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第28話 11分38秒への挑戦

前回:「第27話 正面突破しかない」

「作戦は一つ。ミラベルのフル詠唱で、要塞の動力核ごと外装を吹き飛ばす。目標時間、十一分三十八秒。――全員で、稼ぐ」


「「応ッ!」」


 配置は決めた。詠唱者を中心に、前衛レーヴェ、防護エルシー、そして俺が時計と見取り図を持って、指揮と実況。開始位置は核から四百歩。詠唱の完成半径に入れつつ、崩落に巻き込まれない、ぎりぎりの距離だ。


 ミラベルが、地面に杖で小さく円を描き、その中心に立った。深呼吸を一つ。手帳を胸元に仕舞い、俺を見た。


「事務屋。一つだけ、確認だ」


「なんだ」


「途中で暴発しても、怒らないか」


「暴発の被害額なら、もう慣れた」


「そうじゃなくて」珍しく、声が小さかった。「……届かなくても、怒らないか」


 ああ、と思った。毎日、数字を書き続ける人間の質問だった。


「うちの査定は減点方式じゃない。稼いだ秒数だけ、全部加点だ。――始めろ、ミラベル。世界一の実況を付けてやる」


「ふ……ふふ、上等だ!」


「『原初の闇より出でて灯りし一つ火――』」


 詠唱が、始まった。


 同時に、ゴードンの青い目が、ミラベルを捉えた。奴は理解している。あの詠唱を完成させてはならないと。要塞の全質量が、軋みを上げて、一斉に彼女へ向いた。


「行かせるかァァッ!」


 レーヴェが割って入り、飛来する石壁を斬り伏せる。一枚、二枚、三枚。俺は見取り図と懐中時計を交互に睨みながら、声を張り上げた。


「経過一分! レーヴェ、次は左の塔が来る、基部の継ぎ目を狙え! エルシー、詠唱者の防護を最優先!」


「『――天蓋を裂きて廻れ、廻れ、廻れ――』」


 二分。三分。石の腕が振るわれるたび、大地が抉れ、衝撃波が横っ面を張る。レーヴェの呼吸が上がり始める。四分。


「経過四分! ようやく神々が寝たぞ!」


「実況が懐かしいですね!」


「あの頃は聴衆が逃げましたが、今日は逃げ場がありません!」


「五分半! レーヴェ、下がって懺悔しろ! 回復だ!」


「じ、実は昨日、ヴァルガのパンを一個、多く食べたッ!」


「知ってました!」


「知ってたの!?」


「在庫管理は私の仕事です! はい回復!」


 六分。空気が、変わり始めていた。


 ミラベルの周囲の魔力が、目に見える密度になっていた。真紅のローブの裾が重力を無視して浮き、地面の小石が、ひとつ、またひとつ、宙に昇っていく。詠唱の声は、もう彼女一人の声ではないように聞こえた。何かとても古いものが、彼女の声を借りて、世界に呼びかけている。四十二パーセントの向こう側を、俺は初めて見ていた。


 そして、ゴードンの猛攻が、変わった。ミラベルへの直撃を諦め、代わりに――地面ごと、隆起させ始めたのだ。足元の岩盤が波打ち、亀裂が走る。詠唱者の足場を崩す気だ。詠唱は精密作業である。転べば、そこで終わる。


「ミラベル、足場が崩れる! 詠唱を止めるな、俺が背負う!」


「『――第七の世界は風に散り――』……ちょ、揺らすな、噛むだろ!」


「詠唱しながら文句言えるなら大丈夫だ!」


 彼女を背負って走った。事務屋の脚力を舐めるな、督促状から逃げる債務者を三年追いかけた脚だ(回収する側として、である。念のため)。背中で膨れ上がっていく魔力が、肌を焦がすほど熱い。この熱を、こいつは毎日、たった一人で抱えて数字を書いてきたのか。


 七分。八分。九分。要塞の外装はレーヴェが削り尽くし、ついに中央尖塔の基部――淡く脈打つ動力核が、露出した。


「十分経過ォォ! あと九十八秒ッ!」


 十分。人類の誰も、この詠唱をここまで聞いたことがない領域だった。大気そのものが詠唱に共鳴して唸り、雲が渦を巻いて割れ、背中の熱はもう、痛みに近かった。それでも背中の声は、一節も、噛まなかった。荒野の毎日が、手帳の数字の一行一行が、いま俺の背中で、着実に、百に向かって積み上がっていく。


