千年の想い
天王寺神社を包む結界は、黒い霧をまといながら脈打っていた。
その内側では、六花がまっすぐに天王寺遥と朧を見つめている。
恐怖はある。
それでも、目だけは逸らさなかった。
その瞳を見た遥は、苦しそうに眉を寄せる。
(どうして……。)
(どうして、そんな目で俺を見る。)
(俺はただ、お前を守りたいだけなのに。)
その瞬間だった。
結界の外から、四つの神々しい霊力がぶつかる。
轟音。
空気が震え、神社全体が揺れた。
「……来たか。」
朧が小さく呟く。
次の瞬間。
炎。
水。
光。
雷。
四霊それぞれの神威が一つになり、黒い結界へ叩きつけられる。
「砕けろ!」
鳳凰の怒号が響く。
応龍が巨大な龍の姿で体当たりし、麒麟が結界の術式を崩し、霊亀が最も脆い一点を見抜いて力を集中させる。
――パリンッ!!
黒い結界が砕け散った。
外の空気が一気に流れ込む。
「「「「六花!!」」」」
四霊の声が重なる。
その声を聞いた瞬間、六花の表情がぱっと明るくなった。
「鳳ちゃん!亀さん!麒麟さん!龍さん!」
その笑顔を見た鳳凰の胸から、張り詰めていた緊張が少しだけほどける。
(無事だった……。)
霊亀も静かに息を吐く。
(間に合った。)
麒麟は胸を撫で下ろし、応龍は怒りを押し殺しながら遥と朧を睨みつけた。
一方、朧は肩をすくめる。
「……本当に、邪魔ばかりですね。」
霊亀が一歩前へ出る。
静かな怒りを宿した瞳だった。
「……やはり、お主だったか。朧。」
朧は口元だけで笑う。
「ええ。もう少しで上手くいくと思ったのですが。」
鳳凰は六花の前へ立ち、まるで翼で包み込むように庇う。
「六花。」
その声は震えていた。
「何もされておらぬな?」
六花は小さく笑う。
「うん、大丈夫。」
その一言だけで、鳳凰はようやく安堵する。
だが、朧はなおも口を開いた。
「巫女よ。」
「四霊に聞くがいい。」
「お主の祖先が、どう死んだのかを。」
その言葉に。
四霊全員の身体が固まった。
誰も返事をしない。
沈黙だけが流れる。
その反応を見た遥は、一歩前へ出た。
「やっぱりだ。」
怒りに震える声だった。
「四霊たちが桜の力を見誤ったんだろう!」
「弱っていた桜を最後まで戦わせた!」
「だから桜は死んだ!」
「違う。」
その声は小さかった。
だが。
その場の全員が振り向く。
六花だった。
いや。
違う。
立ち姿が違う。
瞳が違う。
そこに立つ少女は、六花でありながら六花ではなかった。
「あの日。」
穏やかな声が響く。
「鳳凰。」
「霊亀。」
「麒麟。」
「応龍。」
四霊は息を呑んだ。
いつも六花は愛称で呼ぶ。
なのに今は違う。
千年前と同じ呼び方。
鳳凰が震える声で呟く。
「……六花?」
少女は優しく首を振った。
「少しだけ。」
「六花の身体を借りたの。」
麒麟の瞳が大きく見開かれる。
「まさか……。」
「桜。」
少女は微笑んだ。
「久しぶり。」
その笑顔は。
千年前から何一つ変わっていなかった。
四霊の目から、言葉にならない感情が溢れる。
鳳凰は拳を震わせる。
霊亀は目を閉じる。
麒麟は涙を堪え。
応龍は静かに歯を食いしばる。
玲弥が思わず前へ出た。
「あなたは……本当に桜さんなのですか?」
少女は静かに頷く。
「見た目は六花。」
「でも、魂だけ少し借りてる。」
「この子の巫女としての力が、私を呼んでくれたみたい。」
「でも長くはいられない。」
「だから。」
「伝えなきゃいけないことだけ。」
遥は呆然と見つめる。
「桜……。」
桜は悲しそうに笑った。
「天王寺さん。」
「私は、あなたの恋人じゃなかった。」
その一言が、遥の胸へ突き刺さる。
「私は最初から。」
「巫女として生きることしか考えていなかった。」
「神社を守ること。」
「みんなを守ること。」
「それだけだった。」
「だから、自分の血を残そうとも思わなかった。」
「仮にあなたと結ばれても。」
「神社の未来は変わらなかった。」
桜は霊亀を見る。
「霊亀。」
「あなた、感じていたでしょう。」
霊亀は静かに頷く。
「……ああ。」
「衰退しか視えなかった。」
桜は再び遥を見る。
「だから断ったの。」
「嫌いだったからじゃない。」
「未来を見てしまったから。」
遥の肩が震える。
桜は今度は朧へ視線を向けた。
「そして。」
「あの日。」
「私はあなたを見た。」
朧の表情が変わる。
「天王寺さんの後ろに。」
「とても大きな、禍々しい力。」
「それがあなた。」
「朧。」
「人の弱さへ入り込む存在。」
「だから神にも。」
「妖にも。」
「なれなかった。」
「もっと純粋に、誰かを想えていたら。」
「こんな長い孤独を抱えることもなかった。」
朧の瞳が大きく揺れた。
その瞬間。
積み重ねた千年分の憎悪が噴き出す。
「黙れぇぇぇぇ!!」
黒い霊力が爆発する。
「お前に何が分かる!!」
「知ったような口を聞くな!!」
黒い奔流が桜――いや、六花へ向かって放たれた。
「六花!!」
玲弥が飛び出す。
智樹が結界を展開する。
奏多が白虎の力で受け止める。
朱里が朱雀の炎で黒い霊力を焼き払う。
四神の後継者たちが、六花を守る壁となった。
同時に四霊も動く。
鳳凰の炎が黒い霧を押し返し、
霊亀が防壁を築き、
麒麟が神気で場を浄化し、
応龍が雷とともに朧の前へ立ちはだかる。
その衝撃で神社全体が揺れる。
しかし、それ以上に激しく揺れていたのは遥の心だった。
「違う……。」
頭を抱える。
「違う!!」
桜は静かに遥を見つめている。
「違うんだ!!」
遥の霊力が制御を失う。
境内中へ暴風のように吹き荒れた。
「俺は……!」
涙が止まらない。
「貴方は私を好きになってくれなかった……!」
その叫びは、遥自身のものなのか、それとも千年前の記憶なのか、もはや誰にも分からない。
「貴方しかいらなかった!」
「貴方と一緒に行きたかっただけなんだ!!」
絶叫とともに霊力が四方八方へ暴走する。
その姿を見た桜の瞳には、怒りではなく、深い悲しみだけが宿っていた。彼女はようやく理解した。
天王寺は憎しみに支配されたのではない。
**「失うことを受け入れられなかった心」**を、朧に利用され続けてしまったのだと




