後日談・第3話 勇者の再就職先
前回:「後日談・第2話 講和会議と、議事録の魔物」
「職歴の欄には、なんと書けば」
「事実を」
「……『魔王(三百二年)』」
「長期勤続は評価されます」
「されるか」
「では『管理職(三百二年)』では」
「役職名を伏せる方向に無理がある」
「『大規模組織の運営に従事』」
「面接で組織名を聞かれたら終わる」
履歴書の一行目から、この調子である。元魔王、現・求職者ユーリスの再就職活動は、難航していた。
発端は本人の申し出である。「復興の間、城の客分でいるのは、性に合わない。働きたい。……三百年、まともに働いたことがないんだ、私は」。魔王は働いていなかったのか、と聞いたら、「あれは働かされていたんだ。違う」と真顔で返された。深い。労働の定義の核心を突く発言である。
俺は履歴書の書き方から付き合った。氏名、ユーリス。年齢――ここでまず三十分揉めた(実年齢三百三十余、身体年齢三十絡み、本人の体感「二十七で止まっている」)。結局「三十(自称)」で通した。特技の欄は本人が「剣、統治(不本意)、走り書き」と書き、俺が統治の後ろの括弧を消させた。不本意な統治で民を三百年守った奴の職歴に、余計な注釈は要らない。
まずギルドで冒険者登録を試した。適性測定で計器を三台壊した(レーヴェ以来の記録である。受付嬢が「またですか」と遠い目をしていた。三年前のうちの登録騒ぎは、まだ語り草らしい)。等級は当然の規格外。体験依頼に出れば、Sランク相当の岩竜が暴れているところに行き合わせ、素手で首筋を撫でて鎮めてしまい、同行した中堅パーティが白目を剥いた。実力に、何の問題もない。問題は、本人の顔だった。帰り道、彼はぽつりと言った。
「……剣や力を使うと、どうしても、昔を思い出す。三百年、力は、奪うためにしか使わせてもらえなかったから」
冒険者の道は、履歴書を出す前に、本人が畳んだ。
次に農業を試した。復興の基幹は食料である。志は良かった。灰の畑に三百年物の魔力を注いだら、作物が一晩で育ちすぎて茎が木になった。芋のつもりが芋の巨木である。村人は困惑し、しかし逞しく、その木材で納屋を建てた。加減が、勇者なのである。本人は「農業は、奥が深い」と真面目に敗因を分析していたが、方向が違う。深いのは畑ではなく、あんたの魔力だ。
三つ目に大工を試し(釘を打つ握力で柱が割れた)、四つ目に帳簿付けを試し(几帳面すぎて一日で三年分進み、経理の仕事を食い尽くした)、五つ目の夜、彼は俺の詰所に来て、静かに言った。
「……三百年、王をやっていて、分かったことが一つある。私は多分、何かを『支配する』仕事が、全部駄目だ。力も、金も、人も。持たされると、あの冠の重さを思い出す」
「なら、逆を探しましょう。何かを『渡す』仕事だ」
転機は、復興地の仮設学校だった。資材を届けに行った彼を、人間と魔族の入り混じった子供たちが取り囲んだのだ。
「ねえ、おじさん、ほんとに三百年生きてるの?」
「初代魔王って、どんな人だった?」
「戦争って、なんで三百年も終わらなかったの?」
「三百年前のパンと、今のパン、どっちがおいしい?」
大人なら誰も正面から聞けない質問を、子供たちは容赦なく浴びせた。ユーリスは、その場に膝をついて、子供の目の高さで、答え始めた。初代魔王は石工で、道具に名前をつける人だったこと。戦争が終わらなかったのは、誰か一人の悪意ではなく、終わらせる手続きを誰も知らなかったこと。パンは、今のほうが断然うまいこと。……夕暮れまで。誰も帰らなかった。迎えに来た親たちまで、途中から一緒に座り込んで聞いていた。教師が言った。「歴史を三百年、全部その目で見てきた人など、世界にあなた一人です」
