第20話 公認勇者はつらいよ
前回:「第19話 玉座の間で正座」
合同任務の朝は、向こうの「隊列」を見た時点で、嫌な予感が確定した。
金色の装飾馬車が三台。側面には商会のロゴ。続く荷馬車に積まれているのは、鎧でも兵糧でもなく、画材と、化粧道具と、姿見だった。人員名簿を見せてもらうと、護衛より、絵師と広報の方が多かった。討伐隊というより、興行の一座である。
「《暁の宝剣》のカインだ。……この度は、よろしく頼む」
馬上から挨拶したカインの鎧は、今日も胸部のロゴが眩しかった。声に、あの日の控室の掠れは、もうなかった。完璧に整えられた、営業用の声だった。そちらの方が、よほど痛々しかった。
現場は、王都の北の森だった。異常発生した魔物――大型の岩亀の群れの調査と間引き。甲羅の直径が荷車ほどもある、のそりとした魔物である。
そこで俺たちは、「公認勇者の仕事」というものを、最初から最後まで見学することになった。
まず「調整班」なる一団が先行し、岩亀の群れに痺れ薬入りの餌を撒く。半日後、動きの鈍った個体の中から、甲羅の艶と顔つきの良い一頭を選別する(魔物に顔つきの良し悪しがあるのか。あるらしい。「絵になる個体」と呼んでいた)。記録画家が構図を決め、日没前の光の角度を計算し、化粧係がカインの髪を直し――全ての準備が整ってから、カインが、決めポーズで剣を振り下ろす。
「この勝利を、ボルドー商会の携帯保存食『勇者の朝食』と共に!」
完璧な笑顔。完璧な決め台詞。完璧に、死んだ目。
「……あれ、討伐っていうか、撮影だよな」
「言うな、坊主」
調整班の古株が、遠い目で言った。ミラベルは「爆炎の演出なら任せろと申し出たのに、断られた」と不満げだった(当然である。式典会場を一つ消した女だ)。レーヴェは、選別から漏れて森へ帰されていく岩亀たちを見送りながら、「あの亀、目が優しい」と呟いていた。亀の目の善し悪しは俺には分からないが、彼女が言うなら、そうなのだろう。
撮影一座が絵の仕上げにかかっている間、うちは本来の任務――「調査」の方を、勝手に進めることにした。命令書には確かに「調査と間引き」とある。間引きが撮影なら、調査くらいは本物をやらないと、報告書に書くことがない。
俺は群れの個体数を数えて台帳を起こした。成体三十七、幼体十二。討伐記録と突き合わせると、この森の岩亀は例年の四倍いる。異常発生というより――流入だ。レーヴェは一頭の甲羅の傷を指でなぞり、首を傾げた。
「この傷、岩亀同士の縄張り争いの傷じゃない。もっと大きな何かから、逃げた傷だ。……この子たち、怯えてる。北から、南へ。群れごと逃げてきてる」
「北、ねえ」
北には何がある。地図を思い浮かべて、俺はその欄を一旦、保留にした。台帳の備考欄に「発生原因・北方に要因の可能性、続報待ち」とだけ書いた。この備考欄の意味を、俺たちは後日、王都の鐘の音で知ることになる。
俺はといえば、撮影の方を眺めながら、職業病で考えてもいた。あの「討伐」は、ギルドの窓口に上がってくれば、討伐報告書一枚になる。日付、場所、討伐数、担当者印。書式は満たしている。俺が五年間毎日捌いてきた報告書の何割かは――こういう現場から生まれていたのかもしれなかった。紙は嘘をつかない。だが、紙に載る前の現場は、いくらでも嘘をつけるのだ。
休憩時間になった。
カインは部下たちの輪を離れ、俺たちの焚き火に、ふらりと交ざってきた。部下の目のない場所を、選んで。
差し入れに持参していたヴァルガのパンを勧めた。元・四天王【嵐翼】が今や街道沿いの店で焼いている、日持ちのする黒パンである。カインは一口食べて目を見開き、二口目を食べて、長いこと黙った。それから、堰を切ったように、話し始めた。
孤児院の出であること。幼くして剣の才を見出され、ボルドー商会の「支援」で勇者候補になったこと。十五で結んだ、専属契約。
