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第16話 監査vs粉飾

前回:「第15話 地下市場の女王」

月光市場の最奥、「決算の間」と呼ばれる書庫に、帳簿の山が、二つ、築かれた。


 片や、市場側の元帳、三期分。革表紙に金鱗の刻印が入った、女王の誇りの結晶だ。片や、魔王軍側の受領記録の写し。こちらはメルヴィナが飛竜便で緊急に取り寄せた――発注から到着まで、驚異の一昼夜。総務部のネビュラの仕事は、今回も異様に速かった(添え状に『監査の趣旨、了解しました。当課の三年分の胃痛の原因が判明することを祈ります』とあった。総務も、薄々おかしいと思っていたらしい)。


 卓を挟んで、俺とメルヴィナが対峙した。互いの得物は、羽ペンと、そろばん仕込みの扇。立会人は、帳簿の運搬係として大活躍のミミック(往復のたびに腹から帳簿を出し入れする姿は、どう見ても優秀な書庫係だった)。仲間たちは壁際に控え、レーヴェは「数字の戦い、あたしにできることある?」と聞いてきたので、「夜食の調達」という重要任務を与えた。監査は、長丁場になる。


「先に言っておくけれど」メルヴィナが、扇の珠を弾きながら言った。「私の帳簿に、穴はないわ。一桁の写し間違いすら、ない。金鱗の名にかけて」


「だろうな。あんたの帳簿は、完璧だ。三日前から写しを見てるが、ため息が出るほど完璧だ。完璧すぎて――**逆に、信用できる**。あんた自身が抜いてるなら、帳簿はもっと『自然に』汚してあるはずだからな。つまり、穴があるとすれば、あんたの帳簿の中じゃない。あんたの帳簿と、軍の記録の、**『間』だ**」


「……送金の、経路」


「そうだ。あんたの手を離れてから、軍の金庫に入るまで。その間に何人の手が触れて、何枚の書類が発生するか。それを今夜、全部、突き合わせる」


 照合が、始まった。


 送金指示書と、受領書。日付、金額、担当印、経路。一枚、また一枚。ペン先と扇の珠の音だけが、決算の間に、規則正しく響く。メルヴィナの検算は速く、正確で、俺の照合と綺麗に噛み合った。敵ながら――いや、もう敵かどうかも怪しいが――最高の相棒だった。数字を扱う人間同士は、三十分も並んで作業すれば、大抵、通じ合う。


 一時間。二時間。夜食のパン(レーヴェが屋台を三軒回って選び抜いてきた。任務遂行能力が高い)を挟んで、三時間。帳簿の山が、半分、崩れた頃――


 途中、メルヴィナが、ふと手を止めて、聞いてきた。


「ねえ。あなた、その監査の目、どこで覚えたの。王都の会計院? それとも大商会の出?」


「ギルドの窓口だ。五年間、毎日」


「窓口で、これが身につくの?」


「窓口ってのはな、世界中の嘘の見本市なんだ。水増しした討伐報告、盛られた経費、若作りした年齢欄。毎日百枚、嘘の混じった紙を捌いてると、嘘の混じった紙は、手触りで分かるようになる。……あんたの帳簿に、その手触りがなかった。だから、外を疑った。それだけだ」


