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第6話 二つの招請状

前回:「第5話 別紙一号」

「先にどちらへ行くかで、揉めるわけだ」


 宿の机に二通の招請状を並べて、俺は腕を組んだ。先にヴァルムへ行けばリズレアが「やはり調停者は鉄の国寄りだ」と硬化する。逆も同じ。三十年の相互不信は、訪問の順番一つを、旗色の表明として読む。中立を宣言したところで無駄だ。中立の宣言自体が「では最初の一歩はどちらに」という試験問題に変わるだけである。


「なら、順番を消す」


「消す?」


「郵便で学んだだろ。二通の招請状は、鏡写しだった。向こうが鏡なら、こっちも鏡で返す。片方にだけできることを、しない。それが答えだ」


「同時訪問なんて、前例あるの?」


「ない。だから通る。前例のある手は、三十年で全部試されて、全部読まれてる。読まれてない書式だけが、三十年物の膠着に刺さる」


「二手に分かれて、同日同時刻に、両国を訪問する。先も後もなくす。両国には書面で通告――『貴国と相手国を、等しく重んじるため、同時に伺います』。文面はこれから起草する。一言一句、天秤が水平になるように」


「相変わらず、変なところで力技だねえ」


 通告文の起草は、深夜に及んだ。両国宛ての二通は、完全に同文でなければならない。国名の登場順すら火種になるから、片方は「ヴァルム及びリズレア」、もう片方は「リズレア及びヴァルム」と書き、末尾に注記した。『国名の記載順は、宛先国を先とする形式的なものであり、いかなる序列も意味しない』。この一行を思いつくのに茶を三杯飲んだ。書き上げた二通を読み比べたベッシが、どちらのインクも同じ速度で齧ったので、多分、天秤は水平である。精霊検査済みの外交文書というのも、この大陸ならではだ。


 組分けは、こうなった。俺とレーヴェが、鉄の国ヴァルムへ。軍需と帳簿の国には事務屋が要るし、傭兵の国には剣聖が要る。エルシーとミラベルが、潮の国リズレアへ。精霊信仰の本場は詠唱魔法の研究材料の宝庫で、そして海の民の国には、人の心を診る者が要る。適材適所――と言えば聞こえはいいが、実のところは「レーヴェとミラベルを同じ班にすると誰が二人を止めるのか問題」の消去法でもあった。前衛と火力は、分散に限る。


「二対二の分隊、初めてじゃないか?」


「初めてです」エルシーが頷いた。「三年間、四人で一枚の書類みたいに動いてきましたから。……少し、緊張しますね」


 分隊の実務も詰めた。資金は等分し、金庫番は各班の「堅い方」(エルシーと俺)が持つ。緊急時の合図は、商会飛竜便の封蝋の色で三段階。緑は平常、黄は要相談、赤は「全部捨てて合流」。そして最後に、俺は一項を付け加えた。


「赤を出すのを、ためらうな。旅費や工程の心配は金庫番の仕事で、命の心配は全員の仕事だ。……赤の封蝋の在庫は、多めに渡しておく」


「重い餞別ですね」


「軽く済むのが一番だ。使わなかった赤蝋は、帰りの船で溶かして、祝いの封に使えばいい」


「連絡は五日ごとに、商会の飛竜便で。合流予定は三十日後、この街で。……無理はするな。特にミラベル、単独判断での詠唱は」


「分かってる分かってる。エルシーの決裁を取る。ほら、内規にもう書いてある」


 見せられた手帳には、確かに『詠唱前にエルシーに一声』と書いてあった。一声。決裁の定義が軽い。だが、書いてあるだけ進歩である。


 夜半、水を汲みに降りた中庭で、レーヴェとエルシーが並んで座っているのを見かけた。盗み聞きする気はなかったが、静かな声は、よく通った。


「エルシーとふたりっきりじゃなくなるの、初めてだね。……ちゃんと食べなよ。あんた、仕事に入ると食事を帳簿の後回しにするから」


「あなたこそ。傭兵の国で、強い人を見つけても、夜通し手合わせなどしないように。翌日の護衛業務に障ります」


「善処します」


「私も善処します」


「「(しないな、これ)」」


 声を揃えて笑う音がして、それきり静かになった。三年間、四人で一枚だった書類が、明日から二枚に分かれる。分かれても書式が揃っているのが、うちのいいところだと思うことにした。


