六花の想い、願い
第二章 六花の未来
――就職活動と、新たな事件
「……はぁ」
大学のキャリアセンター。
六花は机に突っ伏していた。
目の前には、何枚もの企業パンフレット。
金融。
メーカー。
販売。
観光。
福祉。
一般事務。
営業。
どれも立派な仕事だ。
どの仕事にも、それぞれの魅力がある。
けれど――。
「……分かんない」
ぽつりと呟く。
「何が?」
隣に座っていたあやめが聞く。
「私、何がしたいんだろうって」
六花はパンフレットを一枚持ち上げる。
「大学四年生になったら、みんな当たり前みたいに就活してるじゃん?」
「うん」
「私もやらなきゃって思って、エントリーシート書いて……説明会にも申し込んで……」
そこで言葉を止めた。
「でも、どこに行きたいのか分からない」
あやめは少し黙った。
六花は昔からそうだった。
誰かが困っていれば助ける。
誰かが悩んでいれば話を聞く。
目の前にいる人が困っていれば、考えるより先に手を差し出す。
でも。
「自分のこと」となると、途端に分からなくなる。
「……六花らしいけどね」
「え?」
「人のことばっかり考えて、自分のこと後回しにするところ」
「うーん……」
六花は苦笑する。
そのとき。
「あ」
一枚のパンフレットに目が止まった。
「ここ……」
「何?」
「来週、会社説明会ある」
そこに載っていたのは、地域密着型の企業だった。
人と人との繋がりを大切にすること。
地域の生活を支えること。
困っている人に寄り添うこと。
華やかな仕事ではない。
けれど。
六花の目は、珍しくその文章から離れなかった。
「……ちょっと、気になる」
「じゃあ行ってみれば?」
「うん」
六花は申し込むことにした。
それが――。
新しい事件の始まりになるとは知らずに。
⸻
数日後
「行ってきます!」
六花は大学を出た。
今日は企業説明会の日。
会場は、駅から少し離れた場所にある企業の研修施設だった。
「思ったより大きい……」
入口には、多くの学生がいる。
六花は少し緊張しながら受付を済ませた。
そのときだった。
「……あれ?」
六花の足が止まる。
受付の奥。
廊下の先。
誰もいない場所に――。
黒い影が見えた。
「……」
目を凝らす。
だが。
次の瞬間には消えていた。
「気のせい……かな」
六花は首を傾げる。
最近は、昔ほど何でもかんでも気にしなくなった。
普通の人には見えないものが見える。
それはもう、自分にとっては日常だ。
けれど。
「……嫌な感じ」
ほんの少しだけ。
胸の奥がざわついた。
六花はスマートフォンを取り出した。
以前なら、見なかったことにして一人で様子を探ろうとしたかもしれない。
けれど今は、違う。
玲弥に短いメッセージを送る。
『会場で黒い影を見ました。まだ何も起きていないけど、少し嫌な感じがします』
送信してから、六花は画面を見つめた。
「……これでいい」
不安を抱えたまま黙っているより、知らせておいたほうがいい。
何もなければ、それでいい。
もし何かあったとしても、みんなが状況を知っていれば、助けを求められる。
六花はスマートフォンをしまい、会場へ向かった。
⸻
同じ頃。
神霊管理庁。
「……企業説明会?」
玲弥が端末を見ていた。
「どうした?」
智樹が覗き込む。
「六花が今日、ある企業の説明会に行くらしい」
「就活か」
「そう。それと、会場で黒い影を見たそうだ」
玲弥が六花から届いたメッセージを見せる。
奏多が横から口を挟む。
「へぇ。六花ちゃん、ちゃんと報告してくれたんだ」
「以前なら、現場を一人で調べに行っていたかもしれませんね」
朱里が資料を見ながら言う。
「でも、今回は先に知らせてくれた」
玲弥は短く頷いた。
「……ああ。だからこそ、こちらもすぐ動ける」
そのとき。
――ピッ。
四人の端末が同時に鳴った。
「……?」
緊急通知。
四人の表情が変わる。
【霊的異常反応】
【発生地点――○○市】
そして。
添付された地図を見た瞬間。
玲弥が息を呑んだ。
「……ここ」
智樹も気づく。
「六花がいる場所だ」
「……嘘でしょ」
奏多の表情から笑みが消える。
朱里も立ち上がった。
「偶然……ではなさそうですね」
玲弥はすぐに端末を操作した。
「六花に連絡する。俺たちも向かう」
「六花ちゃんには、無理に動かないよう伝えたほうがいいね」
奏多が言う。
「分かってる」
玲弥はメッセージを送った。
『異常反応を確認した。こちらも向かう。危険を感じたら、無理に近づかず、周囲の避難を優先してくれ』
送信してから、玲弥は立ち上がった。
「六花が一人で抱え込まないようにする。俺たちも、任せてもらえるように動くぞ」
⸻
企業説明会
