後日談・第5話 ルル座、魔王城公演
前回:「後日談・第4話 風のパン屋、二号店」
再建なった魔王城の大広間、こけら落とし公演の演目は、こう告知された。
『劇団ルル座・新作 ――冠の三百年』
脚本監修ユーリス(本人)。座員一名、配役二十三。客席には両国の要人から復興現場の職人まで八百人。前売り札は告知の翌日に完売し、席次を巡って両国の儀典官が衝突しかけたのを、ネビュラが「客席の作法は劇場に従うもの。劇場の作法は、先着順です」の一言で鎮めた(メルヴィナが買い占めを試みて、座長本人に「今回は、駄目だ。全部の席を、いろんな人に座ってほしい」と断られたのは、ここだけの話である。金鱗の女王は「……いい興行主になるわね、あの子」と、悔しさ半分、嬉しさ半分の顔をしていた)。
最前列には、モデルにされた俺たち四人が、落ち着かない気分で座っていた。
ルル座は、相変わらず座員一名である。実は先月、座員募集の審査会が開かれた。応募は十四人。課題は「三分間、誰かに成りきる」。結果は、全員不合格だった。座長の講評は端的だった。「上手い人はいた。だが、観察が足りない。私は王女を三週間で写した。あなたたちは、写したい誰かを、三週間見つめたことがあるか」。ただし全員、研究生としての稽古通いは許された。初回の稽古内容は「市場で半日、人の歩き方だけを見る」。……どこかで聞いた修行である。聞けば、剣聖流の第二課を、観劇に来たレーヴェから仕入れたらしい。芸事の道は、どこかで剣に通じるのだった。
開演前、楽屋に陣中見舞いに行った。二十三役分の小道具に囲まれて、ルルは鏡の前に、素顔で座っていた。
「……緊張してるのか」
「している。当然だ。誰かに化けている間は、緊張などしたことがなかった。……素顔で舞台袖に立つのは、緊張する。悪くない緊張だ。三百年ぶり――いや、生まれて初めての種類の」
「監修殿と、揉めなかったか」
「三回揉めた。あの男、自分の三百年を『もっと惨めに描け』と言う。私は断った。事実は十分に惨めで、十分に立派だ。脚色は、どちらの向きにも要らない」
役者の顔で、座長は言い切った。ユーリスが最終稿に判を捺したのは、初日の三日前だったそうだ。判を捺す時、元魔王は一箇所だけ、自ら台詞を書き足したという。求人票を書く場面の、最後の独白。『誰も来なくていい。だがもし来たら――その時は、世界がまだ、私の知らない書式で動いている証拠だ』。……本人談によれば「実際にあの夜、そう思った」とのことである。世界は動いていた。うちの書式で。
開演の鐘が鳴り、俺たちは席に戻った。
幕が上がる。ルルは、化けた。若き日のユーリスに。初代魔王ヴェイルに。鑿を握る石工の手つきから、冠に喰われる最期の夜まで。ヴェイルが石の子に最後の命令を刻む場面では、客席の職人たちが――日頃、現場で石を刻んでいる男たちが、揃って洟を啜った。鑿の握り方が本職のそれだったからだ、と後で親方が語った。「あの握りは、嘘の握りじゃねえ。何百時間も、鑿を握った手だ」。役作りのために、ルルは本当に石を彫って仕込んだのである。
そして、宿主から宿主へ渡っていく冠そのものに――声だけで、あの金属質の二重音声を再現してみせた時は、客席全体が凍った。俺の隣で本物のユーリスが、膝の上の拳を、静かに握り直したのが分かった。求人票を書く場面では、笑いと嗚咽が客席で同時に起きた。決裁の山に一枚の紙を紛れ込ませる元魔王の手先を、ルルは喜劇の間で演じ、その目だけを、悲劇の目で演じた。三百年で唯一の求人。うちに届いた、あの紙である。
ゴードンの場面もあった。門前で三百年立ち続ける石の巨人を、ルルは立ち姿と声だけで演じた。客席後方――大広間の扉を外して特設された巨人席から、地鳴りのような小声がした。「事実ト、相違ナシ」。場内、静かに沸いた。本人公認である。
