第23話 【幻朧】の素顔
前回:「第22話 幻を破る42%」
【幻朧】――本名をルルというその魔族は、地下牢ではなく、(俺たちの強い要望で)客間に軟禁された。壊れてない方の客間である。
宰相府は当然「大罪人を客間にだと」と渋った。そこで俺は、「王女殿下は無傷、むしろ健康状態は改善。物的被害は客間一室のみ。かつ本人は四天王であり、その処遇は今後の対魔王軍交渉の先例となる」という趣旨の上申書を、書式完璧で提出した。通った。書式の整った無茶は、通るのだ。
尋問は、レーヴェが志願した。というより、誰にも止められなかった。
「あんた、なんで顔を隠す」
卓を挟んで、開口一番それだった。ルルは頭から毛布を被ったまま、長いこと黙っていた。やがて、毛布の下から、乾いた声がした。
「……我ら変化魔は、『素顔のない種族』と蔑まれる。だが私は、その中でも出来損ないだ。私の素顔は――誰の記憶にも、残らない」
「……どういうことだ?」
「生まれつきだ。呪いでも魔法でもなく、ただ、そういう顔なのだ。印象が、ない。親ですら、三日会わないと私の顔を忘れた。名を呼ばれた数より、『ええと、誰だったか』と言われた数の方が多い。……だから、化けた。誰かの顔なら、覚えてもらえる。誰かでいる間だけ、私は存在できた。魔王軍は、そんな私を『最高の諜報員』と呼んでくれた。……自分でない者としてなら、私は一流だった」
しん、と部屋が静まった。
レーヴェの涙腺が決壊するまで、今回は二秒だった。最短記録の更新である。だが彼女は、ぼろぼろ泣きながら、まっすぐに言った。
「――あんたの王女、三週間、誰にもバレなかったんだろ」
「……それが、何だ」
「あたしは剣聖だ。人の歩き方、重心、呼吸、癖――全部見える。あんたの王女の歩き方は、完璧だった。あれは変化の魔法だけじゃ出来ない。何百時間も観察して、練習して、骨の髄まで『その人』を写し取った者の動きだ。……それはね、種族の力じゃない。あんた個人の、努力と、才能って言うんだよ」
毛布の端から覗くルルの目が、見開かれた。
「せっかくの才能を、諜報なんかに使うな。もっと堂々と、大勢の前で、人を化かせ。――そういう仕事が、人間の世にはあるんだ。『役者』っていうんだけどね」
「やく、しゃ……」
「舞台の上なら、百人に化けても誰も咎めない。それどころか、拍手が来る。幕が下りたら、あんた自身が呼ばれるんだよ。化けてた『中の人』に、みんなが拍手を送るんだ」
毛布が、小さく、揺れた。長い沈黙のあと、毛布の下から、おずおずと声がした。
「……一つ、やってみても、いいか」
次の瞬間、毛布の中身が、俺になった。
俺が、俺の姿で卓の向こうに座り、俺の癖で袖口を直し、俺の声で言ったのだ。「その申請書、日付の書式が乱れている。全角と半角の混在は差し戻し対象だ」――そっくりだった。声も、姿も、何より、うんざりするほど言いそうな台詞が。
一拍おいて、レーヴェが吹き出した。エルシーが声を上げて笑い、目を覚ましたミラベルが「リドが二人いる、悪夢だ」と騒いだ。俺は抗議しようとして、やめた。毛布から出てきた素顔のルルが――拍手の中で、呆然と、泣きそうな顔で笑っていたからだ。
生まれて初めての、観客だった。
仕上げは、エルシーだった。ルルは幻術戦の際に負った傷を治療されることになり、当然、対価を求められた。
「懺悔をどうぞ。……ああ、それから、一つだけお約束します」
エルシーは手帳を開き、新しいページの一番上に、丁寧な字で、二文字を書いた。
「あなたの懺悔は、誰かの顔でしたことではなく、あなた自身がしたこととして――『ルル』の名前で、記録します。神は見ています。私も見ています。……あなたのことを、です」