「それでは、弊社について――」
説明会は普通に進んでいた。
六花も真剣に話を聞いていた。
企業理念。
仕事内容。
研修制度。
福利厚生。
どれも興味深い。
けれど。
どうしても気になる。
――さっきの影。
六花はそっと周囲を見る。
「……」
何もない。
「気のせいかな」
そう思った瞬間。
――ドン。
会場の照明が、一瞬だけ点滅した。
「え?」
周囲がざわめく。
そして。
一人の学生が突然、立ち上がった。
「……帰らなきゃ」
「え?」
その学生は、ふらふらと出口へ向かう。
「ちょっと……」
社員が声をかける。
だが。
学生は振り返らない。
「帰らなきゃ……」
その目は虚ろだった。
六花の顔色が変わる。
「……これ」
見える。
その学生の背後。
黒い靄がまとわりついている。
「邪気……!」
六花は立ち上がった。
けれど。
ここには普通の学生や社員が大勢いる。
力を使えば、騒ぎになる。
どうする。
――助けたい。
でも。
前みたいに無茶をしてはいけない。
六花は自分に言い聞かせる。
「落ち着いて……」
まずは、あの人を止める。
六花は学生の前に回り込んだ。
「大丈夫ですか?」
「……」
反応がない。
「ねぇ」
六花は優しく声をかける。
「一緒に戻りませんか?」
その瞬間。
学生の目が六花を見る。
「……〇」
六花の心臓が跳ねた。
「……え?」
学生の口から、別の声が漏れた。
『――見つけた』
ぞくり。
背筋が凍る。
「……私を?」
『君を探していた……』
黒い靄が膨れ上がる。
六花が後ずさった。
その瞬間。
――バンッ!
窓が一斉に震えた。
「きゃあっ!」
悲鳴が上がる。
会場は一気に混乱した。
「皆さん、落ち着いて!」
社員が誘導を始める。
六花は周囲を見る。
逃げ惑う学生。
泣いている人。
混乱する社員。
そして。
邪気に取り憑かれた学生。
一瞬、六花の中に「自分が何とかしなきゃ」という考えが浮かんだ。
学生を助けて、邪気を抑えて、会場の人たちを避難させる。
全部、自分一人で。
けれど、六花はすぐに首を振った。
「……違う」
一人で全部やろうとすれば、誰かを巻き込む。
それに、玲弥たちはもう状況を知っている。
六花はスマートフォンを取り出した。
『取り憑かれた学生がいます。会場が混乱している。私は学生のそばにいます。避難誘導と邪気への対処をお願いします』
送信する。
すぐに玲弥から返事が届いた。
『了解。学生から離れすぎるな。ただし、危険を感じたら退避しろ。こちらが引き受ける』
六花はその短い文面を見て、胸の奥の緊張が少しほどけるのを感じた。
「……うん。任せる」
それから、近くの社員に声をかける。
「すみません! 皆さんを出口へ誘導してください。窓から離れて、廊下側に集めてください!」
「あなたは?」
「私はこの人のそばにいます。でも、無理に動かそうとはしません。危険になったら、すぐ離れます」
自分の役割を決める。
全部を背負うのではなく、できることを選ぶ。
六花は学生に向き直った。
「大丈夫です。あなたを置いていきません」
『やはり、君は……』
黒い靄が膨れ上がる。
六花は手を伸ばしかけたが、すぐには触れなかった。
以前なら、力を流し込んで無理に邪気を引き剥がそうとしたかもしれない。
けれど今は、玲弥たちが来るまで相手を刺激しないことを選ぶ。
「……玲弥たちが来るまで、ここで持ちこたえる」
その瞬間。
「六花!」
聞き慣れた声が響いた。
「……え?」
振り返る。
そこにいたのは――。
玲弥。
智樹。
奏多。
朱里。
四人が会場へ駆け込んできた。
「なんで……?」
「お前が連絡してくれたから、間に合った」
玲弥が答える。
「ここは俺たちが対処する!」
六花は一瞬、学生と四人を見比べた。
以前なら、「私もやる」と言って前に出ていたかもしれない。
けれど今は、違う。
「分かった。学生の状態と、邪気が反応したときのことを伝えるね」
六花は玲弥に駆け寄り、短く状況を説明した。
「急に立ち上がって、私をみて、『探していた』と話していたけど、それ以降何も言わなくて。ただ、まだ邪気が残ってるの。だから、そばに居て広がらないようにしたの。」
「分かった。そこまで見ていてくれたのか」
「うん。でも、ここからはお願いしていい?」
六花は一瞬だけ言葉を探した。
「私一人では、これ以上は危ないと思う」
玲弥は頷いた。
「任せろ」
その返事を聞いて、六花は学生から一歩下がった。
「じゃあ、私は避難誘導を手伝う。朱里さん、そっちはお願いしてもいい?」
「もちろんです」
「智樹さんは窓側を見て。奏多さんは、取り残されている人がいないか確認してほしい」
「了解」
「任せて」
