第19話 玉座の間で正座
前回:「第18話 四天王(二人目)、起業する」
王都グランセルは、噂に違わぬ大都会だった。
三重の城壁。白亜の城。放射状に延びる七つの大路。大路を一本歩いただけで、うちの街の目抜き通りが裏路地に思えてくる規模だった。物価も王都級で、屋台の串焼きが一本銀貨一枚(高い。うちの街の三倍だ。俺は遠征記録簿の食費欄に「王都物価、要警戒」と注記した)。
仲間たちの反応は、三者三様だった。
レーヴェは三重の城壁を見上げ、「これ積んだ職人さんたち、何人腰を痛めたんだろう……」と真顔で案じ、通りすがりに城壁の石を撫でて労っていた。エルシーは大聖堂の尖塔を見上げ、「あの屋根の金箔、時価でどのくらいでしょう。剥がして戦災孤児院に回せば……いえ、何でもありません」と手帳に何かを書き付けた(何でもなくない)。ミラベルは、王城を包む対魔結界をしばらく無言で視て、厳かに言った。
「……ふむ。完唱三発で、抜ける」
「計測するな。抜くな。頼むから王都で詠唱するな」
この時の俺の懇願を、三日後の俺に聞かせてやりたい。
登城の前日、宿に宰相府から礼法官が派遣されてきた。「明日の謁見に先立ち、最低限の礼法をお仕込みいたします」とのことだった。「最低限」という語の選択に、王家がうちをどう見ているかが滲んでいたが、まったくもって正しい評価なので、何も言えなかった。
礼法の仕込みは、難航した。
レーヴェの騎士礼は姿勢だけなら模範的だったが、踵を鳴らした瞬間に宿の床板が割れた(弁償・銀貨三枚。彼女は床板にも謝った)。エルシーは教わる前から所作が完璧で、礼法官の方が困惑した(「教会式ですので。神の御前で慣れております」とのこと。王より怖い相手に慣れているらしい)。ミラベルは礼の途中で必ずマントを翻した。翻す必要は、一切ない。
俺はといえば――身体が、窓口の礼しか覚えていなかった。
「あなたは……そのう、お辞儀のたびに、両手が何かを差し出す形になるのは、なぜですかな」
「五年間、書類と釣り銭を差し出し続けた身体なので」
「……明日は、何も差し出さないでくださいよ」
そして当日。玉座の間。
磨き抜かれた石床の先の玉座を、左右から大臣たちがずらりと固め、入場した俺たちを珍獣でも見るように眺めていた。視線の圧で、仕込まれた礼法は四人分まとめて吹き飛んだ。「陛下の御成り」の声とともに、俺たちは反射的に――四人揃って、正座した。
磨かれた石の床に、みっしりと、四つ並びの正座である。玉座の間が、静まり返った。壁際で礼法官が白目を剥いているのが見えた。窓口で重大な謝罪をする時の正式姿勢が、俺の身体から仲間たちに伝染していたらしい。誰も「立て」と言ってくれないまま国王が現れ、玉座に着き、床の俺たちを見下ろして、疲れた目を、さらに疲れさせた。
「……面を上げよ。あと、楽にせよ。それは何の座り方だ」
「恐れながら、謝罪用の正式姿勢です」
「まだ何も始まっておらん」
国王グレアム三世は、五十がらみの、疲れた目をした男だった。
「パーティ《……かっこかり》。報告は読んだ。四天王が二柱、【嵐翼】と【金鱗】を、戦わずして軍から引き剥がしたと。――三百年の戦史に、例のない戦果である」
「恐れながら陛下、引き剥がしたというより、先方が自主的に」
「報告書にはこうある。『剣聖が敵を泣かせ、聖女が敵を懺悔させ、魔導士が地形を変え、事務方が書類で仕留めた』と。……余は三度読み直したが、三度とも同じことが書いてあった」
「概ね、事実です」
「どこか事実でない箇所があるのか」
「地形は『変えた』というより『消し飛ばした』です。記録は正確であるべきなので」
玉座の間に、なんとも言えない沈黙が流れた。大臣の誰かが、笑いを噛み殺しそこねて咳をした。国王は深く息を吐き、宣言した。
