新たな存在
企業説明会で起きた事件から、一時間ほどが経っていた。
参加者たちはすでに解散し、建物の中も落ち着きを取り戻している。
表向きには、照明設備の不具合と、それに伴う参加者の体調不良。
それが、今回の事件に対する一般的な説明だった。
けれど。
神霊管理庁にとっては――。
明らかな霊的事件だった。
そして何より。
「……黒い邪気か」
玲弥は、先ほど六花が聞いた言葉を思い返していた。
神霊管理庁の車の中。
四人は事件現場から回収した資料を確認していた。
「取り憑かれていた学生については?」
智樹が尋ねる。
朱里が端末を操作した。
「一時的な意識混濁。霊力の消耗もありますが、命に別状はありません。現在は病院で経過観察中です」
「邪気そのものは?」
「消滅しました」
「完全に?」
「……そこが問題です」
朱里が画面を切り替える。
「完全に消滅したわけではありません」
「何?」
奏多が身を乗り出す。
朱里は一枚の画像を表示した。
そこには、黒い霧のようなものが写っていた。
「浄化した際、ほんの一部だけが建物の地下方向へ移動しています」
「地下?」
「はい」
智樹が眉を寄せた。
「施設の地下に何がある?」
「現在の建物の図面には、地下設備しかありません」
「現在の?」
玲弥が聞き返す。
朱里が頷く。
「この施設、建て替えられているんです」
「……何年前?」
「約二十年前」
朱里は資料をめくった。
「ただし、その前にも同じ場所に建物があった」
奏多の表情が変わった。
「何の建物?」
「旧研修施設です」
「それだけ?」
「……いえ」
朱里が一枚の古い資料を表示した。
「さらに、その前」
画面に古い地図が映る。
「この土地は、現在の企業が取得する以前――約百年前まで、別の施設として使用されていたようです」
「何の?」
朱里は一瞬、言葉を止めた。
「……療養所です」
四人が黙る。
玲弥が地図を拡大した。
「それだけなら、まだ偶然の範囲だ」
「そうですね」
智樹が頷く。
「でも、問題はここです」
智樹が別の資料を指差す。
「この土地の古い記録に、妙な記述がある」
「何?」
「『夜になると、白い獣を見た』」
奏多の笑顔が消えた。
「……白い獣?」
「狐のようなもの、と書かれている」
玲弥が、六花の手のひらに落ちた白い毛を思い出す。
「……白狐」
その言葉が、車内に落ちた。
誰もすぐには口を開かなかった。
やがて。
朱里が静かに言った。
「もう一つあります」
「まだあるのか」
「はい」
画面に、古い新聞記事が表示された。
そこには、数十年前に起きた奇妙な出来事が記録されていた。
――施設職員、三名が同時に失踪。
事件性は確認されず。
その後、全員が数日後に発見された。
しかし――。
三人とも。
「失踪していた間の記憶がない」
六花が説明会会場で感じた違和感。
黒い影。
学生への憑依。
地下へ逃げた邪気。
白い毛。
そして。
過去の失踪事件。
それらが、少しずつ一本の線になり始めていた。
「……偶然じゃない」
玲弥が呟く。
「俺もそう思う」
智樹が頷く。
奏多が腕を組む。
「問題は、何が目的なのかだね」
「六花ちゃんを狙っているのは間違いないと思います」
朱里が言った。
その瞬間。
四人の表情が変わった。
「……六花」
玲弥が低く呟く。
そして。
四人は同時に決めた。
この件は――。
四霊にも報告する必要がある。
⸻
四霊への報告
その日の夜。
四人は大学近くの神社へ向かった。
そこは、以前から四霊が姿を現す場所だった。
境内には誰もいない。
静かな夜。
風が木々を揺らしている。
玲弥が足を止めた。
「来る」
その直後。
境内の空気が変わった。
「……お主らか」
低い声。
霊亀が姿を現す。
続いて。
鳳凰。
麒麟。
応龍。
四霊が揃った。
「どうした?」
鳳凰が四人を見る。
