後日談・第2話 講和会議と、議事録の魔物
前回:「後日談・第1話 魔王城再建、はじめました」
国境の門前に張られた大天幕で、三百年ぶりの講和会議は、開始三十分で座礁した。
議長席から見る会議とは、要するに巨大な窓口である。受付との違いは、列に並んでいるのが国家で、書類が歴史だということだけだ。俺は開会の槌を打ち、三十分後には早くも、打った槌を後悔していた。
「三百年分の賠償を要求する!」
「無い袖は振れん! こちらは三年続きの凶作だぞ!」
「ならばまず国境線の画定を! 三百年前の線に戻せ!」
「三百年前の線など、双方の地図で百キロ食い違っておるわ!」
人間側代表団と魔族側代表団が机を叩き合い、議長席の俺は、こめかみを揉んだ。賠償、国境線、通商、捕虜、三百年分の恨みの目録。議題は二十七件、どれか一つでも火がつけば、講和会議がそのまま次の開戦理由になる。窓口五年の経験で言えば、これは「双方が正しくて、双方に金がない」という、一番こじれる型の揉め事だった。
紛糾する本会議の裏で、うちの連中は、うちの連中の仕事をしていた。レーヴェは休憩時間に両陣営の護衛武官たちと剣の手入れ談義を始め、昼過ぎには人間と魔族の武官が砥石を貸し借りする仲になっていた(護衛同士が和むと、代表の声も三割静かになる。実測である)。エルシーは天幕の隅に臨時回復所を開いた。三百年ぶりの大交渉で、両代表団は揃って胃をやられていたのだ。治療の対価は例によって懺悔で、「本国からは強硬にと言われたが、本音はもう帰って畑がやりたい」だの「賠償額の根拠資料、実は半分が推計」だのが続々と集まった。もちろん個別の懺悔は秘密である。ただ、聖女は俺にこう耳打ちした。「議長。双方とも、落とし所を、探していますよ」。それが分かれば、議長は戦える。
初日の休憩時間、俺は両代表団の控え天幕を別々に回って、同じ質問をした。「賠償として、一番ほしいものは、突き詰めると何ですか」。人間側は言った。「安全と、市場だ」。魔族側は言った。「時間と、食料だ」。……金貨、とは、どちらも言わなかった。それで方針は決まった。
「――両代表に、議長から対案を出します」
二日目の朝、俺は徹夜で起草した条文を配った。
「第一。賠償は、金銭ではなく『関税特例の恒久化』と『共同復興事業』で代物弁済とする。人間側は市場を得て、魔族側は復興を得る。払う金がないなら、互いの儲けで払えばいい。取り立てる賠償は一代で尽きますが、市場は孫の代まで払い続けますよ。第二。国境の門は関所とし、管理者は――両陣営が三百年信頼してきた、あの御仁に」
天幕の外で、石の巨人が律儀に敬礼した。三百年、どちらの軍も通さなかった実績は、どちらの陣営にとっても「信頼」の同義語だった。異論は、出なかった。
難物と思われた捕虜交換条項は、蓋を開けたら別の意味で難物だった。双方が三百年分の捕虜名簿を突き合わせたところ、捕虜の大半が、捕虜収容の形骸化とともに現地で職に就き、家庭を持ち、要するに――帰りたがっていなかったのである。人間側の名簿の筆頭は魔族領で鍛冶の親方になっており、魔族側の筆頭は王国の港町で三代続く食堂の女将になっていた。会議は「全捕虜の即時送還」で揉めかけたが、俺は条文を一行に書き換えた。『帰還は、本人の希望による』。名簿の照会と旅費の支給だけを両国の義務とした。三百年は、憎むには長すぎ、暮らすには十分な時間だったのだ。
条文の詰めは三日に及んだ。徹夜が二晩。議事録の書記はネビュラと俺で交代し、双方の言い分を一言一句、様式に落としていく。三日目の深夜、通商条項の但し書きに見覚えのない一文が紛れ込んでいるのを発見した。『指定商会に優先取扱権を――』