「レーヴェ、限界なら下がれ!」


「無敗の看板が泣くッ! あと九十八秒くらい――何度でも立つさ!」


「エルシー!」


「防護、まだ張れます! ……皆さん、あとで纏めて説教ですからね、無茶の分!」


 その時、ゴードンが、最後の手を打った。


 残った全質量を、捨てたのだ。腕を、盾を、塔を、全部。そのすべてを核の前に集め、自らを一枚の、分厚い、ただの壁に変えた。攻撃も、移動も、勝利すらも捨てた、防御だけの最終形態。――【鉄壁】の名の、原点だった。


 敵ながら、見事だった。あれは「勝つ」形ではない。「守り抜く」形だ。三百年、あの巨人はずっと、あの形のために立っていたのだと、なぜか、そう思った。


「『――今、終焉の名のもとに――』」


「十一分! 三十秒、二十九、二十八――」


 カウントがゼロに向かう。詠唱が最終節に入る。大気が悲鳴を上げ、大地の砂が一斉に浮き上がり、壁と化したゴードンの青い目が、最後まで、まっすぐにこちらを見ていた。二十秒。十五。魔力が臨界を超えて膨れ上がり、背中の熱が、感覚の限界を超え――


 十二秒を残して、いつものように、暴発した。


 閃光。轟音。世界が白く塗り潰され、衝撃波が雲を割った。俺は背中のミラベルごと前に吹っ飛び、レーヴェに受け止められ、三人まとめて転がった。エルシーの張った最後の防護が、俺たちの周りだけ、球形に世界を残していた。


 音が、消えた。長い、長い無音ののち、遠くで土砂の崩れる音が、雨のように続いた。


 ……土煙が晴れた時、要塞のあった場所には、要塞がなかった。正確には、要塞の背後の山ごと、地形が抉れて消えていた。名のある山だったと思う。地図の改訂が、また必要になった。国土地理院的な部署に、心から詫びたい。


「進捗――八十七パーセント」


 ミラベルが、俺の背中で、掠れた声で言った。悔しさと、誇らしさの、半々の声で。


「自己新。……でも、届かなかった」


「十分だ。見ろ」


「見えない。埃で」


「なら耳で聞け。――静かだろう。要塞が、止まった音だ」


 背中の魔女は、しばらく黙って、その静けさを聞いていた。手帳に書く数字が、今夜は二桁増える。俺は約束通り、俺の帳簿にも書くつもりだった。特大の字で、八十七、と。


 更地の中央に、ひび割れた石の巨体が、横たわっていた。最後の壁の形のまま、半ば崩れて。動力核は露出したまま、辛うじて明滅している。倒し切ってはいない。だが、要塞は、消えた。


 俺たちは駆け寄り、瓦礫を退け始めた。敵を、である。当然のように、全員で。ミラベルまで、魔力切れの膝で瓦礫に取り付いた。ゴードンの青い目が、瓦礫を掘る俺たちを、不思議そうに見上げていた。


「……何故、掘ル」


「埋まってる奴がいたら掘るんだよ、うちは」


「我ハ、敵」


「今は埋まってる奴だ。区分は状況で変わる。書式と一緒だ」


「理解、不能」


「だろうな。うちも五分前まで、あんたを吹き飛ばす側だった。人間ってのは書式より、だいぶ、いい加減にできてる」


 レーヴェが石材を担ぎ上げ、エルシーが細かい瓦礫を捌き、魔力の残っていないミラベルは、それでも「そこ、崩れるよ。支えの石が先」と視えるものを言い続けた。四人がかりで小一時間。巨人の胸から上が、夕日の下に掘り出された。


 その時、瓦礫を退けていたレーヴェが、声を上げた。巨人の胸部に――何かが、刻まれていた。石の肌に埋め込まれた、一回り古い、色の違う石板。びっしりと、古代文字が。


「リド、これ……」


「――刻印だ。こいつの胸に、何かの文書が埋まってる」

次回「第29話 鉄壁の沈黙の理由」は、8月15日(土)18時30分更新です。

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