第27話 正面突破しかない
前回:「第26話 国境の壁」
最初の一撃は、壁だった。
比喩ではない。要塞の外壁の一部が丸ごと剥がれ、質量百トンの石壁が、横薙ぎに飛んできたのだ。
「「「要塞が武器!?」」」
「散れッ!」
レーヴェの号令で四人が四方に跳び、直後、さっきまで俺たちのいた場所が更地になった。着弾の震動で、離れた俺の歯の根が鳴った。土煙の向こうで、ゴードンの巨体が要塞と「接続」されていくのが見えた。壁が剥がれて腕に繋がり、塔が抜けて拳に嵌まり、城門が外れて盾になる。二百メートルの壁が、みるみる、人型の輪郭を補強していく。
四天王筆頭【鉄壁】とは、ゴーレム一体の名ではなかった。要塞そのものが、あいつの身体だった。
「作戦を言う!」俺は走りながら叫んだ。「ルルの見取り図によれば、要塞の動力核は中央尖塔の基部! だがそこに届くには本体を抜くしかない! レーヴェ、行けるか!」
「――ようやくだ」
レーヴェが、剣を抜いた。その横顔を見て、俺は息を呑んだ。彼女は、笑っていた。出会ってから一年、初めて見る種類の笑顔だった。
「ようやく会えた。身の上に泣かなくていい敵。手加減の要らない敵。罪もなく、痛みもなく、ただ純粋に強くて硬い、壁みたいな敵に――剣士として、全力でぶつかっていい敵にッ!」
剣聖が、消えた。
次の瞬間、ゴードンの右腕(元・東壁)に白い閃光が走り、百トンの石材が両断されて宙を舞った。無敗の剣聖レーヴェ、結成以来おそらく初めての、心置きない全力である。速い。今までの戦いは全部、何かを遠慮していたのだと、嫌でも分かる速さだった。カインの砥石で研いだ剣身が、灰色の巨体に、白い線を引き続ける。
だがゴードンも、伊達に「筆頭」ではなかった。両断された腕は崩れながら空中で組み変わり、二本の細い腕になって左右から襲いかかる。塔が振り下ろされ、大地が波打ち、城門の盾が剣閃を弾く。斬られることを、まったく恐れていない。斬られた端から、要塞という無尽蔵の在庫が補充されるからだ。
「あはっ、あはははは!」
石の腕の間を縫いながら、レーヴェが声を上げて笑っていた。戦場に響く笑い声は、不謹慎の極みで、太陽みたいに晴れやかだった。
「硬い! 速い! 重い! しかも謝らなくていい、泣かなくていい、加減しなくていい! ――あんた最高だよ、ゴードン!」
「評価、不要。排除、続行」
「その塩対応も最高!」
剣聖の褒め言葉に一切取り合わない敵は、たぶん、彼女の人生で初めてだった。
「エルシー! 支援を!」
「はい! ――お二人とも、回復が要る方は懺悔をどうぞ!」
「この状況でもか!?」
「条件は条件です!」
「ああもう! ――白状する、昇進面談の練習を毎晩鏡の前でやってた! 『私が受付主任になった暁には』って!」
「いい懺悔です!」
俺の擦り傷が光に包まれて消えた。続いてレーヴェが、石の指の間を跳びながら叫ぶ。
「あたしは道場の看板の字を書き損じて、裏返して誤魔化したことがあるッ!」
「二十点! もっと深いのを!」
「くっ……試合前は今でも、緊張で、お腹が痛くなるッッ!!」
「満点です!!」
無敗の剣聖の可愛い秘密と引き換えに、斬られた脇腹が塞がった。戦場に俺たちの懺悔が飛び交い、そのたび誰かが立ち上がる。世界一締まらない、世界一連携の取れた戦いだった。
ゴードンの攻めは、単調なようで、多彩だった。石壁の横薙ぎの次は、砕いた石材の雨。雨を凌げば、地面から石の槍。そして厄介なのが、壁だった。俺たちの間に音もなく壁がせり上がり、視界と連携を裂きにくる。声が届かなくなった瞬間の恐ろしさは、戦って初めて分かった。
