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静かなる波紋

悪霊事件から数週間。


大学にも、少しずつ穏やかな日常が戻っていた。


「桜庭さん。」


講義が終わると同時に声を掛けてきたのは神宮寺玲弥だった。


「今日、このあと空いてる?」


「うん。課題の本を探しに図書室だけど。」


「俺達も行く。」


その隣では宮原智樹が静かに頷く。


「ちょうど民俗学の資料を借りたい。」


「じゃあ一緒だね。」


六花は自然に笑った。


最初は警戒していた。


四霊達からも注意するよう言われていた。


けれど玲弥も智樹も、あの日以来、一度も強引に距離を詰めてくることはなかった。


むしろ。


「この前貸してもらった本、面白かった!」


「本当か?」


玲弥が少し嬉しそうに笑う。


「日本神話ってもっと難しいイメージだったんだけど、読んでみると面白いね。」


智樹も柔らかく答えた。


「神話は歴史だけではない。」


「人の願いや恐れも映している。」


「だから面白い。」


「なるほど。」


六花は素直に感心する。


そんな反応を見る度に。


玲弥も智樹も心が少しずつ和らいでいた。


(こんなに素直に話を聞く人だったのか。)


玲弥は思う。


最初は利用するつもりだった。


四霊を手に入れるため。


家の命令だから。


その程度だった。


なのに。


六花は何も求めない。


肩書も。


家柄も。


神宮寺という名前すら特別扱いしない。


だから話していて疲れない。


智樹も同じだった。


(この子は計算がない。)


玄武の後継として、人を見る目には自信があった。


悪意。


打算。


欲望。


それらを見抜く訓練を幼い頃から受けてきた。


しかし六花だけは違う。


何を考えているか分かりやすい。


思ったことをそのまま口にする。


その純粋さが、逆に眩しかった。



図書室。


静かな空間の中。


三人は並んで本を探していた。


「そういえば。」


玲弥がふと口を開く。


「四霊とは最近どうなんだ?」


六花は思わず笑う。


「みんな元気だよ。」


「昨日もお菓子パーティした。」


「……またか。」


玲弥は苦笑した。


「神獣がお菓子好きとは思わなかった。」


「みんな甘いもの大好き。」


「鳳ちゃんなんてプリン食べる時だけ子どもみたいだよ。」


智樹も思わず笑う。


「霊亀様は?」


「亀さんはお茶担当。」


「麒麟さんは和菓子。」


「龍さんは何でも食べる。」


「……想像出来ない。」


玲弥は肩を震わせた。


「でも。」


六花は少し照れたように笑う。


「家族みたいなんだ。」


その一言。


玲弥と智樹の胸へ静かに響く。


家族。


四霊を従えているのではない。


守護神でもない。


本当に家族として接している。


だから四霊も彼女を守るのだ。


二人はようやく理解し始めていた。



その時だった。


「神話の話ですか?」


落ち着いた声が聞こえる。


三人が振り向く。


そこには。


本を数冊抱えた青年が立っていた。


天王寺遥。


「失礼。」


「少し聞こえてしまいました。」


玲弥の表情が一瞬だけ変わる。


(……この男。)


智樹も同じだった。


胸の奥がざわつく。


目の前に立つだけで感じる、不思議な圧。


敵意ではない。


だが。


何かがおかしい。


青龍の紋章が右手首で熱を帯びた。


玄武の紋章も僅かに脈打つ。


(守護神が反応している。)


玲弥は警戒を強めた。



一方。


六花は気付いていない。


「天王寺さん!」


「こんにちは。」


いつも通り笑う。


「この前は本ありがとうございました。」


遥も穏やかに笑みを返した。


「いえ。」


「課題は終わりましたか?」


「半分くらい!」


「神話って難しいけど面白いね。」


その言葉に遥の目が柔らかくなる。


「興味があるなら。」


「日本神話だけではなく、中国神話も読むと繋がりが見えてきます。」


「え!」


六花の目が輝く。


「そんな繋がりあるの?」


「ええ。」


遥は自然に説明を始める。


古事記。


日本書紀。


四神信仰。


陰陽思想。


中国から日本へ伝わった思想。


難しい内容なのに。


遥の話し方は驚くほど分かりやすかった。


「なるほど!」


「だから四神って日本でも有名なんだ!」


「そういうことです。」


「すごい!」


「天王寺さん物知り!」


嬉しそうに笑う六花。


その笑顔を見た遥の胸が熱くなる。


(また。)


(そんな風に笑う。)


千年前。


桜も同じ顔で笑っていた。


懐かしさと恋しさが入り混じる。


(やっと。)


(こうして話せた。)



その様子を見ながら。


玲弥は小さく拳を握った。


(なんだ。)


(この気持ちは。)


六花は楽しそうだった。


自分達と話す時とも違う。


純粋に知識へ興味を持っている。


その姿を見て。


胸がざわつく。


智樹も同じだった。


(面白くない。)


理由は分からない。


家の命令でも。


四霊でもない。


ただ。


六花が他の男と楽しそうに笑っている。


それだけで。


胸の奥が静かに痛んだ。


玲弥は無意識に六花へ声を掛ける。


「六花。」


名前で呼んでしまった。


「あ、ごめん。」


「桜庭。」


しかし。


六花は気にした様子もなく笑う。


「玲弥も興味ある?」


自然に返された名前。


玲弥の鼓動が一瞬止まる。


智樹は思わずため息をついた。


(……もう遅い。)


自分達は知らないうちに。


四霊のためではなく。


家の命令でもなく。


一人の少女自身へ惹かれ始めている。


そして。


その様子を少し離れた窓際から、誰にも見えない黒い影が見つめていた。


朧。


「くく……。」


「よい。」


「実に良い。」


「想いは増えるほど、人は弱くなる。」


視線は遥へ向く。


そして玲弥と智樹へ。


「愛も。」


「嫉妬も。」


「執着も。」


「すべて我の糧となる。」


誰にも聞こえない笑い声だけが、静かな図書室の片隅で闇へと溶けていった。

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