第8話 戦争が食わせる町
前回:「第7話 花嫁の部屋」
翌日、俺とレーヴェは城下の軍需地区を歩いた。敵情視察ではない。調停者の仕事は、まず「戦争を望む人」の言い分を聞くことだ。望む人の言い分を聞かない和平は、書式不備の和平である。どうせどこかで差し戻される。差し戻される和平ほど、高くつくものはない。九十年戦争が、その領収書だ。
武器工房通りは、活気に満ちていた。槍の穂先を打つ鎚、研ぎの水車、荷馬車に積まれていく矛の束。武具屋の店先には「出征支度一式・早期予約割引」の看板が出て、子供たちは槍の柄の端材で棒切れ遊びをしていた。三十年の冷戦は、この国では三十年の好景気だった。景気は、匂いで分かる。飯屋の油の匂いが、濃いのだ。
防具工房の女主人は、店先で胸当ての革紐を締め直しながら、俺たちの質問に淡々と答えた。夫は十二年前、国境の小競り合いで死んだ。遺されたこの店で、彼女は兵の胸当てを作り続けている。「矛盾してるって顔だね、調停者さん」と、彼女は先回りして笑った。「亭主を殺した戦のための、胸当てを作ってる。……でもね、あたしの胸当ては、亭主のより頑丈だ。あたしの革がありゃ、どこかの女房の亭主が、一人くらい多く帰ってくる。そう思って締めてる。この紐を」。反戦でも、好戦でもない。手の届く範囲を守る、第三の立場だった。この通りには、そういう人が、思ったよりたくさんいた。
槍鍛冶の親方は、レーヴェの腰の剣を一目見て「いい剣だ」と言い、彼女が「あんたの槍もいい槍だ。穂先の反りが親切だ」と返すと、目を細めて工房に招き入れた。職人同士の挨拶は速い。工房の奥では、一番若い弟子が火の番をしていた。噂の十四歳である。彼はレーヴェの剣に目を輝かせ、親方の目を盗んで「一手、教えてもらえませんか」と小声でせがみ、親方に「槍鍛冶が剣に浮気してんじゃねえ」と拳骨をもらっていた。もらってから、親方はぼそりと付け加えた。「……仕事が終わってからにしろ」。レーヴェは夕方、本当に一手教えに戻った。教えたのは剣ではなく、鎚の振りの腰の使い方だったそうだ。「打つのも振るのも、腰は同じだから」とのことである。だが、俺たちが調停者だと知ると、親方は鎚を置いて、正面から言った。
「和平ねえ。結構なこった。……で、儂の弟子五人の飯は、どうなる」
「それは」
「儂はこの腕一本で、親父の代からの借金を返して、弟子を五人取って、孫を学校にやった。全部、槍の穂先の銭だ。冷戦さまさまよ。あんたらが和平とやらを持ってくりゃあ、注文は半分になる。半分になったら、若い弟子から順に切るしかねえ。一番若いのは十四だ。在所に帰っても、畑はねえ。……なあ、剣士のお嬢さんよ。あんた、儂が悪人に見えるかい」
レーヴェは、答えられなかった。
俺は横で見ていた。人の身の上を聞けば必ず何かを返してきた彼女が、初めて、黙った。親方の話には、泣ける不幸がなかった。あるのは真っ当な暮らしと、真っ当な勘定だけ。涙の出番が、どこにもなかった。
沈黙を破ったのは、親方の方だった。彼は苦笑いして、打ちかけの穂先を火に戻した。
「……ま、あんたらを責めても仕方ねえ。儂だってな、夜中にふと思うことはあるんだ。儂の打った槍が、どこの誰の腹に刺さるのかってな。考えねえようにして、三十年打った。考えたら、鎚が鈍るからよ。……和平を持ってくるなら、代わりの注文も持ってきな。儂の鎚は、別に、槍じゃなきゃ嫌だとは言ってねえ」
その一言を、俺は手帳に書き留めた。一言一句、そのまま。後で分かることだが、この一言は、金貨一万二千枚の値打ちがあった。