四人がそれぞれ動き出す。
六花も社員と一緒に、学生たちを廊下へ誘導した。
自分が中心になって戦うのではない。
仲間に状況を伝え、役割を分け、必要な場所で力を使う。
それでも、誰かを助けることはできる。
やがて。
玲弥たちの力が邪気を包み込んだ。
黒い靄が大きく揺らぎ、学生の身体からゆっくりと離れていく。
六花は離れた場所から、その様子を見守った。
「……頑張って」
手を握りしめる。
助けたい。
けれど、今は自分が前に出るときではない。
信じて任せることも、助けるための選択なのだ。
⸻
事件の後
事件は収束した。
取り憑かれていた学生も無事だった。
一般の参加者には、設備トラブルと体調不良が重なった事故として説明された。
六花は建物の外で、空を見上げていた。
「……就活に来ただけだったのにな」
「そうだな」
玲弥が隣に立つ。
「でも」
六花は、企業の建物を見る。
「ちょっと分かった気がする」
「何が?」
「私が仕事を選ぶときに、大事にしたいこと」
玲弥が黙って聞く。
「人を助ける仕事がしたい」
六花は自分の胸に手を当てた。
「困ってる人がいたら、放っておけないから」
少し照れながら笑う。
「もちろん、霊とかそういう意味じゃなくてね(笑)」
「……六花らしいな」
玲弥が微笑む。
「でも、それだけじゃなくて」
六花は続けた。
「今日、怖かったけど……」
「うん」
「一人で何とかしようとしなくても、助けられるんだって思った」
玲弥は黙って六花を見る。
「最初は、私1人でら学生を止めて、邪気を抑えて、みんなを避難させなきゃって思ったの」
六花は自分の手を見つめた。
「でも、それを全部やろうとしたら、たぶん誰かを危険に巻き込んでた。だから、先に連絡して、みんなに役割をお願いした」
「ちゃんと頼ってくれたな」
「うん」
六花は頷いた。
「頼るのって、迷惑をかけることだと思ってた。でも、今日みたいに状況を伝えれば、みんなが動いてくれる。私も、自分にできることをすればいい」
少し照れながら、四人を見る。
「玲弥には邪気への対処をお願いして、朱里さんには避難を手伝ってもらって、智樹さんと奏多さんには会場の確認をしてもらって……」
「よく見てたね」
智樹が笑う。
「六花ちゃんが指示してくれたから、動きやすかったよ」
奏多も頷く。
「一人で抱え込まれるより、ずっと頼もしかった」
「……本当?」
「本当です」
朱里が穏やかに答える。
「頼っていただけるのは、迷惑ではありません。私たちは仲間ですから」
その言葉に。
六花の胸が温かくなる。
「……ありがとう」
六花は四人に向かって頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう。私、これからもちゃんと相談する」
玲弥が少しだけ目を細める。
「無理に約束しなくてもいい。抱え込みそうになったら、俺たちが気づく」
「でも、できるだけ自分から言う」
六花は顔を上げた。
「助けてって言えるようになりたいから」
その言葉に。
四人は黙った。
それぞれが、六花を見る。
――やっぱり。
彼女はそういう人だ。
自分の力を誇示したいわけではない。
誰かの役に立ちたい。
ただ、それだけ。
だからこそ。
四人は改めて思った。
この先も。
六花の人生に関わりたい。
けれど――。
六花の未来を決めるのは、自分たちではない。
彼女自身だ。
「……じゃあ、六花ちゃん」
奏多が笑う。
「次の説明会も頑張らないとね?」
「うん!」
「ちなみに、次はどこ?」
「えっと……」
六花がスマートフォンを見る。
「次は――」
そこで。
六花の表情が止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
「この会社……」
画面に表示された企業名。
そして。
その企業の所在地。
「さっきの事件が起きた場所と……同じ系列だ」
四人の表情が変わった。
「……つまり」
智樹が呟く。
「今回の事件は、偶然じゃない可能性がある」
六花はスマートフォンを握りしめる。
一人で抱え込まず、仲間に相談する。
そう決めたばかりだった。
だから六花は、画面を四人に見せたまま、すぐに口を開いた。
「この件も、みんなと一緒に調べたい」
玲弥が頷く。
「もちろんだ」
就職活動。
自分の未来を探すために始めたはずだった。
なのに。
その道の先には――。
新たな霊的事件が待ち受けている。
そして。
六花がこれから受けようとしている企業には。
四霊ですら知らない、古い何かが眠っていた。
――六花の「未来探し」は。
いつしか、千年以上続いた因縁とはまったく別の事件へと繋がっていくことになる。