「壁で分断される! 合図を決める、剣で三回叩けば『無事』、二回は『回復要請』だ!」
「窓口の呼び鈴方式!?」
「伝われば何でもいいんだ!」
こつこつ、と壁越しに三回、音が返ってくる。生きている。それだけで、次の一手が打てる。
「リドさんも回復が要ります! はい、懺悔!」
「……経費で私物の羽ペンを買ったことが一度ある! 翌月、気づいて返金した!」
「返金済みは罪が浅いです! 四十点!」
「なら――ミレット先輩の差し入れの菓子を、新人の歓迎会用と偽って三割食べた!」
「小さい上に姑息! でも具体的なので満点です!」
一度、ひやりとする場面があった。エルシーの防護の光が、石材の雨を受けて砕けたのだ。破片が聖女に届く寸前、割り込んだレーヴェが、剣の腹で全弾を叩き落とした。
「エルシー、無事か!」
「ええ! ……今の借りは、回復無償で返します!」
「無償!? あんたが!?」
「非常時特例です! 二度は出ません!」
聖女の無償回復。この戦場で一番の椿事かもしれなかった。
俺は俺で、遊んでいたわけではない。ルルの見取り図を広げ、要塞の給石経路――巨人に石材を送り込む搬送路を読んでいた。
「レーヴェ! 右脚の補充が遅い、そこの搬送路はさっき自分で潰した! 右から回れ!」
「あいよッ!」
「次、頭上! 第三塔が落ちてくる、受けるな、基部の継ぎ目を抜け!」
窓口五年の観察眼は、書類の粗を見つける目だ。そして要塞の駆動系統は、よく出来た帳簿に似ていた。金の流れの代わりに、石の流れ。どこかに必ず、決まった経路がある。経路には、必ず詰まる場所がある。
三十分。レーヴェの剣はゴードンの外装を七割方削り、俺の指示は搬送路を三本潰し、エルシーの回復は一度も途切れなかった。それでも――核は、遠かった。削っても削っても、要塞の石材が巨人に補充される。補充の速度は落ちている。だが、こちらの消耗の方が、早い。レーヴェの呼吸は上がり、エルシーの聖印は光を細らせ、俺の懺悔のネタは底が見え始めていた(人間、三十分で語れる罪には限りがある)。
このままでは、先に尽きるのはこちらだ。
俺は号令をかけ、崩れた石壁の陰にいったん全員を集めた。水筒を回す。レーヴェの手の甲は擦り切れ、エルシーの額に汗が浮き、それでも二人とも、目は死んでいなかった。
「現状を言う。外装は七割削った。だが補充が続く限り、核には届かない。レーヴェ、あとどれくらい保つ」
「全力なら、あと二十分。八割なら、一時間」
「エルシーは」
「聖印の光が、もう二段、細くなります。……皆さんの懺悔の在庫にもよります」
「俺の在庫はさっきので底だ。……つまり、消耗戦は負ける。一撃で終わらせるしかない」
三人の視線が、自然と、一人に集まった。戦闘開始からずっと、詠唱もせずに巨人を「視て」いた、真紅のローブに。
「ミラベル。ずっと視てたな。どうだ」
「核の魔力循環、把握した。外装の補充は核の脈動と同期してる。つまり――核ごと消せば、全部止まる」彼女は、こともなげに言った。「必要なのは、完唱。少なくとも、今までで一番深いところまで」
「十一分三十八秒を、この戦場で稼ぐ。……できるか、じゃないな。やるんだな、うちは」
「ふ。ようやく私の時代が来た」
俺は懐中時計を握りしめた。荒野で毎日、届かない数字を記録し続けてきた、うちの最終兵器。その毎日の記録を、世界でたった一人だけ読んだ者として――俺は、最後のカードを切った。
「――ミラベル、頼む」
真紅のローブが、はためいた。
「任された」
次回「第28話 11分38秒への挑戦」は、8月14日(金)18時30分更新です。