誰の記憶にも残らなかった者の名が、初めて、誰かの帳面に残った。ルルは、毛布を被ったまま、長いこと嗚咽していた。
翌朝は、俺の出番だった。もはや説明も要るまい。様式第一号(写し)の出番である。
「――四天王、これで三人目なんだが」
「軍を、辞められるのか。この私が。……機密は。任務の引き継ぎは」
「全部、条文で潰せる。機密保持は第六項。競業避止は諜報業に限定して第七項に足す。役者は諜報業じゃないから、堂々とやれ。難物は退職金の算定だな……諜報員の給与、どうせ表帳簿に載ってないだろ」
「大半が、現物支給だった。他人の顔と、他人の人生が」
「経費精算が地獄だ……」
内容証明飛竜便への返答は、二日で来た。もはや、驚異ですらない。今回のネビュラは書面のみだった。曰く――『三通目ですので、当課の様式綴りに「対《(仮)》用」の項を新設いたしました。以後、五営業日以内の処理をお約束します』。魔王軍総務部は、うちを定型業務にしたらしい。
受理通知の末尾には、今回も、あの走り書きがあった。
『顔を上げて暮らせ。舞台は、いつか観に行く。誰かに化けて、客席から。――魔王』
ルルは、その一文を、何度も、何度も、読み返していた。
「……あの方は。昔から、あの方だけは、私の顔を忘れなかった」
ぽつりと落ちた呟きを、俺は聞かなかったことにした。ただ、頭の中の「魔王」の項目に、また一行、書き足した。侵攻命令の判を捺す手と、この走り書きを書く手が、同じ人間のものであるという、謎。手持ちの資料は、少しずつ増えている。答えは、まだ出ない。
――一ヶ月後。王都の小劇場に、奇妙な劇団の旗が上がる。座員一名、演目は十二人芝居。劇団『ルル座』。初日の客席には、パンを差し入れに来た元四天王と、招待状で全席を買い占めた金鱗の商人の姿があったという。
同じ頃、俺はもう一件の「解約」を片付けていた。カインの専属契約である。
契約書の写しを、三晩、読み込んだ。エルシーと交代で、条文を一本ずつ潰していった。違約金条項は鉄壁。解約権は商会側の独占。未成年時の締結にも一見、瑕疵がない――だが、三晩目の深夜、見つけた。
締結日、カインは十五歳。孤児院出身で、親権者は不在。未成年との契約には、後見人の署名が要る。契約書の後見人署名欄には、確かに署名があった。――ボルドー商会の、顧問弁護士の名が。
「……おい。これ、契約の相手方が、自分で自分の契約を後見してるぞ」
「利益相反ですね」エルシーが、にっこり笑った。「契約は、遡って無効です」
商会は違約金を喚いたが、「では、十五歳の孤児と結んだこの契約の経緯を、王都商業裁判所で丁寧に説明しましょうか」の一言で、黙った。カインは自由になり、《暁の宝剣》は解散。彼は装飾のない鉄の剣一本で、冒険者ギルド王都支部の窓口に並び直し、初級依頼から登録し直した。
「三年ぶりに、練習じゃない笑い方を思い出した」
晴れ晴れとした、いい顔だった。
――その夜だった。王都のすべての鐘が、いっせいに鳴り出したのは。
早鐘。それも、開戦を告げる乱打だった。
「国境より急報ォォ! 魔王軍、動く! 残存全戦力、【鉄壁】の要塞に集結中! ――最終攻勢の兆しであるッッ!!」
触れ役の声が、大路を駆け抜けていく。酒場から人が溢れ、窓という窓に灯りがともり、誰かが子供の名を呼んだ。俺の頭には、なぜか、北の森の岩亀の群れが浮かんでいた。台帳の備考欄。「発生原因・北方に要因の可能性」。――あの亀たちは、五万の軍靴の音から、逃げてきていたのだ。
次回「第24話 王命」は、8月10日(月)18時30分更新です。




