第10話 四天王、退職届の書き方
前回:「第9話 翼の欠けた理由」
「――で、辞め方が、ない?」
「ない」
街道脇の焚き火を囲んで、俺たちは頭を抱えていた。夜空には、まだうっすらと虹の残滓がかかっている。焚き火の周りには、俺たち四人と、両翼を取り戻した元・敵、そして寝返り済みの部下十二人。世にも奇妙な野営だった。
ヴァルガの説明は、簡潔で、絶望的だった。魔王軍に、退職の制度は、存在しない。除隊の記録は、全軍の歴史を遡っても、二種類しかないという。「戦死」か、「処刑」か。つまり、辞める=死ぬ、である。ブラックにも、程がある。
「入る時は、門を叩けば入れる。だが、出る門は、ない。軍というのは、そういうものだと、誰もが思ってきた。俺もだ」
「黙って消えたら、どうなる」
「脱走兵だ。討手がかかる。それだけならまだいい。……俺の隊の連中が、監督不行き届きの責を負う。最悪、隊ごと処罰だ」
焚き火の向こうで、部下たちが、しんと静まった。ヴァルガは、火を見つめたまま、続けた。
「夢は、ある。今日、五年ぶりに、はっきり思い出した。だが……道が、ない。夢と俺の間に、道が、一本もない」
沈黙が、落ちた。レーヴェが何か言おうとして、言葉を探しあぐねている。エルシーは静かに祈りの形に手を組んでいる。ミラベルは……寝ていた(詠唱で魔力を使い果たしたのだ。許す)。
俺は、鞄から、白紙の束とペンを取り出した。
「道が、ないなら」
焚き火の灯りで、白紙が、オレンジ色に染まった。
「――作ればいい」
受付五年。俺が学んだことは、突き詰めれば一つだ。この世の大抵の問題は、悪意や運命のせいで拗れているんじゃない。**正しい様式の書類が、存在しないから**、拗れている。離婚届がなければ夫婦は憎み合ったまま縛られ、示談書がなければ喧嘩は代を跨ぎ、そして退職届がなければ、パン屋になりたい四天王は、死ぬまで四天王だ。
「魔王軍用・退職届、様式第一号。今から起草する。ヴァルガさん、軍の内規で知ってることを全部話してくれ。ないなら、ないでいい。ない方が、こっちで好きに書ける」
徹夜になった。焚き火に薪を足しながら、俺は条文を練り、ヴァルガが軍の実情を語り、途中で目を覚ましたエルシーが「金銭債権の条項はこちらに」と横から朱を入れた(この聖女、債権関係の書式にだけ、やけに強い)。
完成した様式は、五項立てだ。
第一項、退職の意思表示。日付と署名。基本にして全ての土台。
第二項、退職希望日。即日ではなく、引継ぎ期間を一ヶ月確保した。円満退職の基本だ。立つ鳥、跡を濁さず。
第三項、機密保持の誓約。軍の情報を漏らさないことを退職者が誓う。その代わり、軍は追手をかけない。片務ではなく、双務。契約は、双方に義務があって初めて安定する。
第四項、未払給与および退職金の請求。これを読んだヴァルガが「たいしょくきん、という概念を、生まれて初めて聞いた」と震えた。働いた分は、貰う。辞める時も、貰う。人間界の常識を、俺は堂々と輸出した。
第五項、部下の免責。本件退職に関し、部下一同にいかなる責も及ばないことの確認。――ヴァルガが、この項を三回、読み返した。
そして、四回目を読もうとした彼の手から、隊長格の魔族が、そっと紙を取り上げた。彼は第五項を、声に出して、部下たちに読み聞かせた。焚き火の周りが、しん、とした。麦を拾っていたあの若い魔族が、うつむいて、肩を震わせ始めた。ヴァルガが、俺を見た。
「……人間。なぜ、貴様が、魔族の部下の身の上まで、心配する。第五項など、俺は、頼んでいないぞ」
