとばかし」
「もっと深いところに、ありますよね」
聖女の微笑は、一ミリも動かなかった。
「腰というのは、心の重荷が出る場所なんです。神は見ています。私も見ています。……さあ」
「……げ、現場の余り木材を、ちょっとだけ、自宅の棚に……この五年で、たぶん、棚三本ぶん……」
業務上横領だった。回復の光は目が眩むほど輝かしく発動し、親方の腰は嘘のように治り、懺悔は手帳の新しいページに、丁寧な字で記録された。親方は腰の軽さと心の軽さに涙ぐみ、「棚は現場に返す」と誓って帰っていった。ついでに「テントじゃ商売にならんだろう」と、翌週、廃材で立派な小屋を建ててくれた。腕は確かな親方だった。
二日目、三日目。行列は、予測通りに伸びた。安くて確実に治るのだから当然だ。そして、治った者は全員、何かしらを自白していった。浮気が三件、賭場の借金が五件、隣人の花壇を踏んで黙っていたのが一件、二十年前の初恋の顛末が一件(「若気の至りで、彼女の家の前に毎朝花を置いていました」――待て、それは懺悔なのか? いい話では? だがエルシーは「独りで抱えてきたのですね」と厳かに記録していた。懺悔の定義が広い)。
中には、こんな客もいた。夜勤明けの若い衛兵が、捻挫した足を引きずってきて、観念した顔で言った。
「……先週の夜勤、詰所で、三十分だけ居眠りを」
「その三十分、町は無事でしたか」
「は、はい。何も」
「では、それは懺悔ではなく、反省で結構です。次から仮眠は交代で、届を出して取りなさい。体を壊しては、守れるものも守れませんので。――はい、足首、治りました」
懺悔の取り立ては厳しいくせに、変なところで線引きが優しい。若い衛兵は足首と一緒に何かを救われた顔で、以後、非番のたびに小屋の力仕事を手伝いに来るようになった。この聖女、敵を作らずに信者だけが増えていく。手口が鮮やかすぎて、時々怖い。
開業一週間で、エルシーの手帳は、この町の裏台帳と化した。
十日目、奇妙な現象が観測された。報告に来たのは、衛兵隊長だった。
「リドさん。妙な話なんだがね……最近、町の犯罪発生率が、激減してるんですよ」
スリが姿を消した。違法賭場が二軒、自主的に店を畳んだ。夜道の追い剥ぎがゼロになり、酔っ払いの喧嘩すら減った。隊長は首を捻っていたが、理由は簡単だ。悪事を働く人間も、いつかは怪我をするし、腹も壊す。怪我をすれば、安いエルシーの世話になる。世話になれば――全部、バレる。
「あの手帳……治安の抑止力として機能してるのか……」
「神は見ています。私も見ています。町の皆さんも、そう思ってくださっているようで、何よりです」
笑顔が怖い。だが、町の平和は本物だった。
そして二週間目、ついに教会が動いた。
その日、回復小屋の前の行列が、ざっと二つに割れた。割れた道の向こうから歩いてきたのは、白銀の鎧に純白のマントの女性だった。氷の眼光、隙のない足運び、腰の剣は儀礼用ではなく実戦用。胸の紋章は――異端審問局。
「異端審問官、ドロテア。教会法に基づく査察である」
声まで氷だった。彼女は小屋の中を検分し、行列を検分し、料金表を検分し、そして宣告した。
「教会法第九条。聖なる奇跡の、無認可による営利利用は――破門相当」
行列がどよめいた。俺は帳簿を抱えて割って入った。
「お待ちを、審問官どの。第九条の『営利』の定義を確認したい。当施設の料金は原価――包帯と消毒液と家賃の実費です。利潤はほぼゼロ。営利の構成要件を満たすかどうか、判例をご提示願えますか」
「ほう。……法で来るか、受付」
「事務で来ました。事務は俺の本業なので」
審問官の眼光が三割増しで冷えた、その時だった。エルシーが、俺の肩に、そっと手を置いた。
「リドさん、ありがとうございます。でも大丈夫です。――あら、審問官様」
彼女は、にっこりと笑った。
「右肩の古傷、疼いていらっしゃいますね。剣を抜く時、〇コンマ二秒、遅れていらっしゃる。聖騎士時代のものでしょう。……治して差し上げます。お代は結構です」
「な――結構だ、施しは受け」
「懺悔だけで、結構ですので」
「…………」
三十分後。
右肩の完治した異端審問官ドロテアは、回復小屋の隅の椅子で、鎧のまま頭を抱えていた。彼女の懺悔――「出張査察の際、規定額を超える上等な宿に泊まり、差額を『警備上の必要経費』として、三年間、処理し続けていた」――は、手帳の新しいページに、それはそれは丁寧な字で、記録されていた。
「規律の権化と呼ばれた、この私が……経費で……宿を……」
「お辛かったですね。安宿は、腰と古傷に響きますものね。神はすべてご存知です」
「うう……こ、公認する……当該回復所を、教会の特別協力施設として、公認する……するから、その手帳のページは厳重に……」
「まあ。神の思し召しですね」
こうしてエルシーの回復屋は、査察に来た審問官の直筆認可状という、この上なく強力なお墨付きを得て、俺たちの安定収入源として確立した。帰り際、ドロテアは俺に小声で言った。「あの聖女から、目を離すな」。言われるまでもない。目を離した結果がこの町の裏台帳だ。
俺は夜、帳簿をつけながら、しみじみと呟いた。
「……うちの神官、教会より強い」
その夜だった。再建中のギルドの仮設掲示板に、ひときわ大きな依頼書が張り出されたのは。
『商隊護衛。行程五日。報酬・金貨四十枚(前金二十枚)。腕利き求む』
前金、金貨二十枚。借金持ちの目に、その四文字は、福音のように輝いて見えた。
次回「第6話 前金の魔力」は、7月23日(木)18時30分更新です。