「六花に何かあったのか?」
玲弥は首を横に振る。
「六花は無事です」
「ならば何だ」
「今日、企業説明会の会場で霊的事件が起きました」
四霊の表情が変わった。
霊亀が尋ねる。
「詳しく話せ」
玲弥は頷いた。
「六花が就職活動で参加した企業説明会で、学生一人が邪気に取り憑かれました」
「……六花は?」
鳳凰の声が低くなる。
「無事です」
「本当に?」
「はい」
玲弥は続けた。
「今回、六花は事前に異変を察知して、俺たちに連絡してきました」
鳳凰の表情がほんの少しだけ緩む。
「……そうか」
「そして、事件の最中も自分一人で解決しようとはせず、避難誘導と情報共有を行いました」
「成長したのう」
霊亀が静かに呟く。
麒麟も微笑んだ。
「昔の六花なら、自分で全部背負おうとしただろうな」
「……はい」
玲弥は少しだけ笑った。
「だから、俺たちもそこは安心しています」
その言葉の後。
玲弥は表情を引き締めた。
「ただ」
「ただ?」
応龍が問う。
「今回の事件には、不可解な点があります」
智樹が一歩前に出た。
「会場となった施設は、二十年前に建て替えられています」
「ふむ」
「さらに、その土地には古い建物が何度も建てられていました」
智樹が資料を差し出す。
「そして、その土地には百年以上前から霊的な異常があった可能性があります」
霊亀が資料を見る。
「……白い獣」
その文字を見た瞬間。
霊亀の目が細くなった。
「この記録……どこで見つけた?」
「古い土地資料です」
「もう一度見せろ」
智樹が資料を渡す。
霊亀はしばらく黙って読んでいた。
そして。
「……妙じゃ」
「何が?」
鳳凰が尋ねる。
「この土地には、もともと強い霊脈はない」
「じゃあ、なぜ?」
「後から何かが入り込んだ」
霊亀の言葉に、四人が顔を見合わせる。
「何かって?」
奏多が聞く。
霊亀は答えなかった。
代わりに。
応龍が口を開いた。
「……狐の気配がある」
「やはり?」
朱里が尋ねる。
応龍は頷いた。
「先ほどから、この資料から僅かに感じる」
鳳凰が眉を寄せる。
「狐……」
麒麟が続ける。
「だが、普通の妖狐ではない」
「どういう意味ですか?」
玲弥が尋ねた。
麒麟は静かに答える。
「普通の狐なら、もっと分かりやすい」
「分かりやすい?」
「霊気がある。妖気もある。長く生きた狐なら、それなりの力の痕跡が残る」
麒麟は目を細めた。
「だが、今回のものは違う」
応龍が続ける。
「存在そのものを隠している」
「……何者なんだ?」
智樹が呟いた。
四霊の間に沈黙が落ちる。
そして。
霊亀が言った。
「まだ、名は分からぬ」
「……」
「ただし」
霊亀は六花の名前が書かれた資料を見る。
「一つだけ確かなことがある」
全員が霊亀を見る。
「奴は六花を探しておる」
玲弥の目が鋭くなった。
「理由は?」
「それはまだ分からぬ」
霊亀は首を横に振る。
「ただ、六花に言った『探していた』という言葉…」
「……」
「つまり、桜そのものを探しているのではない」
霊亀の視線が六花の名前へ落ちる。
「六花に誰かを重ねている…、六花の力を必要としているのかもしれぬ」
鳳凰の表情が険しくなる。
「……また、桜に関わる存在なのか?」
「それも分からぬ」
霊亀は答える。
「じゃが、前の事件とは違う」
その言葉に、四人が顔を上げる。
「違う?」
「朧とは性質が違う」
応龍が静かに言った。
「朧は、己の存在を認められぬことへの憎悪そのものだった」
「今回のものには、憎悪だけではない」
麒麟が続ける。
「もっと計算されている」
「計算……?」
朱里が聞く。
「今回の存在は、六花に直接襲いかかってはいない」
霊亀が言った。
「学生を使った」
「……!」
「そして、六花が就職活動で訪れる場所に現れた」
奏多が呟く。
「つまり……」
「六花が自分から来る場所を選んでいる」