四天王の場面も、あった。嵐翼の退職劇では、客席のヴァルガが窯の前と同じ仏頂面で腕を組み、幕間に「……翼の角度が、少し違う」とだけ論評した(翌日、ルルは修正した。プロ同士である)。金鱗の監査の場面では、扇を弾く手つきの再現度に、本人が扇で顔を隠して「やだ、癖まで」と悶えた。幻朧――つまり自分自身の場面を、ルルは化けずに、素顔のまま演じた。誰の記憶にも残らない顔の役を、八百人が見つめる素顔で。あれは、あの夜のルルにしかできない演出だったと思う。
後半、俺たちが登場した。
ルル演じるレーヴェが、敵の身の上話で崩れ落ちる号泣の芝居に、本物のレーヴェが客席で号泣した。芸が本人に効いている。ルル演じるエルシーの「神は見ています。私も見ています。メモも取っています」で客席は爆笑し、本人は「私、あんな圧はありません」と抗議した(ある。むしろ実物の方が強い)。ルル演じる俺の契約書朗読は「六百四十二頁を実演するわけには参りませんので」と三頁に短縮されており、心底うらやましかった。俺も本番、三頁がよかった。
そして――ミラベルの詠唱シーンは、舞台が暗転し、『十一分三十八秒 経過』の札が出て、明転したら終わっていた。
「私の見せ場が省略されたァァァ!!」
「劇的にはあれが正解なんだよなあ……」
「観客の可処分時間との契約だ」と座長は後に語った。役者は、契約の言葉も覚えたらしい。誰の影響かは、言うまでもない。なお、暗転の十一分三十八秒――実は舞台上は真っ暗なだけで、客席には詠唱の「圧」だけが、本物さながらに満ちていた。仕掛けを聞けば、袖でミラベル本人が詠唱二パーセントを維持し続けていたのだという。効果担当・大魔導ミラベル。つまり本人はしっかり出演していたのだ。納得ずくで「見せ場がない」と騒いでいたのだから、あれはあれで、一つの芸である。
終幕。冠が砕ける場面で、大広間は静まり返った。三百年を演じられた本人は、客席で身じろぎもせず見つめ、幕が下りると、誰よりも先に、静かに、長く、拍手をした。
カーテンコール。万雷の拍手の中、二十三の役を生きた役者が、舞台中央で――すべての変化を、解いた。
小柄な、灰色の肌の、これといって特徴のない顔。かつて「見るな」と両手で覆った、その素顔で、ルルは客席に深々と一礼した。
「私の顔は、覚えにくいので――どうか、何度でも、観に来てください」
客席から、声が上がった。一人、二人、やがて八百人の唱和になった。
「「「ルル! ルル! ルル!」」」
誰の記憶にも残らないはずだった名前が、魔王城の天井を、震わせていた。
終演後の楽屋に、監修が一人で訪ねていくのを、俺は廊下から見ていた。扉越しに、短いやりとりが聞こえた。
「……私の三百年を、よく、あそこまで」
「役者は、演じた役を忘れない。あなたの三百年は、今夜から、私の身体にも記録された。……悪いが、返却はできない。演目として、何度でも上演する」
「――頼む。私が忘れそうになった時のために」
打ち上げは、城の仮設食堂で開かれた。研究生十四人が末席に固まって座長の一挙一動をメモし、ヴァルガの差し入れのパンが山と積まれ、ゴードンは窓の外から顔だけ(顔だけで窓三枚分である)参加した。乾杯の音頭は、満場一致で座長に回った。ルルは杯を掲げ、少し考えて、短く言った。「――次の公演も、来てください。私の顔は、覚えにくいので」。それはもう口癖であり、営業文句であり、たぶん、彼女なりの祝詞だった。
舞台袖でエルシーが手帳を開き、観劇記録の頁に、一行だけ書き足すのを、俺は見た。
『本日、神は見ていました。私も見ていました。――とても、良いものを』
次回「後日談・第6話 聖女と、二冊目の手帳」は、8月28日(金)18時30分更新です。




