それぞれの想い
神霊管理庁。
人の目には触れない、特殊な事件を扱う組織。
邪気。
悪霊。
呪術。
異形。
科学や一般の警察組織では対処できない案件を専門に扱い、四神の後継者たちも、その一員として活動している。
あの事件が終わった後も、仕事がなくなったわけではない。
むしろ――。
長年にわたって蓄積された異常の調査や、封印の確認、各地に残った邪気の処理など、やるべきことは山ほどあった。
「……まだ終わらないな」
書類を眺めながら、神宮寺玲弥が小さく息を吐いた。
向かいでは宮原智樹が資料を整理している。
「仕方ないだろ。千年以上続いた問題だったんだから」
「分かってる」
少し離れたところでは、西園寺奏多が端末を操作していた。
「まぁ、平和になっただけでも良かったじゃん?」
その隣では紅原朱里が報告書を確認している。
「そうだね。六花ちゃんが無事だった。それだけでも十分だよ」
「……」
玲弥の手が止まった。
六花。
その名前を聞くだけで、あの日の光景が蘇る。
力を使い果たし、立っていることさえできなくなった六花。
自分が抱き上げた、あの身体。
『大人しくしとけ。お前が一番頑張ったのだから』
あのときは、ただ必死だった。
守らなければと思った。
けれど。
事件が終わってから、玲弥は自分の中に残った感情を何度も考えていた。
――俺は、六花をどう思っている?
答えは、もう分かっている。
好きだ。
おそらく。
いや――。
もう、誤魔化す必要などない。
好きなのだ。
けれど、その気持ちを六花に押しつけるつもりはなかった。
六花には六花の人生がある。
大学を卒業して。
どんな仕事をするのか。
どんな人と出会うのか。
誰を好きになるのか。
それを決めるのは、六花自身だ。
だからこそ。
「……俺は」
玲弥は小さく呟いた。
「俺自身を見てほしい」
「ん?」
智樹が顔を上げる。
「何でもない」
その直後だった。
――コン。
机の上に、一通の封書が置かれた。
神宮寺家の家紋。
玲弥の表情が変わる。
「……家からか」
ほぼ同時に。
智樹のところにも。
奏多のところにも。
朱里のところにも。
それぞれの家紋が刻まれた封書が届いた。
四人は顔を見合わせる。
「……嫌な予感しかしないね」
奏多が苦笑した。
「同感」
朱里も笑っているが、その目は笑っていない。
封書の中身は、全員同じだった。
――至急、帰宅せよ。
ただ、それだけ。
四人はそれぞれの家へ戻ることになった。
そして。
そこで待っていたものは、彼らが想像していた以上のものだった。
⸻
神宮寺家
「玲弥」
当主は、静かに口を開いた。
「お前に命じる」
玲弥は父親を見る。
「何ですか」
「桜庭六花を――」
一瞬。
時間が止まったように感じた。
「嫁として迎えよ」
「……は?」
玲弥の目が見開かれる。
当主は淡々と続ける。
「彼女の力は桁違いだ。四霊との繋がりもある。お前が彼女を妻に迎えれば、神宮寺家にとってこれ以上ない――」
「待ってください」
玲弥が遮った。
「六花を……家のために?」
「そうだ」
「本人の意思は?」
「お前が説得すればいい」
その言葉に。
玲弥の胸の奥で、何かが冷たくなる。
違う。
そうじゃない。
六花は――そんなものじゃない。
彼女の力も。
四霊との繋がりも。
桜との因縁も。
全部ひっくるめて、一人の人間なのだ。
そして自分が好きになったのは――。
強大な力を持つ「桜庭六花」ではない。
笑うときに少し目を細めるところ。
人のためなら自分が傷つくことも厭わないところ。
無茶をして倒れるくせに、「大丈夫」と笑うところ。
自分のことより他人を優先してしまうところ。
そういう、六花そのものだった。
「……従えません」
玲弥は静かに言った。
「ほう?」
「俺は、六花を家のために利用したくない」
父親の眉が動く。
「ならばどうする?」
玲弥は一度、目を伏せた。
そして――。
「俺自身を好きになってもらう」
はっきりと、そう言った。
「後継者だからじゃない。神宮寺家の人間だからでもない」
玲弥は父親を見据える。
「一人の男として、俺を見てもらう」
⸻
宮原家
「智樹」
宮原家当主は、同じ言葉を告げた。
「桜庭六花を嫁に迎えなさい」
智樹は黙って父親を見た。
驚きはした。
けれど玲弥ほど表情には出なかった。
「……理由は?」
「彼女の力だ」
「やはり」
智樹は目を伏せた。
予想していた。
桜庭六花という存在が、四家にとってどれほど大きな意味を持つのか。
四霊との繋がり。
桜との魂の繋がり。
そして、本人が持つ圧倒的な霊力。
家にとっては、これ以上ないほど魅力的な存在なのだろう。
だが。
「俺は、利用するつもりはありません」
「ならばどうする?」
「……好きになってもらいます」
自分でも、少し驚くほど自然に言葉が出た。
「時間をかけて」
智樹は続ける。
「六花が俺を選ぶ理由を、俺自身で作る」
⸻
西園寺家
「奏多」
当主の言葉を聞いた瞬間。
奏多はしばらく黙った。
そして――。
「……それ、本気?」
「当然だ」
「六花ちゃんに?」
「ああ」
奏多は苦笑した。
「参ったなぁ……」
いつもの軽い笑顔。
けれど。
その奥では複雑な感情が渦巻いていた。
六花のことは好きだ。
だからこそ。
「命令だから付き合う」なんてことはしたくない。
彼女が自分を好きになってくれたとき。
それが家柄でも。
白虎の後継者だからでも。