「ベッシはどうする。こいつ、俺の書類から離れないんだが」


 膝の上の半透明が、ぷるぷると首(?)を振った。しかし精霊の本場はリズレア側だ。現地の精霊事情の通訳(?)として、これほどの人材(?)はいない。俺は一枚の紙を書いた。


『出向命令書。別紙一号ことベッシを、リズレア方面調査班へ出向とする。期間:当面。待遇:エルシーの祈祷書のインク齧り放題』


 読み上げると、ベッシは書面を三度嗅ぎ、インクの品質に納得したのか、ぴょこんとエルシーの肩へ移った。精霊にまで書式が通じる大陸である。なおポポは、本人の強い希望により、港のパン焼き工房(ヴァルガの店の大陸側の焼き直し窯だ)で住み込みで働くことになった。契約書は俺が書いた。賃金、パン。本望だろう。


 出発前夜。それぞれが、それぞれの支度をしていた。レーヴェは剣を研ぎ(「傭兵の国かあ。腕の立つ奴、いるかな」と、ちょっと楽しそうなのが剣聖である)、ミラベルは『黎明』の詠唱書と精霊魔法の入門書を鞄に詰め込み、俺は両国への通告文の最終稿と格闘していた。


 そしてエルシーは、ランプの下で、手紙を書いていた。


 覗く気はなかったが、几帳面な字の書き出しだけが、目に入った。『ユーリス様。オルサ大陸に無事到着しました。以下、業務のご報告です』。……業務報告らしい。三百年分の懺悔を聞いている相手への手紙が業務報告調なのは、彼女なりの照れなのか、様式なのか。手紙は淡々と航海と大陸の様子を綴り、しかし最後の三行だけ、筆の速度が変わったのが、字面から分かった。


『あなたの懺悔は、残り百二十九年分です。続きは、帰ってから伺います。

 ですから、私は必ず帰ります。

 ――エルシー』


 彼女は封をして、西行きの船便の袋に、そっと入れた。俺は見なかったことにして、自分の通告文に戻った。世界のどこにいても、人の帳簿には、こういう「必ず」が要るのだ。精霊に拾われても構わない種類の、必ずが。


 俺自身の最後の支度は、ミラベルへの一言だった。荷造りの部屋を覗いて、短く言った。


「暴発するなら、人のいない方へ。いつも通りに」


「言われなくても。百七回の実績持ちだよ」


「それと――『黎明』は、持っていけ。読む暇は、ないかもしれないが」


「……ふふ。分かってるじゃないか。始まりの魔法はね、始まりそうな場所に持っていくものなんだ」


 翌朝、俺たちは港で二手に分かれた。北へ向かう馬車と、南へ向かう船。港にはポポが見送りに来て、焼きたてを四つ、俺たちの荷に押し込んだ(工房の親方公認の、餞別だそうだ)。別れ際、ミラベルが拳を突き上げた。


「第二部の始まりだね! 合言葉は?」


「「「安全第一」」」


「日当死守!」


「お前だけ違うんだよ」


「両方とも大事だろ! 安全に日当を稼いで、三十日後に全員で精算! これ以上ない合言葉じゃないか!」


 ……悔しいが、纏まっていた。安全に稼いで、全員で精算。うちの三年間を四語に圧縮すると、確かにそうなる。


 ――大潮の日まで、あと八十九日。二つの国の言い分を聞きに、俺たちは動き出した。まだ誰も知らない。鉄の国の城の奥で三十年更新され続けている一室の維持費のことも、潮の国の海峡で三十年灯り続けている光の、本当の名前のことも。


(第1章・了 →第2章「鉄の国ヴァルム」へ続く)

次回「第7話 花嫁の部屋」は、9月8日(火)18時30分更新です。

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