四霊達の過去~隠しきれぬ気持ち
桜へ想いを告げてから、数か月。
天王寺は何一つ変わらなかった。
いや――変えなかった。
朝になれば社を訪れ、掃除を手伝う。
参拝客が来れば笑顔で迎え、祭事があれば誰よりも率先して動く。
桜も以前と同じように接してくれる。
「天王寺さん、お疲れさま!」
「今日はお団子焼いたんだけど、一緒に食べる?」
「もちろん。」
何気ない会話。
何気ない笑顔。
そのどれもが嬉しかった。
……嬉しいはずだった。
しかし、人の心とは不思議なものだった。
手に入らないと分かった瞬間から、“今まで満足していたもの”が少しずつ足りなくなる。
(……近くにいるだけで良かった。)
そう思っていた。
だが今は違う。
隣に立つたびに思う。
(どうして、私は”友人”なのだ。)
四霊達は家族。
村人達は信頼する人。
自分は、そのどちらにもなれない。
桜は笑ってくれる。
優しい。
誰にでも。
その優しさが、自分だけのものではないことが、少しだけ苦しかった。
「天王寺さん?」
「どうかした?」
桜が心配そうに顔を覗き込む。
その距離に、一瞬だけ鼓動が速くなる。
「……いえ。」
「少し考え事を。」
「無理しちゃ駄目だよ?」
そう言って笑う。
その笑顔が、また胸を締め付けた。
⸻
帰り道。
日はすっかり落ち、山道は月明かりだけが照らしていた。
「……はぁ。」
小さく息を吐く。
誰にも聞かれないように。
誰にも心配を掛けないように。
その時だった。
「随分と苦しそうだな。」
突然。
聞いたことのない声が背後から響いた。
天王寺は反射的に振り返る。
「誰だ!」
そこには、一人の男が立っていた。
黒い衣。
黒い髪。
黒い瞳。
まるで夜そのものが人の形を取ったような存在。
「安心しろ。」
「敵ではない。」
「……何者だ。」
男は少しだけ笑う。
「朧。」
「そう呼ばれている。」
その名を聞いても思い当たる節はない。
天王寺は警戒を解かない。
「何の用だ。」
朧は天王寺をじっと見つめる。
その瞳は、心の奥まで覗き込むようだった。
「桜が好きなのだろう。」
その一言。
天王寺の肩がぴくりと震えた。
「……関係ない。」
「隠さなくてもいい。」
「見ていれば分かる。」
「毎日会いに行き。」
「振られても笑い。」
「諦めたふりをしている。」
「……。」
図星だった。
「辛いか?」
「…………。」
「苦しいか?」
答えない。
答えられない。
朧は小さく笑った。
「安心しろ。」
「人とは皆、そういうものだ。」
「欲しいものほど手に入らない。」
天王寺は静かに拳を握る。
「私は。」
「桜を困らせるつもりはない。」
「だから、このままでいい。」
朧は口元を歪めた。
「本当に?」
「…………。」
「ならば、何故そんな顔をしている。」
天王寺は思わず息を呑む。
「その笑顔。」
「随分と無理をしているように見える。」
その言葉は、胸の奥へ深く刺さった。
誰にも気付かれないよう隠してきた感情。
それを初めて見抜かれた。
朧は一歩だけ近付く。
「人とは不公平なものだ。」
「想う者は苦しみ。」
「何も知らぬ者は笑う。」
「違うか?」
「……違う。」
天王寺は即座に否定した。
「桜は悪くない。」
「誰も悪くない。」
「私の想いが届かなかっただけだ。」
その返答を聞いた朧は、内心で笑った。
(そうだ。)
(今は、それでいい。)
(まだ折れてはいない。)
(だが、人の心は永遠には耐えられぬ。)
朧はそれ以上何も言わなかった。
「今日は帰るといい。」
「また会おう。」
そう言い残し、闇の中へ溶けるように姿を消す。
天王寺は、その場に立ち尽くした。
「……何だったんだ。」
胸の中には、奇妙な違和感だけが残る。
朧は木々の奥から、その姿を見つめていた。
「焦る必要はない。」
「恋は、人を強くする。」
「だが――執着は、人を壊す。」
その黒い瞳が細く歪む。
「その日が来るまで。」
「我は何度でも囁こう。」
夜風が森を吹き抜ける。
その風は冷たく、どこか不吉だった。
天王寺はまだ気づいていない。
あの夜の出会いが、心に落とされた最初の”毒”だったことを。




