第11話 誤報、一人歩きする
前回:「第10話 四天王、退職届の書き方」
撃破していない。断じて、撃破していない。
だが、買い求めた号外の見出しは、堂々と、極太の活字で踊っていた。『四天王【嵐翼】、辺境の無名パーティに敗北』『魔王軍に激震か』『英雄は突如現れた』。記事によれば、情報源は、あの日の街道の遠巻きの目撃者たちらしい。
……まあ、分からなくは、ない。遠目には、確かに、そう見えただろう。四天王が剣を取り落とし(弾かれたのだ)、膝をつき(ハグを受け止めたのだ)、涙を流し(懺悔したのだ)、そして翼から神々しい光が溢れた(回復したのだ)。事実は一つも間違っていない。解釈だけが、百八十度、間違っていた。
訂正を申し入れる間もなく、ギルドの仮設テントには、翌朝から、取材と野次馬が殺到した。
「剣聖殿! 四天王を素手で捻じ伏せたというのは本当ですか!」
「捻じ伏せてない! 抱きしめただけ!」
「素手で四天王を抱きしめた!? 余計に凄いのでは!?」
「え? ……え、そうなの?」
「レーヴェ、そこで照れるな! 誤報が育つ!」
「聖女様! 悪魔をも跪かせ、涙の懺悔をさせる浄化の御力とは、いったい!」
「跪いたのは腰を痛めた魔族の方で、懺悔は治療費の一部です。当施設の料金体系は、銀貨二枚と懺悔一件、明朗会計となっております」
「営業を始めるな!」
「監督官殿! 次なる標的は!? やはり残る四天王、いや、魔王ですか!?」
「標的はありません。次の予定は、薬草採取です。銀貨三十枚の」
「え」
「うちは日銭専門なので」
「日銭……?」
「大魔導様! 詠唱ひとつで嵐を消し去り、山をも消すというのは、真実ですか!」
「事実である!!」
「お前は否定しろ!? ……いや、丘は、消したけども! 消したけども言い方!」
取材の矛先は、当の「敗者」にも向いた。開店準備中のパン屋に押しかけた記者に、粉まみれのヴァルガは、窯の火を見たまま、こう答えたという。
「敗けた覚えはない。……俺は、**転職した**んだ。四天王からパン屋へ。降格か栄転かは、俺のパンを食ってから決めろ」
翌日の記事の見出しは『四天王、電撃転職』。誤報が、少しだけ、真実に近づいた。ちなみにこの記事のおかげで開店前から予約が二百件入り、俺は予約台帳の様式を、また徹夜で作った。
かくして、尾ひれは付き、背びれも付き、噂は完全に独り歩きした。パーティ《かっこかり》の名は――そう、書類上の正式名称『(仮)』を、皆が音読した結果、うちは《かっこかり》と呼ばれることになった。この響きの間抜けさも含めて――瞬く間に、王都まで轟いた。
ギルドも、無傷ではなかった。仮設テントの受付には、連日、二種類の来客が押し寄せた。一つは、入隊希望者。「四天王殺しのパーティに入りたい」という威勢のいい若者が日に十人は来て、ミレットさんが「殺してませんし、募集もしてません」と定型文で返し続けた(三日目には定型文の木札を作っていた。事務の鑑である)。
もう一つは、依頼の変質だった。「憎い商売敵を潰してほしい」「隣村を懲らしめてほしい」――名声というのは、暴力の匂いを嗅ぎつけた依頼を、引き寄せる。俺は、その手の依頼書を、窓口で一枚ずつ、突き返した。
「うちが受けるのは、日銭の依頼だけです。薬草採取、害獣対応、荷運び。誰かを潰す仕事は、金貨を積まれてもやらない。――**うちは、日銭専門なんで**」
この台詞を、俺はこの週、たぶん三十回は言った。後にうちの看板になる文句は、この誤報騒ぎの防戦の中で、生まれたのだった。
問題は、だ。この爆発的な名声と、うちの収入が、一切、連動しないことである。
