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第11話 決闘、傾聴付き

前回:「第10話 剣で語る」

決闘までの二日を、俺は計画書の仕上げに注ぎ込んだ。


 最大の関門は資金計画で、これはメルヴィナ商会オルサ大陸支店に持ち込んだ。支店長は書類を三頁めくったところで手を止め、「……会頭から訓令が出ております。『あの子たちが計画書を持ってきたら、椅子を勧めて、茶を出して、座って最後まで聞け。金の匂いがするから』と」。金鱗の女王の嗅覚は、海を越えても現役だった。三時間の詰めの末、支店長は融資枠に仮判を捺し、ついでに「救難団の制服の指定生地、うちで受注できますかね」と商魂を見せた。する。多分する。書き足しておいた。


 需要見込みの照会状はポルトネラのドナ議長に飛竜便で頼んだ。返信は一日で来た。照会状と、一筆。『三十年、待っていた種類の紙だ。判は幾つでも捺す』。


 決闘の日、傭兵市場の闘技場は満員だった。観客は九割が傭兵。「頭が調停屋の女剣士とやる」の一報は、あっという間に市場を駆け巡っていた。場外では胴元が賭け札を売っていて、オッズはジグ有利の三対一。俺は係の男に「引き分け」の欄がないことを確認し、少し考えて、レーヴェに銅貨十枚を張った。仲間を信じるのは無料だが、信じた形は残すものだ。


 前の晩、レーヴェは俺の部屋に来て、一つだけ頼み事をしていった。「計画書、あたしに持たせて」。渡すのは構わないが、なぜだと聞いたら、彼女はこう言った。「ジグはさ、剣しか信じない人の顔をしてるけど、ほんとは逆。剣を信じてもらった経験しか、ないんだよ。だから――剣の真ん中で渡す。あの人が一番、受け取れる場所で」。傾聴の女は、渡し方まで聞き取っていた。


「得物は真剣。降参か、続行不能で決着。……いいか、お嬢さん。手加減したら、その瞬間に俺はあんたを軽蔑する」


「奇遇だね。あたしもだ」


 立会人が口上を述べる間、闘技場は水を打ったようになり、砂の匂いと革の匂いと、千人分の息の音だけがした。


 銅鑼が、鳴った。


 ――正直に白状すると、俺は途中から、賭けのことも、和平のことも忘れて見入っていた。それほどの斬り合いだった。剣と剣の会話、という言い方を、レーヴェは前からするが、この日ほどその言葉が正確に見えた日はない。一合ごとに、問いと答えが交わされていた。あんたは何のために振る。あんたこそ。誰のために。何を守って。……素人の俺に聞こえたのだから、当人たちには、叫び声で聞こえていたはずだ。


 ジグの剣は、型がなかった。実戦だけで練り上げられた、生き残るための剣。砂を蹴り上げ、観客席の柵を足場にし、大剣の重さすら囮に使う。振りの一つ一つに、死んだ誰かの癖が混ざっているのが、素人の俺にすら分かった。あれは三百人ぶんの、生き残りの剣だ。五合目、大剣の横薙ぎが空を裂き、風圧だけで最前列の観客の帽子が飛んだ。七合目、レーヴェの返しがジグの頬を掠め、赤い線が一本走った。傭兵王は、笑った。九合目、今度はレーヴェの袖が裂けた。剣聖も、笑った。笑い合いながら殺気を交わす二人を、千人の傭兵が、息を呑んで見ていた。対するレーヴェの剣は、あらゆる型を修めた果ての、自由。初撃の交錯で、観客の喧騒が消えた。二合目で、ジグの口の端が吊り上がった。十合目で、レーヴェが声を上げて笑った。


 この女、めちゃくちゃ楽しそうである。無理もない。ゴードン以来だ。身の上に泣かなくていい、ただ全力でぶつかれる強敵は。


 俺の隣の席では、古参の傭兵が若いのに解説をしていた。「見ろ、頭の左足。あれが出た時は本気だ。……おい、女剣士、頭の左足に合わせてやがる。合わせて、遊んでや――いや、違う。あれは、引き出してるんだ。頭の剣を、全部」。解説の声が、途中から観戦の唸りに変わった。剣聖の傾聴は、剣でもやるのだ。相手の剣の言い分を、全部、聞き切るまで付き合う。それが彼女の立ち合いだった。