――ひと月後。仮設学校の黒板の前に、元魔王が立っていた。教科は歴史。教材はエルシー監修(三百年分の懺悔と照合済みの、脚色なしの真実のみ)である。英雄譚の美化も、敗者への断罪もない、世界で一番正確な歴史の授業だった。
着任には、ひと悶着あった。当然である。「元魔王が教壇に立つ」の一報に、保護者会は二つに割れた。反対の急先鋒だった人間の母親は、初回の授業参観に、抗議のために来た。彼女は最後列で腕を組み、元魔王が「戦争で家族を亡くした子は、この教室にもいる。人間側にも、魔族側にも。……私は、その両方に、謝る資格すらない側の人間だ。だから謝る代わりに、二度と起きない方法を、君たちと考える。それがこの授業だ」と切り出すのを聞き、腕組みのまま最後まで聞き、翌週から、堂々と最前列で聞くようになった。参観は自由である。今では常連が七人いる。
「では今日は、三百年前の話をしよう。……勇者ユーリスという、馬鹿な若者の話だ。彼は魔王を倒せば全部終わると信じていた。何が間違っていたか、皆で考えてみてほしい」
生徒の一人が挙手して「倒し方じゃなくて、終わらせ方を調べてなかった」と答えた日、彼は職員室で「教師とは、いいものだな」と三回言ったそうだ。
先日は、課外授業で国境の関所を見学した。教材は三百年ものの石の巨人(本人)である。子供たちはゴードンの掌に乗せられて門の上から両国を眺め、「あっちとこっちで、景色、同じだ」と口々に言った。巨人は「肯定。三百年、同ジ景色ヲ、見テイタ」と答え、引率のユーリスが黒板代わりの門扉に『国境線は地面には引かれていない』と書いた。後日、生徒の作文が関所の詰所に貼り出された。『ゴードンさんの手は、大きくて、あったかくなかったけど、あんしんした』。巨人は当該作文の写しを要求し、日誌に挟んで保管しているという。
答案の話もしよう。先月の試験、「三百年戦争が終わった、いちばん大きな理由を書きなさい」という設問に、正答の分布は割れた。「勇者パーティのかつやく」「講和条約」「冠がこわれたから」。その中に一枚、こう書いた答案があった。『パンやが、こっきょうをこえたから』。ユーリスはその答案に、花丸をつけた。「歴史の試験の採点で、初めて泣きそうになった」というのが、新米教師の彼の弁である。
初任給の日、彼は職員室で給与明細を見つめて、しみじみと呟いたという。
「……魔王より、給料がいい」
「魔王、無給だったんですか」
「役職手当どころか、冠に経費を検閲されていた。羽ペン一本の購入に、稟議が要った」
どこの世界にも、経費に厳しい上司はいる。うちの元上司は世界を三百年戦争に引きずり込んだ分、桁が違うが。
その帰り道、彼はいつものようにエルシーの回復所に寄り、日課の懺悔をした。本日で百六十四年目。残り百三十八年分。エルシーは近頃、彼の懺悔だけは、手帳を開かずに聞く。
「メモは、よろしいのですか」
「ええ。……あなたの分は、覚えていられますので」
回復所の帰り、彼は毎晩、決まった寄り道をする。仮設学校の前を通り、明かりの消えた教室を確かめてから、宿舎に帰るのだ。理由を聞いたら、少し照れた顔で答えた。「三百年、私の見回りは、兵の配置を確かめるものだった。今は、明日の教室が今日のままそこにあることを、確かめている。……見回りの中身が変わると、夜が、こんなに静かだとは知らなかった」。元魔王の再就職は、成功したのだと思う。給料の額より、夜の静けさの方が、証拠として確かだ。
次回「後日談・第4話 風のパン屋、二号店」は、8月26日(水)18時30分更新です。




