不穏の始まり
悪霊事件以来。
六花の日常は、少しだけ変わり始めていた。
大学へ行けば、神宮寺玲弥と宮原智樹が自然と隣にいる。
昼休みになれば、
「六花、今日は食堂か?」
「うん!」
「じゃあ行こう。」
そんなやり取りが当たり前になっていた。
最初はぎこちなかった三人の空気も、今ではすっかり馴染んでいる。
日本神話の話。
民俗学の話。
各地の伝承。
講義では聞けないような話を、玲弥や智樹は惜しげもなく教えてくれた。
「なるほど……!」
六花は目を輝かせながらノートへ書き込む。
「だから四神信仰って全国に残ってるんだね!」
「そういうことだ。」
玲弥が笑う。
「六花は飲み込みが早い。」
「教え方が上手なんだよ。」
その言葉に玲弥は少し照れ臭そうに目を逸らした。
智樹も穏やかに口を開く。
「知識は誰かへ伝えてこそ意味があります。」
「ありがとう。」
六花は本当に嬉しそうだった。
そんな笑顔を見るたび。
二人の胸は少しだけ温かくなる。
⸻
しかし。
大学では別の意味で有名になっていた。
「また桜庭さん、神宮寺君達と一緒だ。」
「羨ましい。」
「編入生二人と仲良すぎない?」
「しかも最近、天王寺君とも話してるよね。」
廊下ですれ違うたび。
そんな声が聞こえてくる。
六花は苦笑した。
(……さすがに目立ちすぎかな。)
人気者三人と一緒に歩けば目立つ。
それは当然だった。
(少し距離置いた方がいいかも。)
三人は悪くない。
むしろ優しい。
だからこそ、自分のせいで変な噂になってほしくなかった。
⸻
そんなある日。
大学内で妙な噂が流れ始める。
「資料室に入ると鍵が開かなくなるらしい。」
「食堂の食券機が急に全部止まったんだって。」
「実験室でも変な声が聞こえたらしい。」
「幽霊じゃない?」
噂はあっという間に広がった。
けれど。
どれも数分で元に戻る。
被害も小さい。
だから大学側も機械の故障程度にしか考えていなかった。
⸻
一方。
六花は違和感を覚えていた。
(……嫌な感じ。)
胸がざわつく。
空気が少し重い。
邪気。
悪霊。
それに近いものを感じる。
さらに気になったことが一つ。
玲弥と智樹が、講義の途中や昼休みに突然いなくなることが増えた。
「どこ行ってたの?」
そう聞けば、
「少し用事。」
「教授に呼ばれまして。」
二人とも自然に笑う。
けれど。
六花には分かった。
嘘ではない。
でも、本当でもない。
(何か隠してる。)
⸻
放課後。
六花は一人で資料室へ向かった。
(ちょっと見るだけ。)
(何かあれば祓こう。)
扉を開く。
その瞬間。
ひやり、とした空気が流れた。
(やっぱり。)
棚の奥。
古い書籍の隙間。
黒い靄がゆらゆら揺れている。
悪霊というほど強くない。
邪気が集まって出来た低級霊。
「これなら……。」
六花は深呼吸する。
神気を少しだけ指先へ集める。
「祓え……。」
その瞬間だった。
「六花!」
腕を掴まれた。
驚いて振り返る。
「玲弥?」
神宮寺玲弥だった。
その表情は今まで見たことがないほど険しい。
「力を使うな!」
強い口調だった。
「でも……。」
「力を取られる奴だ。」
「お前がやると、また倒れる!」
その声には焦りが滲んでいた。
智樹もすぐ横へ来る。
「使い過ぎてはいけません。」
「今の六花では消耗が大きすぎます。」
「でも……。」
六花が言い返そうとした時だった。
「困ったなぁ。」
聞き覚えのある声。
振り向けば。
居酒屋の常連客だった二人が立っていた。
「え?」
「どうして?」
白いシャツ姿の奏多が肩をすくめる。
「ここは俺らに任せて?」
そう笑って。
「お姫様。」
六花は固まった。
「……え?」
今度は朱里が優しく笑う。
「君はこっちで守られてて?」
あまりにも自然だった。
まるで。
こういう状況に慣れているような口ぶり。
六花の頭は真っ白になる。
(なんで?)
(居酒屋のお客さんじゃないの?)
(どうして玲弥達とも知り合いなの?)
考える暇もなかった。
玲弥が一歩前へ出る。
右手首の紋章が淡く輝く。
智樹も静かに神気を纏う。
奏多の周囲には鋭い白い気配が集まり。
朱里の周囲には紅い炎のような神気が揺らめく。
四人は目を合わせた。
「行くぞ。」
「はい。」
「任せろ。」
「終わらせよう。」
その瞬間。
四つの神気が資料室を包んだ。
青き風。
黒き守り。
白き斬撃。
紅き炎。
邪気は抵抗する暇もなく浄化される。
ほんの数秒。
それだけだった。
部屋に満ちていた重苦しい空気が、まるで最初から存在しなかったかのように消えていく。
「終わり。」
奏多が軽く息を吐く。
朱里も穏やかに笑った。
「今回は軽かったね。」
六花だけが、言葉を失っていた。
(……何が起きたの?)
頭の中には疑問しか浮かばない。
その少し離れた場所。
誰にも見えない位置で。
鳳凰と霊亀が静かに立っていた。
鳳凰は腕を組み、小さく息をつく。
「……霊亀。」
「お主の予知通りじゃな。」
霊亀は四人を見つめたまま静かに頷く。
「四神の後継者達。」
「完全に六花を守る側へ傾き始めた。」
「まだ信用はせぬ。」
鳳凰の視線は玲弥達へ向く。
「だが。」
「守ろうとする覚悟だけは本物らしい。」
霊亀は遠くを見つめる。
その瞳には、まだ拭えない不安が宿っていた。
「……始まる。」
「本当に危険なのは、こんな小さな悪霊ではない。」
鳳凰もゆっくり頷く。
「奴も動き始める。」
誰のことか。
言葉にしなくても分かっていた。
天王寺遥。
そして――朧。
大学の窓から夕日が差し込む。
その優しい光とは裏腹に、千年越しの因縁は静かに、しかし確実に動き始めていた。
これは、まだ序章に過ぎなかった。




