第18話 四天王(二人目)、起業する
前回:「第17話 レーヴェ、竜を泣かせる」
「退職届の様式なら、ある」
俺が例の様式第一号(写し。もはや常備している)を差し出すと、メルヴィナは隅々まで目を通して、ため息とともに、笑った。
「……本当に、美しい書類。惚れ惚れするわ。ただ、第四項の退職金請求――私の場合、算定基礎が複雑よ? 基本給に、市場の運営成果の歩合が乗るの。三期分の歩合の未払いを、正確に請求したいわね」
「別紙で計算式を組む。都合のいいことに、三期分の帳簿は今、全部この部屋にある。監査したてのピカピカのやつが」
「ふふ。監査官に退職金を計算させる四天王って、私が史上初かしら」
二人がかりで組んだ退職金請求の別紙は、我ながら芸術的な仕上がりになった(メルヴィナが写しを額装すると言い出したので、全力で止めた)。作業の途中、彼女がぽつりと言った。
「三期分の歩合、正確に計算したら――抜かれてなければ、私、これだけ貰えてたのね」
「ああ。四万八千枚の一部は、本来あんたの取り分だった。退職金と一緒に、請求に積んである。取り返した金から、堂々と取れ」
「……あなた、敵に回したくないタイプの味方ね」
「褒め言葉として受け取る」
退職届は、例によって内容証明飛竜便で、魔王城へ。
返答は――驚異の、三日で来た。しかも今回は、通知書だけではなく、総務部のネビュラが、自ら受理通知を携えて、地竜で現れたのだ。
「二通目、ですので」眼鏡を直しながら、彼は事も無げに言った。「様式は既に全軍へ周知済み。決裁経路も、確立しております。一通目で道を作り、二通目で舗装する。それが事務というもの。――当軍の事務処理速度を、どうか、お見知りおきを」
「魔王軍、事務だけなら世界一だな……」
「『だけ』は余計です」
彼は帰り際、俺の脇に立って、少しだけ声を落とした。
「……事務屋殿。四天王が、これで二人。軍の上層は、静かに、しかし確実に、ざわついております。あなた方を『危険』と見る派と、『興味深い』と見る派と。……どちらが優勢かは、申し上げられませんが」
「忠告として、受け取っておきます」
「いえ。**事務連絡**です。忠告は、総務の職掌外ですので」
眼鏡の奥で、ほんの一瞬だけ、笑ったように見えた。魔王軍総務部第二課、恐るべし。
受理通知の末尾には、今回も、あの走り書きがあった。
『市場は、続けてやってくれ。あれは、戦時にこそ要る。両方の民のために。――魔王』
メルヴィナは、その一文を、長いこと、見つめていた。扇も開かず、珠も弾かず。
「……昔から、こうなのよ、あの方は。侵攻命令の判を捺す手と、こういう一文を書く手が――同じ人のものだと、どうしても、思えない」
「あんた、魔王に直接、会ったことがあるのか」
「ええ。……でも、その話は、また今度。高くつくわよ、その情報は」
情報にすら値札をつける。商魂の権化である。ただ、その一瞬だけ、彼女の金の瞳が、商売の色ではなかったことを、俺は覚えておくことにした。
商人の顔に戻った金鱗の女王の、そこからの動きは、竜の飛翔より速かった。
四天王を円満退職した彼女は、その週のうちに、月光市場を母体とする『メルヴィナ商会』を設立。中立市場の看板を堂々と表に掲げ、人魔双方の行商網を束ね始めた。旗揚げの日、市場の入口には金鱗の紋の旗が翻り、人間の商人と魔族の商人が、同じ祝杯を上げた。ミミックは「保管部長」として転籍し(腹が倉庫なので適任である)、記念に新しいビロードを新調してもらって、蓋をぱたぱたさせて喜んでいた。ダンジョンの従業員一同も、そのまま商会の社員になった。ゴブリンに、辞令が出た。世界は、確実に、どこかおかしくなり始めている。うちのせいで。
