第12話 傭兵団、転職を検討する
前回:「第11話 決闘、傾聴付き」
決闘は、うやむやのまま「延期」になった。ジグが「読み終わるまで待て」と言い、読み終わったら日が暮れていたからである。史上初かもしれない。書類で中断された決闘は。なお賭けの胴元は「無効試合、全額返金」を宣言して観客の暴動を回避した。俺の銅貨十枚も戻ってきた。世界で一番平和な決闘の、世界で一番平和な後始末だった。
翌日、戦団の溜まり場の酒場で、正式な説明会が開かれた。説明役は俺。聴衆は、ジグと、幹部連中と、野次馬の団員たち、合わせて百人超。立ち見が窓の外まで溢れ、給仕の少年は書き役を買って出て(字が書けるのが自慢なのだ)、俺の言葉を一生懸命、板切れに写していた。黒板代わりの戸板に、俺は数字を書き並べた。
「要点は三つ。第一に、稼ぎ。戦は大きく稼げるが、波がある。飢えた年を、あんたらは何度も知ってるはずだ。救難は単価こそ落ちるが、年間契約で安定する。十年で均せば、手取りはほぼ同じだ。第二に――」
俺は、一枚の紙を掲げた。
「死人の数だ。傭兵稼業の年間死亡率と、救難業務の想定死亡率。試算で、五分の一になる」
酒場が、ざわ、と揺れた。
「五分の一ってのは、つまりこうだ。今この部屋にいる百人が十年、傭兵を続けたら、統計上、二十数人が死ぬ。救難団なら、五人前後だ。……差し引きの十七、八人に、俺は顔がない。誰が生き残る側に入るかは、書けない。書けるのは、枠の広さだけだ。枠は、広い方がいいと、俺は思う」
静かになった。数字が腹に落ちる音は、静かなのだ。
「……質問、いいか」奥から、若い団員が手を挙げた。「俺、字が読めねえ。契約書とか、俸給表とか、読めねえやつは、その救難団に入れねえのか」
「入れる。計画書の訓練課程に、読み書きの講習が入ってる。業務に要るからだ。救難の現場じゃ、地図と看板と薬の名前が読めるかどうかで、人が死ぬ。……ついでに言うと、読み書きを覚えた奴から、給金の計算の間違いに気づけるようになる。俺としては、全員に覚えてもらって、俺の計算を検算してほしい。間違いは、双方向に見つけるものなので」
「検算……俺が、頭の給金を、検算……」
若いのが、なぜか震えていた。読み書きは、人を震わせる力があるのだ。知っている。窓口で、何度も見た。
「質問だ」古参の男が手を挙げた。「戦がなくなりゃ、剣は要らなくなる。俺たちは剣しか能がねえ。救難とやらで、剣は錆びねえのか」
「錆びない」答えたのは、レーヴェだった。「昨日の浜を思い出して。獣と人の間に立つ剣は、人と人の間に立つ剣より、ずっと難しい。斬っちゃいけない相手の前で振る剣が、一番、腕が要るんだ。……あたしが保証する。救難の剣は、傭兵の剣より、強くなるよ」
「第三に、誇り。……これは俺の言葉じゃ足りないので、昨日ドレン村から届いた物を見てくれ」
樽が三つ、運び込まれた。村人からの、塩漬け魚の礼だった。樽の蓋には、子供の字で『かいじゅうからまもってくれた つよいひとたちへ』と書いた板が打ち付けてあった。
若い団員たちが、樽の周りに集まった。一人が板の字を指でなぞり、一人が「……戦のあとで、礼を言われたことなんか、ねえな」と呟いた。給仕の少年が背伸びして板を読み、「つよいひとたち、だって。頭、あんたのことだよ」と言った。古参の男が、死んだ仲間の名前をぽつりぽつりと挙げ始め、「あいつらが生きてたら、どっちを選んだかね」と言って、黙った。
ジグは、腕を組んで、それを全部見ていた。そして俺に向き直った。
「……頭としては、保留だ。俺は戦しか知らねえ男だ。看板を掛け替えるにゃ、考える時間がいる。――だがな」
彼は、団員たちを親指で示した。