ギルド規定第三十一条。討伐報酬は、討伐に対して支払われる。和解・更生・退職支援は、対象外。四天王「戦」の報酬は、堂々の、ゼロだった。それどころか、ヴァルガの開業資金が竈の増設で足りなくなり、うちが、貸した。借金持ちのパーティが、名声の絶頂で、新たな借金をこさえて、人に金を貸している。深夜、帳簿をつけながら、俺は自分の正気を、三回ほど疑った。数字は、正気だった。正気の数字が、狂った現実を、淡々と記録していた。
帳簿の貸方には『四天王撃破(誤報)――収入・ゼロ』、借方には『パン屋開業融資・銀貨六十枚』。この帳簿を百年後の歴史家が見たら、何と思うだろう。伝説の英雄譚の裏側は、いつだって、こういう赤字の数字でできているのかもしれない。……いや、うちだけか。うちだけだな。
極めつけに、視察と称して、「本物」が来た。
王国公認・勇者パーティ《暁の宝剣》。国王陛下の勅許状を持つ、正真正銘の英雄たちである。全身を、輝く白銀と黄金の装備で固めた四人組――ただし、よく見ると、その鎧にも、剣の鞘にも、翻るマントにも、隙間なく、商会の紋章が縫い付けられていた。『協賛・ボルドー商会』『武具提供・銀月工房』『毛皮・ラルゴ商店』。歩く、広告塔だった。
リーダーの剣士は、カインと名乗った。歳は俺と同じくらいか。彼は、テントの中の俺たちを、値踏みするように一瞥して、ふん、と鼻を鳴らした。彼の背後では、パーティの他の三人――魔導士と、神官と、斥候――が、揃って気配を消すように立っていた。全員、装備は一級品で、目だけが、一級品ではなかった。長い巡業の終わりの、旅芸人の目に、似ていた。
「これが、噂の……はっ。四天王を倒しただと? まぐれか、誤報か、どちらかだろうな。貴様らのような有象無象に、本物の脅威が倒せるものか。いずれ――本物の勇者の仕事というものを、見せてやる」
言葉は、教科書通りに尖っていた。だが、俺は、見てしまった。受付五年の観察眼は、こういう時に、余計なものまで見てしまう。
彼の目が、挑発の言葉とは裏腹に、死んだ魚のそれであることを。マントの裾の『協賛』のロゴを無意識に直す手つきが、妙に手慣れていて、妙に、虚ろであることを。そして、立ち去り際、うちのテントの隅に積まれた「討伐によらない解決」の報告書の山を――ほんの一瞬、ひどく眩しいものを見る目で、見たことを。
「挨拶代わりだ! 我が詠唱をお見舞いして――」
「「「やめろ(やめてください)(駄目です)」」」
ミラベルを三人がかりで羽交い締めにしている間に、《暁の宝剣》は、踵を返した。その背中に、レーヴェが、ひょいと声を投げた。深い意味のない、彼女の癖のような、まっすぐな一言だった。
「――ねえ、あんた。ちゃんと、眠れてる?」
カインの足が、一瞬、止まった。振り返らなかった。ただ、マントのロゴを直す手が、止まっていた。数秒の沈黙のあと、彼は何も言わずに、金ぴかのまま去っていった。
「……なんで、あんなこと聞いたんだ」
「ん? だって、あの人の歩き方、寝てない人の歩き方だったから」
剣聖の五感は、敵の疲労まで拾う。あの死んだ魚の目の男と、うちの縁が、これきりで終わらない予感が、その時、少しだけした。嵐のような一週間だった。
そして迎えた、『風のパン屋』開店当日の、朝――
町中に、けたたましく、警鐘が鳴り響いた。物見櫓の上で、衛兵が半鐘を乱打しながら、絶叫していた。
「た、大変だ!! 魔王軍の使者が! 街道をまっすぐ、この町に向かってくるぞ――!!」
次回「第12話 開店セールと使者騒動」は、7月29日(水)18時30分更新です。




