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第22話 幻を破る42%

前回:「第21話 城内に潜む影」

「私が本物だ!」「私が本物だ!」


 二人のレーヴェが、同時に叫んだ。


 姿、声、立ち姿。腰の剣の拵えから、鞘の小さな傷、前髪の分かれ目まで、完全に同一だった。エルシーが目を細め、ミラベルが魔力を視て、二人とも首を横に振った。「魔力の質まで、同じです」「写しの精度が異常。芸術品だね、これ」


 感心してる場合か。だが、俺は焦っていなかった。姿は写せても、写せないものがある。俺は冷静に、二人に同じ質問をした。


「――さっき城下で見かけた、親とはぐれた子犬の話をしてくれ」


「「え?」」


 三秒後。片方のレーヴェの目から滝のような涙が溢れ、「あの子まだ橋の下にいるのかな、夜は冷えるのに、任務が終わったら絶対迎えに行くんだ、名前ももう決めてある」と嗚咽を始めた。もう片方は、無表情で立っていた。


「泣いてる方が本物だ」


 偽レーヴェは舌打ちして霧散した。名前まで決めていた件は、後で問いただすことにする(飼えるかどうかは宿と要相談である)。


 幻術使いの模倣は、精巧だった。だが、うちの連中の「持ち味」は、模倣の想定を毎回、斜め上に超えてくる。続いて現れた偽エルシーは、俺が試しに小さな懺悔をしてみせても手帳にメモを取らないことで見破られた(本物は条件反射で記録する。記録しない聖女の方がよほど聖女らしいのだが、うちの聖女はそうではない)。偽ミラベルに至っては、詠唱が三秒で終わった。


「詠唱の短い私など、私ではない!」


「偽物の方が実用的なの、どうなんだそれは」


「実用性など、詠唱の美学の前では塵!」


 本物はこう言い切る。ここまで来ると、いっそ立派である。


 三人の「本人確認」を終えた俺は、全員の袖に、携行している付箋を貼った。『本物・確認済・確認者リド』。ついでに自分の袖にも貼ろうとして、手が止まった。


「……なあ。俺が偽物じゃないって、どうやって証明する」


「簡単です」エルシーが言った。「あなた、さっきから、幻術空間の被害額を暗算してるでしょう」


「客間の壁の修繕が坪いくらか考えてた」


「本物ですね」


 俺の付箋には『本物・確認済・確認者エルシー』と書かれた。確認者の署名がある書類は強い。幻術相手に事務処理で対抗しているのはうちくらいのものだろうが、おかげで以後、入れ替わりの手は二度と通じなくなった。


 だが、状況は着実に悪かった。幻術は、剥がしても剥がしても、上から重ねられた。回廊は無限に折れ、月は増え続け、窓の外の景色は歩くたびに入れ替わり、出口は、ない。


 しかも幻は、搦め手にも来た。回廊の分岐の先に、突然、見慣れた光景が現れたのだ。――整然と書類の並んだ、完璧な書庫。日付順、種別順、全ての角が揃った既決箱の列。差し戻し案件ゼロの決裁棚。


 足が、勝手に一歩、出た。


「リドさん」エルシーが俺の襟首を掴んだ。「それ、罠です」


「分かってる。分かってるが、あの二段目の綴じ紐の結び方が実に」


「戻ってきてください」


 危なかった。俺の心も、大概読まれている。ちなみにレーヴェには「雨の中で鳴いている迷子の子竜」の幻が、ミラベルには「詠唱を最後まで聞いてくれる聴衆五百人」の幻が用意されていた。全員の襟首を順番に掴んで回収したエルシーだけが、なぜか一度も足を止めなかった。聞けば、「私に効く幻ですか? そうですね……全額完済された債権、でしょうか」。幻術使いに、少し同情した。あれは再現のしようがない。


 歩きながら、俺は考え続けていた。奴はどこか安全な場所から、俺たちの魔力と精神を読み、先回りして幻を編んでいる。読まれている。――なら、読めないものを、ぶつければいい。