「様式ってのは、頼まれたことだけ書くもんじゃない。**起きうる問題を、先回りして潰すのが書式だ**。あんたが辞めた後、この人たちが詰め腹を切らされたら、あんたのパンは、一生、罪の味がする。そんな店のパンは、旨くない。……それに、書式に、種族欄はない。困ってる奴の書類を書く。それだけだ」
「…………人間。貴様、何者だ」
「元・受付だ。今は、監督官(仮)」
「(仮)……」
夜明けと共に、清書が終わった。発送方法にも、抜かりはない。配達ギルドの「内容証明飛竜便」――受取を拒否されても『送達した』という事実が第三者の記録に残る、揉め事対応の基本装備である。
配達ギルドの窓口では、ひと悶着あった。
「お、お届け先……ま、魔王城!? う、うちの飛竜、魔王城への配達は、その、前例が」
「前例がないなら、今日が前例第一号です。料金表に『配達不能地域』の記載はありますか? ……ない。なら、規定上、受けられますね。特別危険地域割増、往復分、お支払いします。領収書をください」
「り、領収書……は、はい……」
受付の同業者を書式で詰めるのは、少し心が痛んだ。だが、宛先が魔王城でも、書留は書留だ。届くかどうかは、正直、賭けだった。魔王城に郵便受けがあるのかどうかすら、誰も知らないのだ。
*
返答を待つ間、ヴァルガは、動き出した。町外れの空き店舗(元は倉庫だ。天井が高く、翼のある店主にはむしろ好都合だった)を借り、竈を築き、粉を挽いた。開業準備である。俺は賃貸契約と営業許可の書類を整え、レーヴェは力仕事を一手に引き受け、エルシーは開業資金の帳簿を握った。
最大の難関は、店名だった。
「『嵐のパン』」
「天候不順みたいで縁起が悪い。パンが湿気そうだ」
「『翼の食卓』」
「悪くないけど、何屋か分からん。家具屋だと思われる」
「では、『儲かるパン』」
「エルシーは黙っててくれ」
「『詠唱パン』」
「ミラベルも黙っててくれ。誰が買うんだ、詠唱パン」
議論は二晩に及び、最終的に、レーヴェの一言で決まった。「あんたのパン、風の匂いがするから」。――『風のパン屋』。翼で各地を渡り、その土地その土地の一番いい粉を、風と一緒に運んでくる店。看板の字は、俺が書いた(一番、字が綺麗だったからだ。書類で鍛えた字が、まさか看板で役に立つとは)。
ヴァルガは、朝三時に起きて窯に火を入れた。四天王の朝は、軍にいた頃より、早くなった。試作のパンは――悔しいくらいに、旨かった。
最初の一窯を、俺たちは店の裏で、立ったまま試食した。皮は香ばしく、中はしっとりと詰まって、噛むほどに麦の甘みが来る。レーヴェは一口で泣き(「麦の、想いの味がする……」しない。旨いだけだ)、エルシーは黙って三つ目に手を伸ばし(「品質検査です」検査で三つは食べない)、ミラベルは「このパンに私の詠唱を添えれば」と言って全員に睨まれた。聞けば、四天王の膂力で捏ねた生地は、気泡が均一になるのだという。知らなかった。そんな戦力の使い道が、この世にあったなんて。五年間、剣を握ってきた手が、生地を丸める。その手つきが、日に日に、優しくなっていくのを、俺たちは見ていた。
そして、開店を三日後に控えた、朝のことだった。
俺は宿の机で、開店当日の人員配置表を仕上げていた(監督官の仕事は際限なく増える)。窓の外から、朝の喧騒に混じって、妙に甲高い声が聞こえてきたのは、その時だ。
宿の前の通りで、新聞売りの少年が、刷りたての号外を、千切れんばかりに振り回していた。
「号外! 号外だよ! ――『無名の新人パーティ、魔王軍四天王を撃破』ぁ!!」
「「「はぁ!?」」」
次回「第11話 誤報、一人歩きする」は、7月28日(火)18時30分更新です。




