終わりと始まりへ
朧が最後の黒い霊気となって空へ溶けていく。
その霊気は、もう誰かを憎む色ではなかった。
長い、長い孤独を抱えた存在が、ようやく眠りにつくような静かな光へと変わっていく。
境内を覆っていた重苦しい空気も、少しずつ晴れていった。
風が吹く。
その風は、千年前とは違う。
血の匂いも、邪気も、憎悪もない。
春を運ぶ、柔らかな風だった。
遥はその場に膝をついたまま、空を見上げていた。
涙は止まっていた。
胸の奥にあった執着も、憎しみも、朧と共に消えていったようだった。
「……桜。」
小さく呟く。
そして静かに目を閉じた。
「ありがとう。」
その言葉は、もう誰にも縛られない、一人の”天王寺遥”としての言葉だった。
千年続いた想いは、ようやく終わりを迎えた。
その様子を見届けた六花は、ふっと安堵の息を吐く。
「……終わったんだ。」
そう呟いた瞬間だった。
全身から一気に力が抜ける。
足に力が入らない。
膝が震え、その場へ崩れ落ちる。
「えっ……。」
自分でも驚くほど身体が動かない。
「「「「六花!!」」」」
四霊の声が重なった。
鳳凰が真っ先に駆け寄る。
霊亀も麒麟も応龍も、表情を変えて六花を囲む。
「六花!」
鳳凰が肩を支える。
霊亀はすぐ霊力を流し込もうとする。
応龍は周囲を警戒し、麒麟は六花の呼吸を確かめる。
四霊たちの様子は、千年前に桜を失ったあの日と重なっていた。
——また失うのではないか。
その恐怖が、一瞬で胸を締め付ける。
しかし。
六花は困ったように笑った。
「あはは……。」
「大丈夫だよー。」
みんなが一斉に顔を向ける。
「腰が抜けただけ。」
一瞬の静寂。
「…………。」
鳳凰がゆっくり眉をひそめる。
「……。」
霊亀が深くため息をつく。
麒麟は思わず肩の力を抜き、
応龍は額へ手を当てた。
鳳凰が思わず怒鳴る。
「紛らわしいわ!!」
「心臓が止まるかと思ったではないか!」
「ご、ごめんってぇ。」
六花は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
「ほんとに身体に力が入らなくて……。」
霊亀は優しく六花の頭へ手を置いた。
「……無理もない。」
「お主は今日、一人で何人分もの力を使った。」
麒麟も頷く。
「普通の巫女なら、とっくに気を失っておる。」
応龍も静かに言う。
「むしろ、意識がある方がおかしい。」
六花は苦笑するしかなかった。
「そんなに?」
「そんなにじゃ。」
四霊全員が同時に答えた。
その時だった。
「貸せ。」
低い声が聞こえる。
振り返る間もなく。
ふわり、と身体が浮いた。
「え?」
視界が一気に高くなる。
気付けば、自分は玲弥の腕の中だった。
「ええぇぇぇ!?」
六花は目を丸くする。
「ちょ、ちょっと!」
「玲弥!」
「大丈夫だから!」
慌てて暴れようとする。
しかし、玲弥はびくともしない。
「暴れるな。」
真っ直ぐ前だけを見ながら歩き始める。
「お前が一番頑張ったんだから。」
その声は、どこまでも優しかった。
「今日は大人しく守られてろ。」
六花の頬が一気に赤く染まる。
「だ、だから!」
「歩けるって!」
「腰抜けてるだろ。」
「……。」
「ほらな。」
言い返せない。
智樹も隣へ歩いてくる。
いつもの穏やかな笑顔だった。
「そうですよ。」
「今日は無理しないでください。」
「使い過ぎです。」
「でも……。」
「駄目です。」
ぴしゃりと言われる。
「今日は患者です。」
「うぅ……。」
六花は肩を落とした。
すると、後ろから奏多が笑いながら近付いてくる。
「六花ちゃん。」
「君がいたから終われたんだよ?」
「俺らだけじゃ絶対無理だった。」
朱里も優しく笑う。
「そうそう。」
「だから今日は。」
「玲弥に甘えといて?」
「なっ……!」
六花の顔は耳まで真っ赤になる。
「甘えてるわけじゃないもん!」
「勝手に抱えられたの!」
「へぇ?」
奏多がにやりと笑う。
「じゃあ降ろしてもらう?」
玲弥が無表情で答える。
「却下。」
「却下!?」
六花が叫ぶ。
「本人の意思!」
「却下。」
「なんでぇぇぇ!」
周囲から笑いが漏れる。
その様子を見ていた四霊たちは——
面白くなかった。
鳳凰の額に青筋が浮かぶ。
「……なんじゃ。」
霊亀も腕を組む。
「我らの巫女を。」
麒麟は苦笑しながらも、口元は引きつっている。
応龍は腕を組み、じっと玲弥を見る。
四霊全員の視線が玲弥へ集中する。
玲弥は気付いている。
ものすごく気付いている。
(……怖い。)
生まれて初めて、守護神より恐ろしい存在を見た気がした。
奏多が小声で笑う。
「怒ってるね。」
朱里も苦笑する。
「めちゃくちゃ怒ってる。」
智樹がため息をつく。
「玲弥。」
「あとで覚悟してください。」
「……だろうな。」
玲弥も苦笑した。
その腕の中では、六花が恥ずかしさで顔を隠している。
「もう!」
「みんな笑わないでよ!」
その姿を見て。
四霊も。
四神の後継者たちも。
自然と笑っていた。
千年前。
誰一人笑えなかった最後。
悔しさと涙だけが残った別れ。
だが今は違う。
誰も欠けていない。
誰も失っていない。
笑い声が神社いっぱいに響く。
その笑い声は、まるで桜がどこかで「やっとみんな笑えたね」と微笑んでいるかのように、どこまでも温かく、優しく境内に広がっていった。
千年続いた呪いは終わった。
千年続いた想いも終わった。
そして、この日。
彼らは初めて、「戦友」ではなく、「仲間」として未来へ歩き始めた。