ドラゴは――経理主任として、再雇用された。ただし、条件付きだ。横領額の返済が完了するまでの二十年間、無給。住み込み。そして監査役は、エルシーの手帳である。ドラゴは差し出された雇用契約書とエルシーの微笑を交互に見て、「二十年、真面目に働きます」と、その場で即答した。賢明である。竜は、本能で、格上を知る。
そして、商会設立の記念すべき初仕事として――彼女は、カレンス商会から、うちの債権・九百六十枚を、買い取った。
「朗報よ、《かっこかり》の皆さん。あなたたちの『借金』は、本日をもって、消滅しました」
「「「おおお!!」」」
「代わりに、当商会からの『出資』に切り替えます。返済義務、なし。利息、なし」
「「「おおおお!!」」」
「その代わり――当商会が指定する案件を、優先的に、専属で、お受けいただくわ。契約期間は、皆さんの生む利益が出資額に達するまで。ふふ。**出資者は、大事になさい**ね?」
「「「……おお?」」」
歓声が、最後だけ、疑問符に化けた。俺は差し出された出資契約書を、隅から隅まで、三回読んだ。そして、頭を抱えた。
返済義務のない借金は――借金より、断ち切りにくい。俺たちは、めでたく債務者を卒業し、体のいい、専属お抱えパーティになった。逃げ道を探して条文を読み込んだが、ない。穴が、一つもない。抜け道も、拡大解釈の余地も、完璧に塞がれている。
横からエルシーも参戦した。金銭債権の条文にやたら強い、うちの最終兵器である。彼女は十五分、無言で読み込み、二箇所に付箋を貼り、そして――静かに、付箋を、剥がした。
「……完璧です。第七条の但し書きが、私の考えた抜け道を、先回りで潰しています。この方、私たちの思考を読んで書いていますね」
「読んだわよ、もちろん」とメルヴィナ。「あなたたちの過去の契約書、全部、取り寄せて研究したもの。敵を知り己を知れば、条文危うからず」
俺が読んで穴を見つけられない契約書は、生まれて初めてだった。悔しさと感動が、半々だった。
「……あんた、ほんとに、商人辞めなくてよかったよ」
「あら、最高の褒め言葉」
*
その夜。モルドの宿に、一頭の早馬が、着いた。
馬体には、王家の紋章。使者が恭しく差し出したのは、蝋封の羊皮紙――正真正銘の、召喚状だった。差出、宰相府。宛名は――
『パーティ《(仮)》殿
国王陛下が、お呼びである。七日以内に、登城されたし』
「……王家の公文書に、(仮)って書かれてる……」
俺の五年間の書式感覚が、音を立てて軋んだ。宛名が(仮)の召喚状など、王国の公文書史上、初ではなかろうか。しかも書記官は律儀に、括弧まで正確に転記している。仕事が丁寧なぶん、余計に、じわじわ来る。エルシーが「額装しますか」と聞いてきた。しない。
「ふふ」帳場で聞いていたメルヴィナが、扇の陰で笑った。「あなたたち、そろそろ、名前、ちゃんと決めた方がいいのでは、なくて?」
「「「………………」」」
誰も答えないまま、俺たちは王都への荷造りを始めた。名前会議は、今夜も、流会である。出発の朝、メルヴィナは餞別だと言って、上等な旅装一式(正装の借りだそうだ)と、一枚の紹介状を寄越した。宛名は『王都・金融組合連合会 御中』。曰く、「王都で困ったら使いなさい。**王城で一番怖いのは王様じゃなくて、財布を握ってる連中よ**」。四天王だった女の忠告は、妙に、具体的だった。
四天王を二人退職させたパーティが、王様に呼ばれる。内容の想像は、いくつかついた。そして、そのどれもが――嫌な予感しか、しなかった。
(第3章・了 →第4章「王都と公認勇者編」へ続く)
次回「第19話 玉座の間で正座」は、8月5日(水)18時30分更新です。