「……第十八条の但し書き。誰だ」
傍聴席の金鱗の商人が、優雅に扇で口元を隠した。
「あら、ばれた」
「国際条約に自社優遇を挿すな!」
「あら。私の中立通商路が三年間、両方の民を食わせてきた実績への、正当な評価よ?」
「実績は認める! だから本則の付属書で『既存通商路の実績を考慮する』までは入れた! 優先取扱権は駄目だ、独占は市場を殺す! あんたが一番よく知ってるだろ!」
「……ふふ。その条文が入ってるかどうか、試したのよ。入ってたわね。及第点」
試すな。議長の寿命で。
議事録の話もしておく。書記のネビュラの議事録は、恐ろしく正確だった。発言は一言一句、間合いは秒数、机を叩いた回数まで(「物理的衝撃は交渉の熱量の指標です」との由)。三日目、人間側代表の一人が過去の発言を「言っていない」と否認した瞬間、ネビュラは頁をめくり、日時と文言と、その時の湯呑みの位置まで読み上げた。以後、この会議で発言を翻す者は絶えた。議事録は、剣より強い。少なくともこの天幕では。
最終日、調印式。グレアム王とユーリスが、三百年ぶりに、人間の王と魔族領代表として握手した。歴史的瞬間である。両代表団が起立し、天幕の外では市場の群衆が固唾を呑み、感極まったレーヴェの号泣が議事録に「(此処ニ大キナ嗚咽、三分間)」と記録されたのはご愛敬だ(記録者はネビュラ。「議事録は事実を記すもの」との由。三分間は実測である)。
問題は、その後に発覚した。
「リド殿。……その、条約の正式名称の件ですが」
ネビュラが、調印済みの原本を、震える手で示した。表題にはこうあった。
『アステル暫定講和条約(仮)』
「起草段階の仮題のまま……両国代表が、調印を……」
血の気が引いた。徹夜二晩の代償が、こんなところに出た。俺は最速で修正手続きを検討した。誤記訂正で通るか――通らない。表題は条約の同一性の根幹、訂正には再調印が要る。
「もう発効している。修正には再調印、つまり全権代表の再招集が」
「「できるか(できません)」」
頭を抱える俺たちに、救いの声は、意外な方角から来た。グレアム王である。
「……よいのではないか、それで」王は原本を眺め、疲れた目で、しみじみと言った。「三百年の戦争を終わらせたのは、名を決められん者たちだった。条約がそれに倣って、何の不都合がある。それに――我が国の公文書には、既に前例がある」
勲章授与状の宛名の話である。聞かなかったことにしたが、かくして、世界を三百年戦争から救った条約の正式名称には、末代まで(仮)が残ることになった。うちの呪いが、国際法に感染した瞬間である。後世の法学者が論文の注で頭を抱える姿が、今から目に浮かぶ。
なお閉会後、グレアム王に四度目の宰相勧誘を受けた。定時の一言で断った。様式美である。
帰り際、ユーリスが俺の隣に並んで、ぽつりと言った。
「三百年前、私は剣で戦争を終わらせようとして、三百年かかった。……お前は書類で、三日だった」
「三日じゃありません。あんたの三百年の走り書きと、ヴァルガの店と、メルヴィナの市場と、ゴードンの門があって、最後の三日です。条文ってのは、現実が先にあって、初めて書けるんです。……あんたたちが三百年で積んだ現実を、俺は書式に写しただけだ」
「……そうか」元魔王は、少し黙って、それから笑った。「その言い方も、議事録に残しておくべきだったな」
振り返ると、天幕の入り口でネビュラが眼鏡を光らせ、既に何かを書き留めていた。残ったらしい。
次回「後日談・第3話 勇者の再就職先」は、8月25日(火)18時30分更新です。




