四霊達の過去~桜の異変 天王寺の想い
「鳳凰様!」
一羽の火の眷属が、翼を乱しながら社へ飛び込んできた。
その羽は煤け、息は乱れている。
「桜様が……!」
鳳凰の瞳が鋭く細められた。
「どうした。」
「桜様が……もう何日も休まず悪霊を祓っております!」
「霊力が尽きかけています!」
その瞬間、鳳凰の表情が凍りついた。
「……何だと。」
霊亀の社にも。
麒麟の社にも。
応龍の社にも。
同じ報せが届いていた。
四霊は顔を見合わせる。
胸の奥に、嫌な予感が広がる。
「しまった……。」
霊亀が低く呟く。
「狙いは最初から我らではなかった。」
麒麟が拳を握る。
「桜じゃ……!」
応龍は短く言った。
「戻る。」
四柱は同時に社を飛び立つ。
それぞれが神獣本来の姿へ戻り、夜空を切り裂くように飛翔した。
ただ一人の少女を救うために。
⸻
桜の神社。
境内には、浄化された邪気の残滓が幾重にも漂っていた。
「これは……。」
鳳凰が息を呑む。
何十、何百という悪霊を祓った痕跡。
普通の巫女なら、一体祓うだけでも命を削る。
それを桜は、一人で。
「桜!」
社へ飛び込む。
そこには、御幣を握ったまま倒れ込む桜の姿があった。
呼吸は浅い。
顔色は雪のように白い。
指先からは、まだ細い霊力が漏れ続けている。
鳳凰はすぐに桜を抱き起こえた。
「桜!」
かすかに瞼が震える。
「……鳳凰…」
その声はあまりにも弱かった。
霊亀が膝をつき、桜の脈へ触れる。
「霊力を使い過ぎじゃ……。」
「器そのものが限界へ近付いておる。」
麒麟は周囲を見回した。
「まだ邪気が漂っておる。」
応龍は何も言わず天へ飛び上がる。
黄金の龍気が神社全体を包み始めた。
鳳凰は炎の神気を広げる。
霊亀は大地の霊脈を結び直す。
麒麟は清浄な神気を巡らせる。
応龍は龍脈を天から降ろした。
四つの神気が重なり合い、一枚の巨大な結界となって神社全体を覆う。
四霊そのものの神力。
誰にも破れぬ、神獣だけが張れる守りだった。
空気が一変する。
邪気は境界の外へ押し出され、神社は静かな神域へ戻っていく。
「これで誰も近付けぬ。」
鳳凰は桜の額へ手を添えた。
「もう休め。」
桜は力なく笑う。
「……ごめんね。」
「みんな忙しいのに。」
その言葉に、四霊は胸を締め付けられた。
守るべき相手が、謝っている。
それが悔しかった。
⸻
その時だった。
「桜さん!」
社の階段を駆け上がる足音。
天王寺だった。
息を切らしながら駆け込んできた彼は、倒れている桜を見るなり顔色を変える。
「桜さん!」
近寄ろうとした、その瞬間。
目の前へ黄金の炎が走る。
鳳凰だった。
「止まれ。」
静かな声だった。
だが、その一言だけで空気が凍る。
天王寺は思わず足を止めた。
「鳳凰様……。」
「看病を。」
「私にもさせてください。」
霊亀がゆっくり立ち上がる。
その眼差しは厳しい。
「近付くでない。」
「え……?」
「今のお主から、嫌な気配がする。」
天王寺は理解できなかった。
「嫌な気配……?」
「私は桜さんを助けたいだけです!」
麒麟も前へ出る。
「その想いは偽りではない。」
「じゃが、その身へ纏う邪気は偽りではない。」
天王寺は自分の手を見る。
何も見えない。
何も感じない。
「そんなもの……。」
「ありません!」
応龍が短く言う。
「ある。」
その一言には迷いがなかった。
天王寺は震え始める。
「私は!」
「毎日、桜さんを助けようとしていただけです!」
「悪霊を見付けて!」
「知らせて!」
「それの何が悪い!」
鳳凰の瞳が鋭く光る。
「……その悪霊。」
「誰に教えられた。」
天王寺の動きが止まる。
「ある方が……。」
「桜さんなら祓えると。」
「力も強くなると。」
四霊は互いに視線を交わした。
やはり。
誰かがいる。
天王寺を操る者が。
鳳凰は静かに告げる。
「今は桜を休ませる。」
「お主はここへ入れる訳にはいかぬ。」
「そんな……。」
天王寺は一歩踏み出す。
しかし結界が彼を弾き返した。
見えない壁。
四霊の神力が拒絶したのだ。
「なぜです!」
「私は敵ではない!」
霊亀は苦しげに目を伏せた。
「……だからこそじゃ。」
「今のお主は、自分でも気付かぬまま邪気へ触れておる。」
「桜へ近付けば、さらに危険を招く。」
しかし、その言葉は届かない。
天王寺の目に映るのは。
自分を拒絶する四霊だけだった。
(どうして。)
(私は桜さんを助けたいだけなのに。)
(なぜ私だけ外へ追い出される。)
胸の奥で、何かが軋んだ。
悲しみが。
少しずつ形を変えていく。
四霊への不信。
理解されない苦しみ。
そして、小さな憎しみへ。
⸻
神社を後にした天王寺は、人気のない山道で立ち止まる。
拳を強く握り締める。
「私は……。」
「間違っていたのか。」
その問いへ答える者はいない。
だが。
闇の奥から、一人だけ歩み寄る影があった。
黒い衣を纏い、静かに微笑む朧。
「いいえ。」
その声はあまりにも穏やかだった。
「間違っているのは、四霊です。」
天王寺はゆっくり顔を上げる。
朧は優しく続けた。
「彼らは桜さんを独り占めしたい。」
「だから、あなたを遠ざけた。」
「あなたほど桜さんを想う人はいないのに。」
その甘い囁きは、心の傷口へ静かに染み込んでいく。
天王寺は何も答えなかった。
だが、その沈黙こそが、朧の思惑どおりだった。
悲しみは、まだ憎しみではない。
けれど、その種は確かに天王寺の心へ植え付けられていた。