工房を出る時、十四の弟子が追いかけてきて、レーヴェに小さな包みを渡した。開けると、掌に載る大きさの、鉄の栞だった。「端材で、練習に作ったやつです。……和平、できるといいっす。俺、ほんとは、農具を打ってみたいんで」。親方が奥で、聞こえないふりをしていた。聞こえていたと思う。鎚の音が、一拍、遅れたから。
通りの先には、従軍書記ギルドの看板があった。戦場に同行し、兵の遺言を預かり、軍票を発行し、戦死の証明書を書く――戦争の紙仕事を一手に担う書記たちの組合だ。中を覗くと、若い兵士が代書台の前に座り、老書記に遺言を口述しているところだった。「……母さんに、鍋を買ってやってくれ。ずっと、底の抜けかけたやつを使ってるから」。老書記は一字一字、丁寧に書き取っていた。書式は、完璧だった。完璧なのが、応えた。
兵士が帰った後、老書記は俺たちに気づいて、老眼鏡を外した。同業の匂いは、どこの大陸でも通じるらしい。彼は静かに言った。
「わしはこの台で、三十年、遺言を書いてきた。幸い、書いた遺言の九割は、使われずに済んだ。小競り合い止まりだったからな。……開戦の宣誓が出れば、話が変わる。わしの書いたこの綺麗な字が、三百人分、まとめて墓標の下書きになる。……調停者殿。わしは字が上手いのが、生まれて初めて、恐ろしいよ」
紙の仕事の誇りと恐ろしさを、これほど正確に言う人に、俺は初めて会った。
受付の若い書記が、悪気なく言った。
「開戦宣誓が決まれば、うちは特需ですよ。遺言書の予約が、もう三百件入ってます」
「……予約」
「ええ。皆さん、宣誓の前に身辺を整えておきたいと。あ、調停者様も書かれます? 今なら早割で」
「……書きません。それより一つ。その三百件の予約、宣誓が出なかったら、どうなります」
「え? そりゃあ、キャンセルですよ。手付は返金で。……あー、うち、赤字ですねえ、その場合」
「その場合の赤字なら、いくらでも補填の相談に乗ります」
遺言の早割がある経済を、俺は生まれて初めて見た。書式の完成度に敬意を表しつつ、この帳簿だけは、赤字にしてやると誓った。声には出さずに、だ。精霊に拾われたら、面倒な祟りになりそうな誓いだったから。
夕暮れの帰り道、市場の外れで、若い男と母親らしい女が、出征支度の店の前に立っているのを見た。男は革当ての値札を見て、「宣誓が出てからでいい」と言い、母親は「予約割引のうちに」と言い、二人はしばらく黙って、結局、何も買わずに帰っていった。買えば、戦が来る気がする。買わなければ、間に合わない気がする。三十年の冷戦は、市場の店先で、ああやって毎日、人の心を天秤にかけているのだった。
帰り道、レーヴェはずっと無言だった。宿の前まで来て、彼女はようやく、絞り出すように言った。
「……ねえ、リド。あたしさ、今まで、敵の話を聞けば道が開けると思ってた。泣けば、何かが動くと思ってた。でも今日の親方、不幸じゃなかった。書記の兄ちゃんも、悪人じゃなかった。ただ、戦争で……ちゃんと、食ってた。あたし、ああいう人たちに、何て言えばいいんだろう」
「言葉が見つからないなら、まだ聞き足りないんだろ。……俺も同じだ。数字が、まだ足りない」
答えを探す間もなく、影が差した。
見上げるほどの大男が、通りを塞ぐように立っていた。傷だらけの革鎧、背の大剣、そして値踏みする獣の目。男の背後には、似た気配の男女がずらりと十人ほど。通りの人波が、自然と割れて彼らを避けていく。慣れた避け方だった。この街の日常の一部なのだ、この圧は。
「――調停屋ってのは、あんたらか」
男は、にやりと笑った。
「俺はジグ。傭兵団『ロダン戦団』の頭だ。三百人の食い扶持を、あんたらが消しに来たって聞いてな。……面ァ拝みに来た」
次回「第9話 涙で家賃は払えん」は、9月10日(木)18時30分更新です。