神霊管理庁の人間だからでもなく。
「西園寺奏多」という男を好きになってくれた結果であってほしい。
「俺、六花ちゃんにはちゃんと選んでもらいたいんだけどな」
「ならば努力しろ」
「……それはするよ」
奏多は笑った。
「好きだからね」
⸻
紅原家
朱里もまた、同じ命令を受けていた。
「六花を嫁に迎えなさい」
「……なるほど」
朱里は静かに息を吐く。
そして、困ったように笑った。
「僕も同じことを考えていたところです」
当主が眉を上げる。
「ならば話は早い」
「いえ」
朱里は首を横に振った。
「そこは違います」
「何?」
「僕は、六花さんを家のために迎えるつもりはありません」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな意志があった。
「僕が好きなのは、六花さんという一人の女性です」
「……」
「だから、もし彼女が僕を選んでくれるのなら――」
朱里は微笑む。
「そのとき初めて、結婚を考えたいと思っています」
⸻
四人、それぞれの決意
その夜。
四人は、それぞれの家を出た。
偶然にも。
同じ場所へ向かっていた。
神霊管理庁。
誰もいない屋上。
夜風が吹く。
「……お前らもか」
玲弥が言った。
「うん」
智樹が答える。
奏多が苦笑する。
「まさか全員とはね」
朱里も空を見上げた。
「当然でしょう。六花さんは、四家にとってそれほど大きな存在ですから」
しばらく沈黙が続いた。
そして玲弥が言った。
「俺は、譲るつもりはない」
三人が見る。
「六花を好きだから」
智樹は静かに答えた。
「俺も」
奏多は笑った。
「じゃあ、遠慮する理由はないね」
朱里も穏やかに笑う。
「そうですね」
四人とも。
六花を家のために取り合いたいわけではない。
ただ――。
自分ではない誰かと六花が出会い。
その人を好きになり。
幸せそうに笑う姿を想像すると。
胸の奥が、どうしようもなく痛かった。
「……負けたくない」
玲弥が呟く。
「同感」
智樹。
「俺も」
奏多。
「僕もです」
朱里。
四人の視線が交わった。
こうして――。
誰にも知られることなく。
桜庭六花を巡る、四人の恋が始まった。
⸻
翌日
「六花」
「ん?」
大学の講義が終わったところで。
玲弥が六花の前に立っていた。
「今日、一緒に帰らないか」
「え?」
六花は目を瞬かせる。
「いいけど……」
その少し後ろでは。
智樹が待っていた。
「六花、今日ゼミの資料を見せてもらいたい」
「うん、いいよ」
さらに。
「六花ちゃーん」
奏多が手を振る。
「今日、バイト?」
「うん」
「じゃあ、店寄ろうかな」
「いつも来てるじゃん(笑)」
そして。
「六花さん」
朱里まで現れる。
「今日、少し時間ありますか?」
「え? うん」
六花は四人を順番に見た。
「……?」
何かがおかしい。
いつもより。
距離が近い。
妙に優しい。
妙に話しかけてくる。
「……みんな、どうしたの?」
四人が一瞬、黙った。
「別に」
玲弥が答える。
「何でもない」
智樹も。
「六花ちゃんと話したいだけ」
奏多が笑う。
「僕も同じです」
朱里も微笑む。
六花は首を傾げた。
「……変なの(笑)」
彼女は知らない。
自分が今――。
四人の男たちから、同時に好意を向けられていることを。
そして。
その四人が、自分の「力」ではなく。
「桜」でもなく。
「四霊との繋がり」でもなく。
ただ一人の女性として、自分を見てほしいと思っていることを。
六花は何も知らず。
ただ笑っていた。
「じゃあ、みんなで帰ろっか」
その笑顔に。
四人の胸が、同時に高鳴る。
――やっぱり。
好きだ。
誰にも譲りたくない。
けれど。
その瞬間だった。
「……?」
六花が、ふと足を止めた。
笑顔が消える。
「どうした?」
玲弥が尋ねる。
六花は、大学の中庭を見つめていた。
「……今」
風が止まった。
空気が変わる。
六花の表情が、ゆっくりと険しくなる。
「……何かいる」
四人の顔から、笑顔が消えた。
玲弥が右手首を見る。
青龍の印が淡く光る。
智樹も。
奏多も。
朱里も。
それぞれの神気が反応した。
「邪気……?」
智樹が呟く。
六花は答えなかった。
ただ。
中庭の奥にある、一本の古い木を見つめている。
そこには――。
誰もいないはずだった。
なのに。
木の影から。
一瞬だけ。
白い狐のような影が覗いた。
そして。
――笑った。
六花の背筋を、冷たいものが走る。
「……あれ」
「六花?」
「……違う」
六花は小さく呟いた。
「今までの邪気とは……違う」
四人が身構える。
その瞬間。
木の上から、何かが落ちてきた。
――白い毛。
一本。
六花の手のひらに、ふわりと舞い落ちる。
そして。
どこからともなく。
女とも男ともつかない声が響いた。
『――桜の魂を持つ者』
六花が顔を上げる。
『ようやく、見つけた』
風が吹き抜ける。
次の瞬間。
白い狐の影は、跡形もなく消えていた。
「……今のは」
玲弥が呟く。
六花は、手のひらに残った白い毛を見つめた。
胸の奥がざわつく。
懐かしいような。
それでいて。
まったく知らない気配。
そして。
神霊管理庁から、四人の端末へ同時に緊急通知が届いた。
――【緊急警戒】
――【大学構内にて、未確認の霊的存在を検知】
――【対象の詳細、不明】
四人は顔を見合わせた。
恋が始まった、その日に。
新たな事件が始まった。