「……窓口、恐るべしね」


 俺の手が、一枚の受領書の上で、止まった。


「……この受領書。第二期の、四月分。印は本物。金額も、指示書と一致。日付も合う。だが」


「だが?」


「――**紙が、新しすぎる**」


 俺は、その一枚を、燭台の光に、斜めにかざした。


「三年前の書類にしては、日焼けの縁がない。綴じ穴の周りに、経年の毛羽立ちがない。この書庫の湿度なら、三年物の紙は、もう少し、くたびれる」


「……鋭いけれど、それだけでは証拠にならないわ。それらしく古い紙を使って書けば、偽装は」


「そこで、だ。――うちの魔導士の、出番だ。ミラベル」


 部屋の隅で、夜食のパンを齧りながら暇を持て余していたミラベルが、待ってましたとばかりに立ち上がった。


「ふっ……ふふ、ようやく私の力が求められる時が来た! いいだろう、その怪しい紙、灰も残さず――詠唱開始まで、十一分」


「詠唱は要らん。燃やすのも要らん。**視て**くれ。この受領書の、インクの、魔力残量を」


「……なんだ、それか」


 あからさまにがっかりする魔女。だが、これこそが、彼女にしかできない芸当だった。


 種を明かせば、こうだ。公文書用のインクには、偽造防止のため、微量の魔力が練り込まれている。そして魔力というのは、年月とともに、一定の速さで自然に減衰する。つまり、インクに残った魔力の量は――その書類が「いつ書かれたか」を示す、**年輪**なのだ。


 そして、魔力の残量を、パーセント単位の精度で「視る」ことにかけて。自分の詠唱進捗を、常時、小数点以下まで自己計測し続けているこの女の右に出る者は、たぶん、この大陸にいない。無駄に磨かれた特技が、今夜、初めて実務に刺さる。


「はいはい、視ますよ、っと。……ふむ。この束は、残量六十二から六十五パーセント。三年物ね、間違いなく。こっちの束も同じ。で――」


 彼女の指が、ぴたり、と止まった。部屋の空気も、一緒に止まった。俺も、メルヴィナも、壁際の仲間たちも、立会人のミミックまでもが、蓋を半開きにしたまま、魔女の次の一言を待った。魔力残量の計測に、これほどの観衆が固唾を呑んだ夜は、魔導史上、初めてだろう。


「――この十四枚だけ。**九十一パーセント**。ほぼ書きたて。せいぜい、ここ二、三ヶ月のホヤホヤだね。あと、おまけ。この綴じ目の奥、燃やし損ないの紙の切れ端が挟まってる。……元の受領書の、燃え残りじゃないかな、これ」


「「――あった(わ)!!」」


 俺とメルヴィナの声が、綺麗に、揃った。


 差し替えられた受領書、十四枚。元の書類は焼却され、金額を書き換えた偽物にすり替えられていた。改竄された差額を、扇の珠が、猛烈な速さで弾き出す。三期、合計――金貨、**四万八千枚**。


 そして、差し替えの十四枚に捺された決裁印は、すべて、同じ担当者のものだった。市場の経理主任にして、メルヴィナの片腕。送金経路の、まさに「間」に座る男。


「……ドラゴ」


 メルヴィナの声が、低く、軋んだ。金の鱗が、ざわり、と逆立つのが見えた。四天王の財布を、その懐で三年間預かってきた男が、抜き続けていた。彼女は魔王軍から「送金が減っている」と叱責され続け、そのたびに真面目に市場を締めて利ざやを増やし――その増やした分すら、また、抜かれていた。


「私が……この、私が……騙されて……?」


 彼女の呟きには、怒りより先に、深い、深い傷の色があった。三年間の叱責を、彼女は独りで飲み込んできたのだ。自分の帳簿を疑い、自分の腕を疑い、市場を締めては胃を痛めて。その全部が、信じていた片腕の仕業だったと知る夜の顔を、俺は、見ないふりをした。監査官にできる礼儀は、それくらいしかない。


 その時だった。


 決算の間の重い扉が――内側に向かって、めきり、と、ひしゃげた。


 軋みながら開いた戸口に、眼鏡の竜人が、立っていた。経理主任、ドラゴ。その手には、火のついた帳簿の燃え残り。証拠の、追加焼却の途中だったらしい。そして、この部屋の会話は――全部、聞かれていた。


「……ああ。ああ、ああ。バレて、しまった。三年、保ったのに。なら、もう」


 眼鏡の奥の瞳孔が、縦に、裂けた。


 黒服が内側から弾け飛び、身体が見る間に膨れ上がり、決算の間の天井を、みしみしと突き破って――そこに、鋼色の鱗に覆われた、巨竜が、顕現した。


「――**帳簿ごと、全員、消えれば、いいだけだァァァ!!**」

次回「第17話 レーヴェ、竜を泣かせる」は、8月3日(月)18時30分更新です。

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