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第17話 三十年の灯

前回:「第16話 告解秘匿契約」

私は店の灯りを一つだけ残し、扉に「本日終了」の札を掛け、シアさんに椅子を勧めました。ベッシは空気を読んで(読めるのです、この子は)、棚の上で置物のふりを始めました。


 シアさんは、長いこと、黙って座っていました。灯台で三十年、点検してきた手が、膝の上で、固く組まれています。窓の外はもう暗く、遠くの岬で、灯台の光が回っていました。今夜は弟子――ではなく、麓の村の若い衆が交代で火の番をしているのだと、後で知りました。この人が灯台を空けたのは、三十年で、数えるほどしかないのです。その数えるほどの一回を、この店に、使いに来た。


 沈黙は、長く続きました。私は待ちました。三年間の店で学んだ、一番大事な技術は、回復魔法ではなく、待つことです。人の心の扉は、外から引いても開きません。内側の、閂の音を、待つのです。


「……順番が、分からないんだ。三十年、誰にも話さなかったから。どこから話せば、罪の話になるのか」


「順番は、要りません。浮かんだところから、どうぞ。神は急ぎません。私も急ぎません」


 彼女は、一つ、深く息を吸って。


「――あたしは、死んだことになっている人間だ」


 鍵の開く音が、聞こえた気がしました。棚の上で置物のふりをしていたベッシの襞が、一度だけ、深く、震えました。精霊は知っていたのだと思います。ずっと。三十年。灯台に住み着いた精霊たちは、この人の誓いの中身を、毎晩聞きながら、誰にも言わずにいたのです。守秘契約など、結ぶまでもなく。


「三十年前、あたしは船に乗っていた。……いい夜だった。凪いで、星が出て。船室を抜け出して、甲板で夜の海を見てた。北の岸の灯りを数えてたんだ。あの灯りのどれかの下に、字のあたたかい人がいる、って。……それが、一瞬だった。船底が何かを噛んで、世界がひっくり返って、気づいたら夜の海の中にいた。冷たくて、暗くて、でも……泳ぎだけは、得意だったから」


 泳ぎの名手。女王の証言と、符合していきます。私は、相槌さえ挟みませんでした。三十年ものの水は、堰を切ったら、最後まで流すしかないのです。


「岸に這い上がって、三日、熱で寝込んで、浜の親切な婆さまに介抱された。名を聞かれて――言えなかった。言おうとした朝、村の広場で、触れ役が叫んでたんだ。『船は沈んだ、姫は死んだ、南の仕業だ、いや北の仕業だ』って。……あたしが生きて名乗り出れば、済む話のはずだった。なのに、足が、動かなかった」


「なぜ、ですか」


「怖かったんだよ」


 砦が、初めて、震えました。


「両国はもう、憎しみで走り出してた。今さらあたしが『生きてます、あれはただの、夜の海の事故です』と名乗り出たら――みんなが、三十年……いや、あの時はまだ数日だ。数日でも、人は憎んだ相手に石を投げてた。あたしが出て行けば、その石が全部、嘘になる。国も、民も、憎しみに費やしたものすべてが、無駄だったことになる。死人は、恨まれない。死人は、誰の面子も潰さない。だから……死んだままでいるのが、一番、丸く収まると思った。思って、しまった」


「それから、三十年」


「灯台の爺さんが、身元も聞かずに置いてくれた。何も聞かない代わりに、口癖みたいに言うんだ。『灯台守にゃ、来歴は要らねえ。要るのは、灯りを消さねえ性根だけだ』って。……爺さんが死んだ晩のことも、話しておくかね。虫の知らせみたいに凪いだ晩でね。爺さん、灯りを点け終わってから、初めてあたしに聞いたんだ。『おめえ、名のある生まれだろう』って。あたしが答えられずにいたら、笑ってさ。『言わなくていい。ただな、名を捨てた人間はよ、名の代わりになるもんを一つ、持たなきゃ保たねえ。おめえのは、決まってるな』って、灯りを指さした。朝には、冷たくなってた。……あたしの襲名式は、それだけだ。灯りの守り方を教わって、爺さんが死んで、あたしが継いだ。……理由は、一つだけだ。もう二度と、あの海峡で、船を沈ませない。あたしは名乗り出る勇気の代わりに、灯りを選んだ。三十年、一晩も消さなかった。それが、あたしの……償いの、つもりだった」


 彼女は顔を上げ、初めて、まっすぐに私を見ました。


「なあ、聖女さん。教えてくれ。三十年、嘘の死人でいたことと、三十年、灯りを守ったことは……差し引き、どうなる。あたしの帳尻は、合ってるのか。それとも、あたしはただの、卑怯者のままか」


 三十年、毎晩、自分で自分を裁いてきた人の問いでした。こういう問いに、正解を答えてはいけません。裁きの席に、もう一人裁判官を増やすだけですから。


 私は、すぐには答えませんでした。答えの代わりに、彼女の手を取りました。灯の油で三十年、幾度も焼いた古い火傷の痕が、手の甲に残っています。姫君の手では、もうありません。三十年の労働の手です。


 私の祈りが、灯りました。この国に来て、初めての、本当の回復でした。火傷の痕が薄れて消えるのを、シアさんは、不思議なものを見る目で見つめていました。


「……懺悔が、成立した証です。精霊も、神も、あなたの三十年を『聞くに値しない』とは、しませんでした。帳尻の勘定は、私の職分ではありませんが――一つだけ、確かなことを申し上げます。あなたが灯りを守ったこの三十年、この海峡で沈んだ船は、一隻もない。もし誰かが、沈まなかった船の数を、助かった命の数を、帳簿に付けたなら」


 息を、整えました。


「それは償いの欄ではなく、もう、功績の欄に書かれるべき数字だと、私は思います」


「……功績、か」彼女は、掌の消えた火傷の痕を、しばらく見ていました。「甘いね、あんたの店は。甘くて……ああ、そうか。甘いってのは、こういう味だったか。三十年ぶりに思い出したよ」


 シアさんは、何かを言いかけて、口を閉じ、首を横に振りました。


「……ありがとうよ。でも、あたしは名乗らない。今さら名乗れば、三十年分の石が、嘘になる。両国の三十年を、無駄だったと突きつけることになる。それだけは……できない。この話も、ここに置いていく。あんたの店は、重くならないんだろう」


 彼女は銅貨三枚を几帳面に置いて、夜の中へ帰っていきました。灯台の方角へ。今夜も灯りを点すために。


 扉が閉まってから、私は椅子に座り直し、卓の上の銅貨三枚を、長いこと見ていました。この三枚は、姫君の三十年の、初めての告白の対価です。世界で一番重い銅貨でした。帳簿に、なんと記帳すればいいのでしょう。「治療代・懺悔一件」。書式の上では、今日の他の六十件と、同じ一行になります。同じ一行に、してさしあげるのが、私の店の約束なのです。


 私は、動けませんでした。第三条。秘匿の解除は、懺悔者本人の申し出によってのみ。――正しい条項です。懺悔する人を守るための、正しい条項。その正しい条項が、今、真実と和平の間に、扉として立ちはだかっていました。私は世界でただ一人、戦争を止められる真実を知っていて、そして、誰にも、言えない。守秘は、私の商売の背骨です。背骨が、こんなに重い夜は、初めてでした。


 店に戻ると、リドさんが帳簿の山から顔を上げました。私の顔色には気づかず、彼は、興奮を抑えた声で言いました。


「エルシー、ちょうどいい。……見つけたぞ。海は、嘘をつかない」

次回「第18話 海流は嘘をつかない」は、9月19日(土)18時30分更新です。

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