第9話 涙で家賃は払えん
前回:「第8話 戦争が食わせる町」
ジグは俺たちを、傭兵市場の外れの酒場に連れて行った。戦団の溜まり場らしい。壁には歴戦の得物が飾られ、隅では若い傭兵たちが賽子を振っている。壁の得物には、一本ずつ、小さな木札が下がっていた。名前と、日付。形見の陳列だと気づいた時、この酒場の暖かさの底にあるものが、少しだけ分かった。ここは溜まり場で、食堂で、そして、墓場でもあるのだ。麦酒を運んできた給仕の少年は、十かそこらで、右足を少し引きずっていた。ジグが「坊主、こぼすなよ」と声をかけ、少年が「頭こそ、飲みすぎんなよ」と返す。遠慮のない口の利き方で、関係が分かった。この子も、拾われた口だ。
「先に言っとく。俺はあんたらを恨んじゃいねえ。和平で食い上げになるなら、それは俺の商売がそういう商売だっただけだ。ただ――敵情視察はさせてもらう。三百人の頭ってのは、そういう仕事だ」
豪快に麦酒を呷る男に、レーヴェが静かに切り出した。
「……あんたの話、聞かせてもらっていい?」
「あん?」
「あんたがどうやって傭兵になって、どうやって三百人の頭になったのか。……あたしの仕事は、まず聞くことだから」
「なんだそりゃ。調停の手管か」
「手管でこの稼業、三年もやれないよ」
「聞いてどうする。泣くのか」
「多分ね。でも、泣くために聞くんじゃない。……あんた、さっき『三百人の頭ってのはそういう仕事だ』って言った。あたしは、その三百人を背負ってる背中の話が、聞きたいの」
ジグは片眉を上げ、幹部連中と顔を見合わせ、それから、隠す理由もねえな、と語り始めた。
戦争孤児だった。九つの歳、焼けた村の残飯を漁っていたところを、通りがかりの傭兵団に拾われた。飯をくれた男は「ロダン」といった。今の団の名の主だ。ロダンは半年後の戦で死んだ。剣を教えてくれた女は、稽古のたびに「死ぬな、殺すな、稼げ」と三つ数える癖があって、三年後の戦で死んだ。三つのうち、守れたのは三つ目だけだったと、女の墓の前で思ったという。生き残る側に回るために剣を振り続け、気づけば頭目になっていて、気づけば自分が、焼けた村で残飯を漁る子供を拾う側になっていた。
「勝った戦の後の村ってのを、見たことがあるか、お嬢さん。勝った側の傭兵を見る、村の連中の目をよ。……守ってやった村でも、目は同じだ。俺たちは、剣と一緒に、あの目も背負って食ってる。慣れるもんだがな。慣れるってのも、まあ、あれだ。銭のうちよ」
「うちの三百は、半分がそういう拾いもんだ。孤児、食い詰め、行き場なし。あの給仕の坊主もだ。剣しか売り物がねえ連中を、剣で食わせてる。それが俺の団だ。……おい、あんた」
ジグが、顎で示した。レーヴェが、滂沱の涙を流していた。
「九つで、残飯……っ、拾ってくれた人が、半年で……っ、それでも人を拾う側に……っ、うぅ、ぐすっ」
「……泣いたか」
酒場の空気が、微妙に揺れた。若い団員たちが、頭の身の上話と、それにボロ泣きする他所者の剣士とを、見比べている。彼らの半分は、自分の頭がどう拾われたかを、初めて聞いたのかもしれなかった。
ジグは麦酒を置き、テーブルに身を乗り出し、泣きじゃくる剣聖の目を、正面から覗き込んだ。嘲りではなかった。むしろ、丁寧だった。丁寧に、彼は言った。
「――で? 俺の部下三百の、来月の飯は?」
レーヴェの嗚咽が、止まった。
「あんたの涙は本物だ。それは分かる。馬鹿にもしねえ。だがな、お嬢さん。涙ってのは、一文にもならねえんだ。あんたが俺の身の上に一晩泣いてくれたところで、来月、うちの若いのが食うパンは、一切れも増えねえ。……あんたの涙で家賃が払えるってんなら、俺は毎晩あんたを泣かせに通うさ。払えるか?」