 いる。うちに一人。本人にすら読めない魔力の持ち主が。


「ミラベル。詠唱だ」


「! いいのか、こんな屋内で!」


「幻術使いは、相手の魔力の流れを読んで幻を編む。整った魔力ほど読みやすい。だがお前の詠唱魔力は――お前自身にすら制御できない。世界一、先読みのできない魔力だ」


「……それ、褒めてる?」


「今日だけは、最大級に褒めてる」


「ふ、ふふ……いいだろう! 見せてやる、制御不能の真髄を! 『原初の闇より出でて――』」


 詠唱が始まった瞬間、幻の回廊が、びりり、と軋んだ。


 漏れ出す未完成の魔力が、暴れ馬のように空間を殴りつける。幻朧は必死に編み直しているのだろう、回廊の壁が高速で貼り替えられていく。だが、次の瞬間にはあらぬ方向から魔力の奔流が幻を突き破る。読めない。編めない。三つあった月が一つずつ砕け、偽の回廊が、古い壁紙のようにめくれ上がっていく。


 どこからともなく、この夜初めて、感情らしきものの乗った声が響いた。


「なんだ、この魔力は……型がない、呼吸がない、予測が――できないッ」


「だろうな。俺たちは一年これと暮らしてるが、いまだにできん」


「経過八分! いいぞミラベル、その調子で暴れろ!」


 追い詰められた幻術使いは、最後の悪あがきに出た。俺たちの眼前に、偽の出口が三つ開き、偽の朝日が差し、あまつさえ偽の俺まで現れて「詠唱を止めろ! ここで止めれば被害額はまだ軽い!」と叫んだ。言いそうなことを言う。だが、詰めが甘かった。


「袖に付箋がない。偽物だ」


 事務処理は、幻術に勝つ。


 レーヴェが、めくれた幻の裂け目を斬り広げ、エルシーが祈りの光で余波から俺たちを庇う。俺は懐中時計で経過を計り続けた。八分半。九分。詠唱の圧が、幻の天井をみしみしと軋ませる。


「『――今、終焉の――』……あっ、まずい、限界」


「限界!?」


 四十二パーセントで、暴発した。


 轟音。閃光。世界が真っ白に塗り潰され――幻術空間は、木っ端微塵に砕けた。


 気づけば俺たちは、現実の書庫前の廊下に、四人まとめて投げ出されていた。ついでに、現実の客間がひとつ、壁ごと消し飛んでいた(後日弁償・金貨八十枚。この時の俺の悲鳴は、割愛する)。


 石床に大の字になったミラベルが、煤だらけの顔で、荒い息のまま笑っていた。


「見たか……四十二、パーセント……自己新記録……」


「ああ。見た。大記録だ」


 こういう時だけは素直に認めてやる。三パーセントでギルドを半壊させた女が、四十二まで漕ぎ着けて、幻術ごと現実を一部屋しか消さなかったのだ。成長である。何かが根本的におかしい成長の物差しだが、うちではこれが標準になりつつある。ミラベルは満足げに笑ったまま、魔力切れで眠りに落ちた。


 幻の砕けた廊下の隅に――魔力切れで変化の解けた術者が、うずくまっていた。


 小柄な、灰色の肌の魔族だった。年の頃も、男か女かも、はっきりしない。これといった特徴のない、静かな顔立ちの――


「見るな……!」


 幻朧は、両手で自分の顔を覆った。


「頼む、見ないでくれ……この顔だけは……!」


 その悲鳴は、大陸最高と謳われた諜報員のものではなく、迷子の子供のそれだった。


 なお、本物のアリシア王女は、書庫の奥の隠し部屋で、健やかな寝息を立てて発見された。三週間眠らされていたにしては顔色が良く、傍らには上質な食事の盆と、掛け直された毛布があった。枕元には読みかけの詩集まで置かれ、栞の位置が毎日少しずつ進んでいた形跡すらあった(眠っている本人は読めない。つまり、読み聞かせだ)。誘拐犯の待遇では、まったく、なかった。

次回「第23話 【幻朧】の素顔」は、8月9日(日)18時30分更新です。

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