「装備は広告だ。意匠の決定権は商会にある。討伐は、さっき見た通り。敗北は禁止――商品イメージに障るから、勝てる戦しか組まれない。笑顔は週三回、練習の義務がある」
「笑顔に、練習義務」
「鏡の前で、広報の検収を受けるんだ。『歯の見え方が規定より二ミリ足りません』とか言われながらな。……実戦の勘は、もう三年、錆びつかせるしかなかった」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
「……あんたらが四天王を『泣かせた』って号外を読んだ日、俺は宿で笑ったよ。ざまあみろ、って。誰にだと思う? あんたらにじゃない。……本物の戦いをしてる奴が世の中にいるって事実に、俺の三年が、ざまあみろって言われた気がしたんだ」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。エルシーは静かに手帳を開いていた(懺悔と認定したらしい。記録は、すでに始まっていた)。ミラベルは、珍しく詠唱の話をしなかった。
真っ先に立ち上がったのは、レーヴェだった。彼女はカインの佩剣を指した。
「――それ、抜いてみな」
「……見世物の剣だ。飾りばかり重くて」
「いいから」
カインが抜いた剣身は、装飾過多の鞘に反して、曇りひとつなく研ぎ上げられていた。刃こぼれを丁寧に均した跡。柄糸だけが、飾りに不釣り合いなほど使い込まれて、艶を持っていた。レーヴェはそれをじっと見て、案の定、ぼろぼろ泣き出した。
「あんたの剣、錆びてない。三年、見せ物にされて、それでも毎晩手入れしてる剣だ。……剣は嘘をつかないんだよ。あんたはまだ、戦うのを諦めてない」
「……っ」
勇者が俯いた。焚き火の灯りでも、下げた顔は見えなかった。見ないのが、礼儀だった。俺は薪を足しながら、努めて事務的に言った。
「カインさん。その契約書、写しはあるか。――読ませてくれ。契約ってのは、結ぶより破る方に、技術が要るんだ」
「……破れるのか。あれが」
「読んでみないと分からん。ただ、うちがこれまで読んで破れなかった書類は――」
一枚だけあった。メルヴィナの出資契約である。俺は言い直した。
「――ほぼ、ない」
「今、『ほぼ』って言ったね」とレーヴェ。聞くな。
カインは少し迷ってから、胸当ての裏に手を入れ、折り畳んだ紙の束を取り出した。契約書の写しだった。原本は商会の金庫の中で、写しの交付は「必要がない」と断られ続けたという。だから彼は、更改のたびに条文を盗み見て、三年がかりで、手ずから書き写したのだそうだ。細かい字で、几帳面に、一言一句。
「……あんた、剣だけじゃなくて、これも毎晩手入れしてたのか」
「破り方が分からないまま、破る日のために」
それは俺の目から見ても、立派な「戦い」だった。写しを預かり、俺は懐にしまった。窓口五年の血が、静かに沸き始めていた。
王都に戻ったのは、その夜だった。
城門で、俺たちは思わぬ人物の出迎えを受けた。松明の灯りの下、侍女たちを従えて立っていたのは――王女アリシア殿下。直々の、ねぎらいである。
「合同任務、お疲れさまでした。皆さまのご活躍は、父からも伺っております」
歳は十七。微笑みは絵画のよう。声は鈴を転がすようで、立ち居振る舞いは非の打ち所なく完璧――王族の見本のような姫君だった。レーヴェは恐縮して直立不動になり、ミラベルは「お、王族に名を覚えられた……」と震えていた。
だが、隣のエルシーが、すっと目を細めた。
「……リドさん。あの方、変です」
「変って、何が」
「分かりません。でも、私の中の何かが、ざわつきます。……神は見ています。私も、見ています」
完璧な微笑で手を振る王女殿下から、聖女は――一瞬も、目を離さなかった。
次回「第21話 城内に潜む影」は、8月7日(金)18時30分更新です。




