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第21話 城内に潜む影

前回:「第20話 公認勇者はつらいよ」

違和感の正体は、翌日の昼に判明した。


 王女主催の、戦傷兵への慰問である。王都の療養院に礼服と聖歌隊が入り、寝台の兵士たちが緊張した面持ちで並んだ。アリシア殿下は寝台を一つずつ回り、兵士の名を呼び、故郷の話を聞き、完璧な言葉を掛けていった。完璧すぎて、台本があるのかと疑ったほどだ(俺は式次第を確認した。台本はなかった。全部、彼女の頭から出ている言葉だった)。


 途中、片脚を失った若い兵士が、床に落とした木匙を拾おうとして、寝台から傾いた。誰より早く動いたのはレーヴェだった。匙を拾い、握らせ、それから兵士の残った脚の腱の張りを一目見て、「杖、まだ早い。あと十日は待ちな。焦ると膝を壊す」と告げた。兵士がぽかんとし、軍医が慌てて手元の記録をめくり、「……剣聖殿の見立て通りです」と唸った。うちの前衛は、敵の疲労も味方の傷も、等しく見えるらしい。


 その席で殿下は、聖女と名高いエルシーに「祝福の共同祈祷」を所望した。王族と聖職者が手を重ねて祈る、由緒ある儀式である。断る理由は、どこにもない。エルシーは完璧な微笑で応じ、王女の手に、自分の手を重ねた。


 祈りの光が灯り――ふっ、と掻き消えた。


 二度目。灯って、消える。三度目。今度は、灯りすらしなかった。


 ざわつきかけた場を救ったのは、王女の方だった。「私の魔力が、今日は落ち着かないようです。皆さまの快癒を祈る心は、変わりませんのに」と完璧に微笑み、場は「殿下もお疲れなのだ」という同情の空気で丸く収まった。見事な収拾だった。――見事すぎる、と思ったのは、後になってからだ。


 慰問が終わり、人払いした控室で、エルシーは静かに言った。


「私の祈りは、相手の『心』に触れて灯ります。懺悔と同じ理屈です。……あの方に触れた時、心の在り処が、ずれていました。身体の輪郭と、心の輪郭が、合っていない」


「つまり?」


「あの身体の中にいるのは――アリシア様では、ありません」


 偽物。王女の顔をした、何者か。城の中枢に、それがいる。


 絶句する俺たちに、エルシーは付け加えた。「確信は、あります。証拠は、ありません」


 そこが問題だった。俺は頭の中で、報告の場面を最速で試算した。宰相府に上げる。「王女殿下は偽物です」。根拠は。「聖女の勘です」。――終わりだ。よくて門前払い、悪くて不敬罪。書式の整わない報告は、中身が正しくても通らない。窓口五年の鉄則である。


「ただ、裏なら取れるかもしれん。……実は俺も、一つ引っかかってたことがある」


「あなたも?」


「王女名義の書類だ。今朝、うち宛てに慰問同行の礼状が来ただろう。あの署名――上手すぎた」


「上手いと、駄目なんですか」


「本人の署名ってのはな、崩れるんだ。急いでる日は跳ねが流れるし、疲れてる日は筆圧が落ちる。俺は五年間、何万枚と署名を照合してきた。生きた署名は、毎回すこしずつ違う。……ところが、あの署名はここ三週間の公文書で一度も崩れてない。全部、同じ速度、同じ筆圧。あれは『書いた』字じゃない。『再現した』字だ」


「……窓口、恐るべしですね」


 どこかで聞いた台詞だった。


 その日の午後、俺は文書庫に行き、「合同任務の報告書作成のため、関連公文書の写しを閲覧したい」という申請書を出した。嘘は書いていない。関連の範囲を、俺が広めに解釈しただけだ。書式が完璧だったので、司書は快く通してくれた(「久しぶりに気持ちのいい申請書を見ました」と言われた。王城の申請書の書式は、存外、乱れているらしい)。