「……」
「払えねえだろ。なら、俺は戦に出る。宣誓されようがされまいが、どこかの戦にな。それが、剣しか持たねえ男の、まっとうな勘定だ」
俺は、口を挟まなかった。挟めなかったのではない。挟むべき言葉が、まだ、手元になかったのだ。ジグの勘定は、正しい。正しい勘定に勝てるのは、より良い勘定だけだ。感情でも、正義でもなく。……その「より良い勘定」の材料を、俺はこの時、頭の中で数え始めていた。
ジグは銅貨を卓に置いて立ち上がり、去り際に、一度だけ振り返った。
「悪く思うな、調停屋。あんたらの西大陸の武勇伝は聞いてる。魔王だか何だかを、泣かせて終わらせたんだってな。――ここじゃあ、通じねえよ。ここの戦争にゃ、泣かせる魔王がいねえんだ」
残った幹部たちも、三々五々、席を立った。一人だけ、片目に傷のある年嵩の女幹部が、去り際にレーヴェの肩を、ぽん、と叩いた。「頭の言い方はきついがね。……あんたの泣き方は、嫌いじゃなかったよ。うちの商売で、ああやって泣いてくれた他人は、初めてだ」。慰めなのか、それも敵情視察なのか、判別はつかなかった。両方なのだろう、多分。
ところで、後で知ったことだが、ロダン戦団には三ヶ条の団則がある。曰く、「死ぬな。殺すな、要らねえ時は。稼げ」。……ジグに剣を教えて死んだ女の、三つの数え歌が、三百人の団則になって生きていた。この団則を知った時、俺は確信した。この団は、もう半分、こちら側にいる。本人たちが気づいていないだけで。
扉が閉まった後、給仕の少年が、レーヴェの卓に黙って水を置いていった。それから小声で、「頭、ゆうべも若いのの給金の計算で唸ってた。悪い人じゃねえんだ」と言い、慌てて仕事に戻った。知っている。悪い人じゃないのは、話の最初から分かっている。悪い人じゃないから、難しいのだ。
その夜、レーヴェは宿の部屋で、壁に背を預けて膝を抱えていた。無敗の剣聖が、剣を抜きもせずに、完敗していた。
「……初めてだ。聞いて、泣いて、その先が、何もないの」
「先なら、ある」俺は机にランプを引き寄せた。「あんたの傾聴は、無駄じゃない。ジグの団の内訳、飯の勘定、給金の悩み――全部、今日の『聞いた』の中にあった。泣いた先を数字にするのは、俺の仕事だ。……少し、徹夜する。手伝え」
「あたしが? 算盤は無理だよ?」
「算盤は要らない。あんたの頭の中身を出せ。この街に来てから聞いた話、全部だ。親方の弟子の歳。書記の予約の数。ジグの団の、給仕の坊主の足。あんたが聞いて泣いた話は、一つ残らず、誰かの家賃の話なんだ。俺が書式に起こす。あんたは、話せ」
その夜、宿の机で、妙な共同作業が始まった。剣聖が記憶を辿って人の身の上を語り、事務屋がそれを数字と表に変えていく。傾聴の在庫が、台帳になっていく。夜半を過ぎた頃、レーヴェがぽつりと言った。「……あたしの聞いた話、ちゃんと、何かの役に立つんだね」。立つ。むしろ、これがなければ何も始まらない。数字ってのは、誰かが聞いてきた話の、別の書き方に過ぎないのだ。
俺が広げたのは、この街に来てから集めた紙の山だった。沿岸の被害報告、傭兵の相場、ギルドの依頼台帳の写し。涙で払えない家賃を、何で払うか。答えの輪郭は、もう、薄く見え始めていた。
その時。宿の階下が、にわかに騒がしくなった。駆け込んできた早馬の使いが、叫んでいた。
「海獣だ! 沿岸のドレン村が襲われてる! 漁船が、人が――誰か、腕の立つ者はいないか!!」
次回「第10話 剣で語る」は、9月11日(金)18時30分更新です。




