第4話 詠唱42%の壁
前回:「第3話 害獣退治と身の上話」
仮設ギルド(大型テント三張り)の朝は、木の匂いと、ミレットさんの溜め息から始まる。
「はい、これが今日の依頼一覧。……リドくん、その節は本当に、うちの支部がお世話になりました」
「嫌味の角度が鋭くなってきましたね、先輩」
「角度もつけたくなるわよ。あんたの監督対象、初日で建物一個消したんだから」
返す言葉もないので、俺は黙って依頼票の束をめくった。監督官任用から三日。俺の朝の日課には「三人が寝ている間に、安全な依頼を選び抜く」という工程が追加されている。討伐系は却下(レーヴェが泣く)、護送系は却下(エルシーが護送対象の余罪を暴く)、火気厳禁の倉庫整理は論外(言うまでもない)。消去法の果てに、俺はその一枚を手に取った。
『ゴブリン巣穴の掃討。報酬・銀貨四十枚。討伐証明必須』
「討伐証明必須。……つまり、更生は不可。生首なり右耳なりの現物提出が要る。レーヴェ、聞こえてるか。耳栓をしろ」
「ゴブリンにも家族が」
「あるだろうな! あるだろうけども! 依頼主の村はゴブリンに畑を三度荒らされてるんだ、こっちにも家族と畑がある!」
朝食の席が、そのまま作戦会議になった。レーヴェは「話せば分かるかもしれない」と主張し、エルシーは「討伐証明の定義を確認しましょう」と約款をめくり、ミラベルは食後のパンを咥えたまま挙手した。嫌な予感しかしない挙手だった。
揉めに揉めた末の折衷案は、こうだ。巣穴ごと制圧して降伏させ、余所へ集団移住させる。移住は討伐扱いにならないが、巣穴の「無力化証明」なら報酬の七割が出る(ギルド規定第三十一条の二。こんな規定、使う日が来るとは思わなかった。作った側なのに)。村の被害は止まり、ゴブリンは死なず、報酬は減るが入る。全員の顔が立つ、我ながら見事な書式だった。
そして、パンを飲み込んだミラベルが、改めて挙手した。
「提案。今回こそ、私のフル詠唱で巣穴を消し飛ばす」
「山ごとだろ」
「善処する!」
「善処で山は残らないんだよ」
却下すべきだった。分かっている。だが同時に、監督官としての冷静な計算もあった。――こいつの「本当の危険度」を、一度、最後まで測っておかないと、俺は監督計画が立てられない。三パーセントで建物半壊。では十割では何が起きるのか。知らないまま隣を歩く方が、よほど怖い。
俺は地図を広げ、巣穴の立地を確認した。周囲三キロに人家なし。裏手は無人の丘陵。風向き、良し。逃走経路、二本確保。俺は懐中時計を構え、宣言した。
「作戦を伝える。レーヴェは前衛、巣穴から出てくる敵を全て抑えろ。ただし話は聞くな、聞いたら終わる。エルシーは後方で負傷者対応。俺は時間と進捗を計る。ミラベル――詠唱、開始」
「ふふ……いいのかい? 本当に、いいのかい? 我が全力、見せてしまって」
「前置きはいい。計測開始、今」
「『原初の闇より出でて灯りし一つ火、天蓋を裂きて廻れ、廻れ、廻れ――』」
詠唱が、始まった。荒野に、少女の声が朗々と響く。俺は懐中時計と手帳を構え、実況の任についた。
「経過二分。詠唱はまだ天地創造のくだりだ」
「『――斯くて神々は七日を眠り、八日目の朝に世界を悔い――』」
「四分経過。ようやく神々が寝た。起きて悔いた。展開が遅い」
「『――第一の世界は水に沈み、第二の世界は火に焼かれ、第三の世界は風に散り――』」
「六分半。世界が七回滅んだ。……なあ、素朴な疑問なんだが、この詠唱、あらすじが長すぎないか? 本題はいつ来るんだ、本題は」
「詠唱に、口を、挟むな! 尺が、延びる!」
「詠唱しながら答えられるのかよ」
その頃、前線では、異変が起きていた。
