第13話 借金取りはダンジョンから
前回:「第12話 開店セールと使者騒動」
平和だった。
あの誤報騒ぎから、ひと月。ヴァルガのパン屋は朝から行列が絶えず(魔王の取り置き分は毎週、飛竜便で発送されている。返送の袋には毎回、几帳面な礼状が入っているらしい)、エルシーの回復屋には教会公認の看板が輝き、レーヴェは移住ゴブリンの近況を聞きに廃坑へ通っては定期的に泣き、ミラベルは訓練場(人家から五キロ離れた荒野。俺が測量して決めた)で「本日の進捗、四十四パーセント!」と叫んで岩山の形を変えていた。
ギルドの再建工事も進み、俺の返済計画表・第三版も、わずかながら黒字の行が増え始めていた。悪くない。悪くない日々だった。
その平和は、黒服の男によって、終わった。
男は、再建中のギルドの受付に、音もなく現れた。黒い上下、黒い手袋、黒い鞄。丁寧に一礼して、彼は名刺を差し出した。
「カレンス商会・債権回収部の、ズッグと申します。――皆様の債務、当商会が、冒険者ギルドより買い取りました」
「「「はぁ!?」」」
俺たちは、仮設執務室のギルド長バッソを問い詰めた。歴戦の元A級冒険者は、机の書類を意味もなく並べ替えながら、目を、逸らした。
「……ギルドの再建費が、足りん。見積もりの倍、かかった。それで、その、なんだ。お前たちの債権を……売った」
「売ったんですか。人の借金を。仕入れみたいに」
「債権とは、そういうものだ。譲渡できる。それが債権だ。……すまん。仮設テント、冬は、寒くてな」
最後だけ、妙に人間らしい理由だった。責める気も失せた。うちの債権――ギルド半壊の金貨八百枚に、利息と、丘の弁償と、諸々が積もって、現在、締めて九百六十枚――は、こうして、見知らぬ商会の帳簿へと、旅立っていったのだった。
ズッグ氏は、事務的に、新しい返済計画書を広げた。利率は、上がっていた。当然のように。債権は買われるたびに、少しずつ重くなる。それが世の仕組みだ。だが、彼は続けて、もう一枚の書類を、俺の前に、並べた。
「そして、当商会からの、ご提案です」
「提案?」
「迷宮都市モルド。ご存知ですか。山ひとつが丸ごとダンジョンになった、東の鉱山街です。あの街の資源相場が、この半年、不可解な動きをしています。薬草は満月の前に必ず高騰し、鉄鉱石は、なぜか特定の商会にしか流れない。当商会は、モルドでの仕入れで、多大な損失を被っております。――原因を、突き止めていただきたい。成功報酬は、皆様の債務から、金貨百枚分の減額」
「受けた」
「即答!?」
「リド、せめて中身を相談……いや、いい。あんたのその顔、もう頭の中で工程表ができてる顔だ」
「三日ぶんできてる」
「早いのよ」
背後で仲間たちの声が揃ったが、構わず俺は書類に署名した。考えるまでもない。討伐でも、護衛でもない。**調査依頼**。誰も殴らなくていい、誰も泣かせなくていい(レーヴェが、という意味だ)、書類と数字を追いかける仕事。うち向きどころか、俺向きの仕事だ。こんな依頼は、干し草の中の針より貴重なのだ。
出発準備は、二日で済ませた。エルシーの回復屋は、完治した例の衛兵くんと大工の親方が「留守番組合」を結成して預かってくれることになり(常連が店を守る店は、いい店だ)、パン屋のヴァルガには行き先を告げた。彼は「モルドか」と眉を寄せ、餞別に、日持ちする堅焼きパンをひと袋、持たせてくれた。
「モルドの地下には、気をつけろ。……軍にいた頃、あの街の名を、妙なところで聞いたことがある。**経理の書類の中で**、だ」
パン屋の忠告としては、妙に具体的だった。
*