「あいつらは、好きにさせる。俺の団は、俺の持ち物じゃねえ。……調停屋。この計画書、預かるぞ。それと」
彼は一度言葉を切り、酒場の壁の得物の列を、順に見た。死んだ団員たちの、形見の列だと、給仕の少年から聞いていた。
「……もし、だ。もしうちが看板を掛け替えたら、あの壁の連中に、何て言やあいい」
「『あんたたちの稼業を、続けられる形に変えた』と」俺は答えた。「死ぬな。殺すな、要らねえ時は。稼げ。――団則は、一条も変わりません。救難団の方が、三つとも、守りやすくなるだけだ」
ジグは、しばらく壁を見ていた。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……団則まで調べてやがる。嫌な調停屋だ」
嫌な調停屋は、褒め言葉として受領した。この稼業、好かれるより、当てにされる方が上等なのだ。
ジグは、レーヴェを見て、獰猛に笑った。
「決闘の続きは、貸しだ。いつか必ず取り立てる」
「いつでも。今度は、書類なしでね」
二人の間で、何か固い約束が、書面なしで交わされた音がした。この大陸の精霊が拾ったかどうかは知らない。だが、拾われていても、あの二人なら祟られる心配はない。ああいう約束は、破られない種類の約束だからだ。
*
ヴァルムを発つ前夜、俺は城からの使いに呼ばれた。案内された先は玉座の間ではなく――北翼三階の、あの部屋の前の廊下だった。
老王ドルンが、一人で、窓の外の南の夜空を見ていた。あの光の方角を。
「……調停者殿。そなたの働きは、聞いておる。傭兵の頭を口説き、鍛冶の親方の帳簿の心配までしておるそうだな」
「調停は、勘定から始まるので」
「うむ。……勘定の男に、勘定に合わぬ頼みをする」
老王は、初めて、俺に向き直った。岩の彫像だと思っていた顔が、ただの、年老いた男の顔になっていた。
「王としてではない。一人の老いぼれとして、頼む。――あの船が沈んだ日のことを、調べてくれんか。誰が悪かったのかを、知りたいのではない。もう、誰かを罰したい歳でもない。ただ……あの日、あの海で、セラフィナに何があったのか。それだけを、知りたい。三十年、誰にも、頼めなんだ」
「……王太子殿下は、この頼みを」
「知らぬ。あれには、憎む相手が要るのだ。若い頃の儂が、そうであったようにな。……憎しみは、な、調停者殿。持ち主を選ばん。三十年経てば、儂のような老いぼれの手の中でも、まだ温かい。それが恐ろしうて、この部屋の窓を開けるのだ。月に一度。……憎しみより古いものを、忘れんために」
俺は、倉庫で見つけたあの飴色の海図のことを思った。今と違う場所に引かれた、三十五年前の航路の線を。船が沈んだ年に動いたという、海の底を。
「――お引き受けします。ただし、調べた結果がどんなものでも、隠さずお伝えします。それが条件です」
「それでよい。……それが、よい」
*
一方その頃、南の潮の国リズレアの宿で。
エルシーは、二通目の手紙を書き終えたところだった。本文は今回も律儀な業務報告――潮の国の風土、精霊信仰の様子、ミラベルの奮闘(の被害状況)。だが、末尾の追伸が、一通目より、二行増えていた。
『追伸。こちらの海は、故郷より少し青いです。
追伸の二。あなたの授業は、うまくいっていますか。生徒さんたちは、ちゃんと宿題をしていますか。
追伸の三。ベッシがインクを齧るので、この手紙は三枚目です。』
封をしながら、彼女はふと、自分が追伸ばかり書いていることに気づき、誰も見ていないのに、こほん、と一つ咳払いをした。
――大潮の日まで、あと七十二日。
(第2章・了 →第3章「潮の国リズレア」へ続く)
次回「第13話 懺悔が禁忌の国」は、9月14日(月)18時30分更新です。