巣穴からわらわらと湧き出したゴブリンたち――槍を構え、雄叫びを上げ、レーヴェに殺到しようとしていた彼らが、剣を交える前に、次々と、武器を取り落とし始めたのだ。一匹が平伏し、二匹が続き、気づけば巣穴の前は、緑色の土下座の絨毯になっていた。
「な、なんだ? どうしたの、君たち!?」
困惑するレーヴェ。理由は、後衛の俺には分かった。ミラベルの足元から漏れ出す未完成の魔力が、大気を軋ませ、地面を細かく波打たせている。理屈ではない。生き物の背骨に直接「逃げろ」「伏せろ」「あれに関わるな」と怒鳴りつける、原初の圧。詠唱三十八パーセント時点の「気配」だけで、歴戦の巣穴が、白旗を上げたのだ。
やがてゴブリンの群れの奥から、腰の曲がった長老らしき一匹が、杖をつき、白い布きれを掲げて這い出てきた。長老はレーヴェの前に進み出ると、ぎゃむ、ぎゃむ、と何ごとかを切々と訴え始めた。
「ええと……『われわれは、望んでここに来たのではない』……『西の森に大型の魔獣が住み着き、縄張りを追われた』……『子供らに食わせるものがなく、已むなく人間の畑に』……『畑のかたには、長のわしの首を』……」
レーヴェの通訳(なぜゴブリン語が分かるのかは、この際もう聞かない)が進むにつれ、彼女の声が湿り、震え、決壊した。
「――う、うわああん!! リドぉ!! この子たち、難民だったのぉ!!」
「泣くな前衛! 圧で全員伏せてる今が交渉の好機だ!」
俺は懐から、綴じた資料を取り出した。近隣の廃坑三件の物件資料である。こんなこともあろうかと――正確には「更生させた相手の再就職先と住居が毎回問題になる」という三日間の学習により――空き物件は調べてあった。水源あり、坑道は広く、人里から遠く、地主は王家(つまり交渉窓口は書類一枚)。
「長老どの。移住のご提案です。物件はこちらの三件。おすすめは二番の東廃坑、日当たりは悪いですが、ゴブリンの皆さんは暗所を好まれると資料にあるので、むしろ好条件かと。家賃は坑道の保守労働で現物払い。契約書はこちら。読めます……よね? レーヴェ、通訳を」
ぎゃむぎゃむ、と長老が資料を熱心にめくり、二番の図面を指した。商談成立である。移住先、決定。巣穴は空になり、「無力化証明」は成立した。畑は守られ、誰も死ななかった。ここまでは、完璧だった。
問題は――詠唱中のミラベルを、誰も止められなかったことだ。
「『――かくて七度の終わりを越え、今、終焉の名のもとに――』……あれ? 敵は? ねえ、私の敵はどこ!?」
「終わった! 交渉で終わった! 詠唱中断! 中断ーー!!」
「む、無理!! もう魔力が臨界に――止まらな――」
暴発した。
轟音。閃光。空へ立ち上る土砂の柱。ばらばらと降り注ぐ小石の雨を頭を抱えてやり過ごし、恐る恐る顔を上げると――巣穴のあった丘が、綺麗さっぱり、消えていた。跡地には、湖が作れそうな窪みが一つ。地形が、変わった。地図の書き換えが必要なレベルで。
降りしきる土埃の中、沈黙を破ったのは、当の本人だった。ミラベルは焦げたローブのまま、拳を天に突き上げた。
「詠唱進捗――四十二パーセント!! 自己新記録ッッ!!」
「喜ぶな! 丘が消えたんだぞ! 共有地の!」
「ふ……つまり、四十二パーセントで丘。ならば百パーセントなら……ふふ、ふふふ」
「ふふ、じゃないんだよ。その計算は二度とするな」
後日、村から二通の書状が届いた。一通は「畑が守られた」ことへの、心のこもった礼状。もう一通は「共有地の丘の消失」についての、心のこもった請求書。無力化報酬・銀貨二十八枚に対し、弁償・銀貨七十八枚。差し引き五十枚の赤字で、借金の帳簿がまた一段、厚くなった。
なお、その夜のミラベルの手帳には、こう記録されていたという。
『本日の戦果:丘一つ。勝利』
勝利ではない。断じて勝利ではない。
次回「第5話 懺悔の値段」は、7月22日(水)18時30分更新です。




