四霊達の過去~忍び寄る黒い影
春が終わりを迎えようとしていた。
境内を吹き抜ける風は柔らかい。
桜は今日も社務を終え、境内を掃いていた。
「今日は静かだね。」
箒を止め、空を見上げる。
青空。
鳥のさえずり。
平和だった。
少なくとも、桜はそう思っていた。
だが、その平和の裏側では。
誰にも見えない歯車が少しずつ狂い始めていた。
⸻
「天王寺様。」
静かな声が聞こえる。
夕暮れ。
人気のない山道。
天王寺は振り返る。
そこには一人の青年が立っていた。
白い狩衣。
穏やかな笑み。
神職にも見えるその姿は、不思議と警戒心を抱かせない。
「あなたは?」
青年は微笑む。
「通りすがりの者です。」
「ですが。」
「桜様を大切に思っておられるのでしょう?」
その一言に、天王寺は目を見開く。
「……知っているのか。」
「ええ。」
「あなたほど、桜様を想う方はいません。」
その言葉が嬉しかった。
周囲は皆、
「また桜ちゃん?」
「振られたんだろ。」
と笑う。
誰も、この想いを理解しない。
だが、この男だけは違った。
「あなたは理解してくださるのですね。」
青年は静かに頷く。
「もちろんです。」
「だからこそ、お力になりたい。」
⸻
その頃。
四霊達には異変が起きていた。
「鳳凰様!」
一羽の眷属が飛び込んでくる。
「社の周辺に邪気が!」
「こちらもです!」
「霊亀様!」
「龍脈が乱されています!」
麒麟も応龍も、それぞれの眷属に囲まれていた。
四つの社。
同時に異変が起きている。
偶然とは思えない。
鳳凰は鋭く目を細める。
「狙いは我らか。」
応龍が短く答える。
「時間稼ぎ。」
霊亀も同じ結論へ辿り着いていた。
「誰かが我らを社へ縛り付けておる。」
しかし。
四霊はまだ気付いていない。
本当の狙いは。
社ではなく。
桜だった。
⸻
「最近。」
天王寺は青年へ話していた。
「桜が以前より疲れているようなのです。」
青年は悲しそうな顔を作る。
「悪霊でしょう。」
「悪霊?」
「はい。」
「最近、この辺りは邪気が増えております。」
「放っておけば。」
「桜様はもっと危険になります。」
天王寺の表情が変わる。
「何とかならないのですか。」
青年は静かに笑った。
「簡単ですよ。」
「悪霊を見つけたら。」
「桜様なら祓えます。」
「祓えば。」
「周囲も救われます。」
「桜様もさらに力を得られるでしょう。」
その言葉は。
真実と嘘を巧妙に混ぜ合わせた毒だった。
天王寺は疑わない。
桜を守る方法だと信じた。
「分かりました。」
「私も探します。」
青年はゆっくり頭を下げる。
「ありがとうございます。」
その笑みは。
誰にも見えない角を持つ悪意だった。
⸻
数日後。
「桜!」
息を切らせながら天王寺が駆けてくる。
「近くで悪霊を見ました!」
「本当?」
「お願いします!」
桜は迷わない。
「分かった。」
御幣を握る。
祝詞を唱える。
悪霊は祓われた。
村人は助かる。
天王寺も嬉しそうに笑う。
「ありがとう。」
「助かった。」
桜も笑う。
「良かった。」
誰も傷付かなかった。
そう思っていた。
⸻
だが。
翌日も。
その次の日も。
「桜!」
「悪霊です!」
「お願い!」
また一体。
また一体。
悪霊は増えていく。
桜は休む間もなく祓い続けた。
(……おかしい。)
御幣を握る手に力が入らない。
以前なら何ともなかった祓いが。
今は身体の芯まで霊力を削っていく。
それでも。
目の前に困っている人がいる。
放っておけない。
「あと一体だけ……。」
「これが終わったら休もう。」
その”あと一体”は。
終わらなかった。
⸻
夕暮れ。
社へ戻った桜は縁側へ腰を下ろす。
呼吸が苦しい。
手が震える。
「……変だな。」
立とうとしても。
足へ力が入らない。
それでも笑う。
「疲れちゃっただけかな。」
そんな桜を。
森の奥から静かに見つめる影があった。
青年の姿は消え。
黒い靄だけが立っている。
朧だった。
「そう。」
「そのまま。」
「もっと優しいままでいろ。」
「優しい者ほど。」
「壊しやすい。」
闇の中で。
朧だけが静かに笑っていた。
その頃、四霊たちは各々の社で異変の鎮静に追われ、眷属たちも必死に駆け回っていた。
誰もまだ気付かない。
本当の戦場は、自分たちの社ではなく――桜の心と命がある小さな神社だったことに。