 王女名義の公文書を、三ヶ月分、並べた。


 結果は、想像以上に綺麗だった。三週間と少し前を境に、署名の質が、ぴたりと変わっている。それ以前の署名は、生きていた。雨の日の礼状は滲み、夜会の翌朝の決裁は線が細い。それ以後の署名は、全部、同じだった。同じ速度。同じ筆圧。同じ角度。完璧という名の、死んだ字。


「――三週間前」


 王女の身に何かが起きたのは、その頃だ。日付は、控えた。証拠としては、まだ弱い。だが、張り込む夜を選ぶには、十分だった。


 かくして俺たちは、(王家に報告しても通らない以上)自力での確認を選んだ。夜、王女の私室のある翼廊を張り込む。回廊の柱の陰に四人。俺は張込記録簿を作った(時刻、観測事項、担当。張り込みにも書式は要る)。ミラベルは暇に耐えかねて三回詠唱を始めかけ、三回、全員がかりで口を塞がれた。レーヴェは通りかかる衛兵の歩調だけで「今の人、二晩寝てない。ここの交代制、無理がある」と労務環境を診断していた。剣聖の目は、こういう時に無駄に高性能である。


 夜の王城は、昼とは別の生き物だった。魔導灯の間隔は広くなり、衛兵の巡回は決まった拍子で遠ざかり、石壁が昼の熱を吐いて、回廊にひやりとした風を流す。俺は懐中時計の針を、月明かりで読み続けた。午前零時、異常なし。一時、異常なし。ミラベルの船を漕ぐ頭を、エルシーが三度、無言で支え直した。


 果たして深夜二時、「王女」は動いた。


 私室の扉が、音もなく開いた。灯りは、持っていない。王女の寝間着姿がするりと廊下に出て、迷いのない足取りで、回廊を歩き出した。


 ――足音が、ない。


 先に気づいたのはレーヴェだった。「重心が浮いてる。あれ、床を信用してない歩き方だ」。囁く剣聖の隣で、エルシーが小さく頷いた。「心の輪郭も、あのままです。……参りましょう」。俺は記録簿に「午前二時四分、対象移動開始」と書き付けてから、立ち上がった。書いてる場合かと思われそうだが、こういう紙が後で身を助けるのだ。多分。


 俺たちは息を殺して、後を追った。


 尾行の途中、俺は嫌な汗をかいた。前を行く「王女」が、角を曲がった瞬間――衛兵の姿に、変わったのだ。歩幅も、肩の揺れも、鎧の擦れる音まで完璧な衛兵だった。すれ違う本物の衛兵に会釈までして、また角を曲がると、今度は侍女の姿に。


「変化魔……!」


 ミラベルが声を殺して呻いた。そして俺たちは、同時に思い出していた。四天王は、四人。【嵐翼】ヴァルガ、【金鱗】メルヴィナ、【鉄壁】ゴードン――そして最後の一人。姿を見た者がいない、と王国の資料にすら書かれていた、諜報担当。


「――【幻朧】」


 地下書庫へ降りる扉の前で、「侍女」は、ぴたりと足を止めた。


 振り向かないまま、若い女とも老人ともつかない、奇妙に平坦な声で言った。


「……気づいていたよ。三日前から。特にそこの神官。君の眼は、嫌いだ」


「褒め言葉として受け取ります」


 エルシーが即答した。この状況で一歩も引かない胆力は、さすがというほかない。


「ここから先は、王家の機密書庫でね。見られた以上、帰せない――と言いたいところだが、私は争いが好きじゃない。だから」


 侍女の輪郭が、蝋燭の火が掻き消えるように、闇に溶けた。


「――迷っておいで。永遠に」


 書庫の扉が独りでに開き、俺たちの視界が、ぐにゃりと歪んだ。


 浮遊感。反転。着地。


 気づけば四人は、見覚えのない、どこまでも続く回廊に立っていた。左右に等間隔で窓が並び、窓の外の月が――三つ、あった。


「多重幻術……全員、はぐれるな! ……って、おい、待て」


 振り向くと、レーヴェが二人いた。

次回「第22話 幻を破る42%」は、8月8日(土)18時30分更新です。

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