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第12話 開店セールと使者騒動

前回:「第11話 誤報、一人歩きする」

町は、蜂の巣をつついた騒ぎになった。


 商店は次々と雨戸を閉め、母親たちは子供の手を引いて家へ走り、衛兵たちは槍を抱えて門へ殺到した。教会の鐘まで、つられて鳴り出した。つい昨日まで「四天王を倒した英雄の町」と浮かれていた町が、一瞬で、戦時の顔になった。名声というのは、こういう請求書も連れてくる。そんな中、開店したての『風のパン屋』の前だけが、焼きたての香ばしい匂いと共に、ぽつんと、朝の日常のまま取り残されていた。


「報復か……! 俺の退職が、軍の逆鱗に触れたか……! すまない、俺のせいで、この町が」


 エプロン姿のヴァルガが、粉まみれの手で剣を取ろうとするのを、俺は押しとどめた。落ち着け。物見の報告をよく聞け。使者は――「一人」だという。


「一人?」


「一人だ。報復にしては、数がおかしい。軍が本気なら、一個大隊は寄越す。一人で来るのは、戦じゃない。……あれは、**用件**がある奴の数だ」


 やがて、街道の砂煙の中から、それは現れた。


 地竜に跨がった、眼鏡の魔族だった。戦装束ではない。皺ひとつない文官風の黒服に、小脇には、使い込まれた書類鞄。彼は閉ざされた町の門の前で、実に礼儀正しく地竜を降り、槍衾を作る衛兵たちに一切臆することなく、よく通る声で、名乗った。


「――魔王軍総務部第二課、ネビュラと申す。ヴァルガ殿は、ご在宅か。先般ご送付いただいた『退職届』の件で、参上いたした」


「「「そうむぶ!?」」」


 衛兵の槍が、下がった。魔王軍に、総務部が、あった。第二課まであった。しかも、飛竜便を受け取って十日で担当者が現地に来ている。仕事が、早い。うちの王国の役所より、早い。


 応接(パン屋の店先である。他にない)に通されたネビュラ氏は、出された試作パンに「勤務中ですので」と丁重に断りを入れ(断り方まで完璧だった)、鞄から一通の書状を取り出して、恭しく、両手で差し出した。


「先般ご送付の退職届につきまして。規定に基づき審査を――と、申し上げたいところですが。調査の結果、当軍に、退職に関する規定は、存在しませんでした。よって」


 眼鏡が、きらりと光った。


「魔王様のご裁可により――**貴殿の届の様式そのものを、もって『規定』といたします**。魔王軍服務規程・第九章『退職』として、本様式を、本日付で正式採用いたしました。……つきましては、確認したい。この様式の、作成者は、どなたか」


 店先が、静まった。全員の視線が、俺に集まった。


「……俺、ですが」


 ネビュラ氏は、眼鏡の奥の目を、すっと細めた。それから、深々と、頭を下げた。


「見事な様式で、あった。論理に穴がなく、双務の均衡が取れ、そして――特に、第五項。部下の免責条項。当軍には、上官の失態で処罰される兵が、後を絶たなかった。あの一項で、これから先、救われる者が、大勢いる。総務部一同、作成者殿に、敬意を表する」


 魔王軍の公式書式に、俺の徹夜が、採用された。履歴書に書けない実績が、また一つ増えた。書けたとしても、誰も信じない。


 手続きの合間、ネビュラ氏は、ふと、俺の机の上の書類の束に目を留めた。


「……失礼ながら。その綴じ方。左上二穴の紐綴じで、綴じ代を三センチ。頁の欠落と差し替えを、両方防ぐ形だ。当課と、同じ流儀だ」


「お互い、差し替えられて痛い目を見た口ですか」


「……三百年分ほど」


「うちは五年分ですが、痛みは共有できます」


 種族の壁を越えて、事務屋と事務屋が、深く、頷き合った。この瞬間、人魔の歴史の片隅で、小さな外交が成立した気がする。帰り際、彼は名刺(魔王軍に名刺があった)を置いていった。『何か様式でお困りの際は、当課まで』。心強いような、使う日が来てほしくないような。