霊亀の言葉に、空気が重くなる。
六花は。
自分の未来を探しているだけだった。
企業を選び。
説明会へ行き。
自分に合う仕事を探している。
その行動そのものが――。
何者かに利用されている。
「……じゃあ」
玲弥が拳を握る。
「六花の就活先が、全部危険ってことですか?」
「まだそこまでは言えぬ」
霊亀は答えた。
「じゃが、少なくとも今回の企業については調べる必要がある」
智樹が頷く。
「神霊管理庁でも、企業と土地の過去を調査します」
「俺たちは?」
鳳凰が四人を見る。
「六花の周囲を警戒する」
玲弥が即答した。
「就活をやめさせるつもりはありません」
その言葉に、鳳凰が少し驚いた顔をする。
「ほう?」
「六花は、自分の未来を探しています」
玲弥は静かに言った。
「事件が起きたからって、その未来まで俺たちが奪うのは違う」
智樹も頷いた。
「危険だから行くな、ではなく。危険があるなら、どうすれば安全に続けられるかを考えるべきです」
奏多が笑う。
「せっかく六花ちゃんが、自分のやりたいことを探し始めたんだからね」
朱里も頷く。
「僕たちは、その邪魔をするのではなく、守る側でいたいです」
四霊は黙って四人を見た。
やがて。
鳳凰が小さく笑った。
「……少しは成長したようだな」
「どういう意味?」
玲弥が不満そうに眉を寄せる。
「以前のお主らなら、六花を守るためなら就活そのものを止めようとしただろう」
「……」
四人とも否定できない。
霊亀が笑う。
「じゃが、それでよい」
「?」
「六花が選ぶ未来を、六花自身に選ばせる」
霊亀は静かに言った。
「それが、あの子にとって大切なことじゃ」
四人は頷いた。
そのとき。
「……ところで」
麒麟が資料を見ながら言った。
「もう一つ気になることがある」
「何?」
奏多が聞く。
麒麟は古い地図の一点を指した。
「この企業の施設」
「はい」
「現在の建物は、ここに建てられている」
そして。
麒麟の指が、古い地図の別の場所へ移る。
「だが、百年以上前の地図では――」
そこには、小さな社が描かれていた。
「ここに神社があった」
四人が息を呑む。
「……神社?」
「しかも」
霊亀が目を細めた。
「この社の名前が、妙じゃ」
古い文字。
かすれた名前。
それを四霊が読み取る。
「――白狐社」
「……白狐」
玲弥が呟いた。
全てが繋がり始める。
白い毛。
白い獣。
狐の気配。
古い神社。
そして。
六花を必要としている存在。
「……これは、かなり厄介かもしれんな」
霊亀が呟いた。
その言葉に。
鳳凰が立ち上がる。
「ならば、六花には何も言わないのか?」
「いや」
霊亀は首を横に振る。
「伝えるべきことは伝える」
「でも、怖がらせる必要はない」
麒麟が続ける。
「六花は今、自分の未来を探している」
応龍が静かに言った。
「事件のために、その未来を捨てさせる必要はない」
玲弥は拳を握った。
「……俺たちが守ります」
「うむ」
鳳凰が頷く。
「ただし」
鳳凰の目が鋭くなる。
「今度の相手は、六花を狙っている」
「……はい」
「ならば、油断するな」
四人は揃って頷いた。
その夜。
神霊管理庁では、正式な調査案件として「白狐社跡地」に関する調査が開始された。
そして四霊は、古い記憶を辿り始める。
千年以上前。
桜が生きていた時代。
まだ朧さえ存在していなかった頃。
「……白狐社」
霊亀が、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「まさか……まだ残っているとは」
その声には。
四霊自身も知らなかった過去への、わずかな動揺が混じっていた。
――六花の就職活動。
それは単なる「仕事探し」ではなかった。
彼女が自分の未来を探して歩いた先に。
眠っていた古い存在が、目を覚まし始めていた。