「その功に対し、王国銀翼勲章を授与する」
勲章。現金化できるだろうか、と考えた俺は悪くないと思う。うちには債務がある。横でエルシーが「勲章の質入れ相場は確か――」と囁きかけてきたので、視線で黙らせた。神は見ている。大臣たちも見ている。
授与式は三日後、王侯貴族の集う大広間で執り行われることになった。
――そして三日後。それは起きた。
大広間。来賓五百人。天井には王室特注、水晶造りの大シャンデリア。磨き抜かれた無数の水晶が魔導灯の光を受けて、床に虹の斑を落としていた。綺麗なものは、高い。見た瞬間に「あれは総額いくらだろう」と考えた俺の職業病を、この日ほど正しかったと思った日はない。
式次第によれば、受勲者は勲章を拝受したのち、「魔力を込めた宣誓」を行う習わしだという。要は、手をかざして光をぽっと灯す儀礼だ。常人なら蛍火ほどの、可愛らしい光が灯る。
その式次第を、渡してはいけない人物に、係の者が渡してしまった。
俺は勲章の綬を首にかけられている最中で、止めに入るのが、一瞬、遅れた。
「宣誓とは、すなわち魂の詠唱! 我が名はミラベル、終焉を詠う魔女! 『原初の闇より出でて――』」
「待て待て待て! 儀礼! これは儀礼!」
「『――灯りし一つ火、天蓋を裂きて――』」
天蓋は、裂けた。
正確には、詠唱二パーセント時点の漏れ魔力が大広間の魔導照明系統と共振し、王室特注シャンデリアが、五百人の頭上で華麗に砕け散ったのである。
悲鳴。仰け反る貴族。降り注ぐ水晶の雨。――そこに、一条の風が走った。
レーヴェだった。給仕卓を蹴って宙に舞い、抜刀し、降る破片を上から順に、一つ残らず斬り砕いた。剣速はもう目で追えない。破片はすべて粉雪ほどに細かくなり、人の頭上を避けた床にだけ、さらさらと積もった。負傷者、ゼロ。着地した剣聖は剣を収め、砕けた水晶の山に向かって、深々と頭を下げた。
「ごめんね。綺麗だったのに」
剣聖の面目躍如である。謝る相手は、多分違う。
式は中断。勲章は「授与の事実は残すが現物は没収」という、王国史上前例のない処理になった。俺は係官に「では没収の受領書をください。授与の事実を証明する書類が必要なので」と要求し、係官を三分沈黙させた末に、これまた王国史上初であろう「勲章没収受領書」を発行させた。書式は俺が下書きした。
シャンデリアの弁償・金貨二百枚は、俺たちの新たな債務として計上された。メルヴィナ商会の出資枠――俺たちの稼ぎが出資額に達するまでの道のりが、また一段、遠のいた。
事後の謁見で、俺たちはまた正座した。今度は正しい用途である。
「陛下、この度は誠に」
「……よい。報告書の通りの者たちだと、確認できた」
国王は妙に納得した顔で、むしろ本題はここからだと言わんばかりに、身を乗り出した。
「そなたらに命じる。王都近郊で魔物の異常発生が続いておる。公認勇者《暁の宝剣》と合同で、調査に当たれ」
合同任務。あの、全身広告塔の。
気の重い命を受けて玉座の間を辞し、廊下を歩いていた時だった。とある控室の前で、俺の足が止まった。扉の隙間から、押し殺した声が漏れていたのだ。
「――契約更改の件、装備の意匠変更は認められません。ボルドー商会のロゴは胸部、これは絶対条件です」
「……せめて、剣だけは。剣に飾りを付けると、重心が」
「カイン様。あなたの剣は、振るためではなく、見せるためのものです」
沈黙。それから、あの尊大だった勇者の、掠れた声がした。
「…………もう、限界です」
俺は五年間、窓口で何千という人間の声を聞いてきた。だから、分かる。あれは、契約に殺されかけている人間の声だ。
俺の足は、その扉の前から、しばらく動けなかった。
次回「第20話 公認勇者はつらいよ」は、8月6日(木)18時30分更新です。