 ヴァルガは、受理通知の封を、震える手で切った。中身は、三枚。一枚目、退職の受理(希望日通り。引継ぎ期間も承認)。二枚目、退職金の支給決定――現物支給、**麦一年分**。パン屋を開く男への、これ以上ない采配だった。総務部、有能すぎる。三枚目、部下十二名の免責通知と、希望者の配置換え承認。


 そして、三枚目の末尾。公印とは別に、明らかに違う筆跡の、走り書きの一文が、あった。


『良い店になることを祈る。開店の暁には、一つ、取り置きを頼みたい。――魔王』


「「「……いい人!?」」」


 全員の声が、綺麗に揃った。


「ま、魔王が……パンの、取り置き……」レーヴェが、通知書を両手で持って、震えていた。「どうしよう、リド。あたし、魔王のこと、ちょっと、いい人だと思っちゃった」


「思うな。いや、思ってもいいが、口に出すな。教会に聞かれたら審問ものだ」


「品性のある筆跡です」とエルシーが横から書面を検分した。「筆圧が安定していて、跳ねに気品がある。……あと、この『祈る』の字、少し、寂しそうですね」


「字から寂しさを読むな」


 目撃者を消せと命じる軍の、その頂点に立つ存在が、退職者の店の繁盛を祈り、あまつさえ、パンの取り置きを頼んでいる。「魔王」という言葉の輪郭が、俺の中で、この時初めて、ぐらりと揺れた。絵本の悪役のページに描かれた、あの角と翼の影が、少しだけ、ぼやけた。


 *


 騒ぎが騒ぎを呼び、『風のパン屋』の開店セールは、その日のうちに、伝説になった。


 何しろ、「四天王(元)が焼き、魔王が開店を祝い、退職届が魔王軍の公式書式になった店」である。恐る恐る雨戸を開けた町の人々は、警鐘の原因が総務部の訪問だったと知ると、安堵の反動で、笑いながら店に押し寄せた。


 行列の先頭は、あの大工の親方だった(腰は完治している。棚も返したそうだ)。三番目にドロテア審問官が並んでいて(「じゅ、巡回の途中で、通りかかっただけだ」と言いながら、袋いっぱい買っていった)、昼過ぎには廃坑からゴブリンの一家が遠慮がちに列に加わり、周囲の客が一瞬ざわついたが、ヴァルガが窯の前から「うちの客だ」と一言いうと、列は何事もなかったように、詰めて、場所を空けた。人間と魔族とゴブリンが、同じ行列で、同じパンを待つ。開店初日にして、この店は、もう、看板以上のものになっていた。


 行列は夕方まで一度も途切れず、パンは、最後の一つまで、完売した。魔王の取り置き分だけは、別棚に、恭しく確保された。


 夕暮れ。店じまいを手伝いながら、それぞれが、それぞれの持ち場にいた。エルシーは売上を数え(ちなみに、うちの取り分は「宣伝協力費」として銀貨五枚だった。四天王を更生させ、退職させ、開業させて、五枚。世知辛いにも程がある)、レーヴェは常連客第一号となったゴブリン移住者の一家と笑い合い(廃坑から通ってきたのだ。義理堅い)、ミラベルは「開店を祝して、祝砲の詠唱を」と言い出して、店主含む全員に止められていた。


 俺は、帳簿を閉じて、暮れていく空を見上げ、ふと、口に出していた。


「……なあ。うちのパーティ名、いつまで『(仮)』なんだ」


 振り返ると、三人が、顔を見合わせていた。誰も、答えなかった。答えの代わりに、エルシーが帳簿の隅を、とん、と指で叩いた。名称変更の手数料は、銀貨五枚。


 ――今日の、うちの稼ぎと、同額だった。


 名前か、晩飯か。うちのパーティは、その晩、満場一致で、晩飯を選んだ。(仮)の任期は、こうして、また延びた。


(第2章・了 →第3章「ダンジョン経済と【金鱗】編」へ続く)

次回「第13話 借金取りはダンジョンから」は、7月30日(木)18時30分更新です。

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