迷宮都市モルドまでは、馬車で三日だった。道中、レーヴェは御者の身の上話を聞いて二回泣いた。平常運転である。
着いてみると、なるほど、山が街を食っているのか、街が山を食っているのか分からない土地だった。山腹にぽっかり開いたダンジョンの大口から、荷を担いだ冒険者たちが列をなして出入りし、その口の周りに、市場と、鑑定所と、宿と、酒場が、貝殻のようにびっしり張り付いている。
ダンジョンというのは、要するに、資源の湧く天然の鉱山だ。奥では薬草が育ち、鉱石が実り、魔物がそれを守る。冒険者が魔物を掻き分けて資源を採り、仲買人が買い、鑑定士が値を付け、運び屋が各地へ運ぶ。ダンジョンの入口は、そのまま、市場の入口だった。
俺は、宿に荷を下ろすより先に、市場の掲示板へ直行した。半年分の相場の記録を、宿の卓に写して並べ、一晩、眺めた。そして、眉をひそめた。
翌日は、聞き込みに充てた。鑑定士の親父は「満月前に薬草が上がるのは、月光草の薬効が月齢で強まるからだ」と、もっともらしい説明をくれた。仲買人の女将は「鉄鉱石はマルロー商会の独占仕入れだよ。昔からの縄張りさ」と肩をすくめた。どちらも、街の誰もが信じている「表向きの理屈」だった。
だが、俺は写しの数字を突き合わせて、その理屈を、二つとも潰した。月齢で薬効が強まるなら、高騰は満月の「後」の収穫分に来るはずだ。実際の高騰は「前」――つまり、上がっているのは薬効ではなく、**品薄**だ。誰かが、満月前に、出荷を絞っている。鉄鉱石の独占も、帳簿を見れば、マルロー商会だけが「規格の揃った」鉱石を仕入れている。天然の鉱脈から、規格の揃った石は出ない。**選別済み**の石だ。
「……綺麗すぎる」
「綺麗? 結構なことでは?」と、覗き込んだエルシー。
「相場ってのはな、生き物なんだ。天気で乱れ、噂で跳ね、豊作で沈む。ぎざぎざの、不細工な線を描くのが健康な相場だ。なのに、見ろ。この街の薬草相場は、満月の三日前に、きっかり二割上がって、五日後に、きっかり元に戻る。半年間、十二回の満月で、十二回とも。一度の例外もなく」
俺は、写し取った折れ線を、指でなぞった。美しい、規則正しい、波形だった。
「――こんなのは、生き物じゃない。**誰かが、呼吸をさせてる**」
翌朝、俺たちはダンジョンの一階に潜った。名目は「魔物の生態調査」。嘘ではない。生態を、調査しに来たのだ。
一階は、薬草の群生地だった。ほの明るい苔の光の下、月光草だの血止め草だのが、絨毯のように茂っている。そして――いた。
薬草の茂みの前に、ちょこんと座って、木彫りの算盤を、ぱちぱちと弾いているゴブリンが。
彼は俺たちに気づくと、「はっ」という顔をして、算盤を抱え、慌てて茂みの前に木の札を突き立てて、脱兎のごとく逃げていった。残された札には、拙いが読める字で、こう書いてあった。
『本日ノ 出荷 終了』
「……出荷」レーヴェが、ぽかんと札を読んだ。「ダンジョンの魔物が……出荷調整、してる?」
「しかも札の字、習字の練習の跡がある。教育してる奴がいるぞ、これ」
ゴブリンの逃げた跡には、一枚の紙片が、ひらりと落ちていた。拾い上げる。几帳面な字と、桁の揃った数字。それは、見間違えようもなく――**納品伝票**だった。品目、月光草。数量、四十束。納入先、『四階・保管庫』。備考欄には『満月前ニツキ、出荷三割減ノコト』。
満月前に、出荷を、三割減らす。宿で睨んだ、あの綺麗すぎる相場の波形と、伝票の一行が、頭の中で、かちりと噛み合った。
俺の中で、受付五年の血が、ざわりと騒いだ。
次回「第14話 ダンジョンは経営されている」は、7月31日(金)18時30分更新です。