 二十合を過ぎたあたりから、闘技場の空気が変わった。傭兵たちが、野次をやめたのだ。全員が、食い入るように、剣筋だけを追っていた。飯の種の剣を張る男たちは、本物の剣の前では、静かになる。


 二十九合目、ジグの大剣が砂ごとレーヴェの足場を薙ぎ、三十一合目、レーヴェの剣先がジグの得物の柄がしらを弾いて痺れさせた。互いの呼吸が読み切られ、駆け引きの札が尽き、残るは地力の削り合い――誰もがそう思った、三十七合目。互いの剣が鍔元で噛み合い、力と力が拮抗した、その時だった。


 レーヴェが、ふ、と力を抜いて、後ろへ跳んだ。間合いの外。そして――剣を、鞘に納めた。


 どよめく観客。訝るジグ。「降参か?」の声に、彼女は首を振り、懐から、一通の書類を取り出した。


「――続きの前に、これを読んでほしい。あたしの、次の一手だから」


「あん? 果たし合いの最中に、書類だと?」


「あんたが言ったんだ。涙じゃ家賃は払えないって。……なら、家賃の払える話を持ってくるのが、筋ってもんでしょ。剣の続きは、これを読んでからでも、あたしは逃げも隠れもしない」


 観客席が、ざわめいた。「殺せー」でも「やっちまえー」でもなく、「読めー」というヤジが飛んだのは、傭兵の歴史でも初めてだったろう。


 ジグは剣を下ろし、訝しみながら受け取り、読み始めた。


 表題『ロダン戦団・常設救難団への転換に関する事業計画書(案)』。起草・リド。資金計画・メルヴィナ商会オルサ大陸支店。需要見込み・ポルトネラ商人評議会の照会状付き。頁数、四十二。決闘場に持ち込まれた書類として、史上最厚である。ちなみに(案)の二文字は消し忘れではない。相手が直しを入れる余白を、表題から示しておくのが、呑ませる書類の作法だ。


 中身は、この五日で俺が組み上げた勘定だった。オルサ大陸沿岸の海獣被害は、この三十年、右肩上がりに増えている(漁師たちは口を揃えて言った。「三十年前の大地震から、海獣どもの通り道が変わった」と。あの飴色の海図と、同じ話だ)。聞き取りは十一の港、被害記録は三十年分。各港は自前の警備で疲弊し、腕の立つ常設の救難・護衛団への需要は、試算で年間金貨一万二千枚。三百人の団の運営費を、まかなって釣りが来る。危険手当込みの俸給表、殉職時の遺族補償、老いた団員の年金枠、新人の訓練課程まで、全部、数字で書いた。ついでに言えば、装備の更新需要も書き込んである。救難具、担架、防水の外套。……鍛冶の親方の鎚は、槍じゃなきゃ嫌だとは言っていないのだ。


 闘技場の砂の上で、傭兵王は、長いこと、それを読んでいた。一頁、また一頁。読みながら、彼の表情は三度、変わった。最初は嘲りの構えで、五頁目あたりで真顔になり、俸給表の頁で、一度だけ、目を閉じた。周囲の傭兵たちが、首を伸ばして覗き込む。誰かが小声で「なんだ、年金って」と言い、誰かが「殉職手当……遺族に、出るのか」と呟いた。傭兵の世界に、なかった言葉たちだった。観客席の賭けの札が、風に飛ばされて砂の上を転がったが、拾う者はいなかった。闘技場の全員が、決闘の続きではなく、一通の書類の頁をめくる指先を、見つめていた。


 やがて、ジグは顔を上げた。


「……救難団、だと?」


「あんたの団は、昨日、一頭も殺さずに村を守った」レーヴェが言った。「あれ、傭兵の仕事じゃなかった。もう、救難団の仕事だったんだよ。あんたたちが自分で気づいてないだけで」

次回「第12話 傭兵団、転職を検討する」は、9月13日(日)18時30分更新です。

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